ドーバート基準をめぐる論争-議論の本質を見極めた上で(酒井邦彦元検事長の論文について(4))

このブログで何回か触れた酒井邦彦元高検検事長の論文ですが、その(2)が公表されました(酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る 司法の試練と挑戦(2)(全3回)」研修(令和2.3,第861号)13頁。以下、前回の論文を「酒井論文1」、今回の論文を「酒井論文2」といいます)。酒井論文2は、直接SBS/AHTを問題としたものではありませんが、「補遣」の形で、酒井論文1で触れられていた大阪地裁平成30年3月13日判決について、大阪高裁で逆転無罪判決が言い渡されたことを補足されました(もっとも、検察庁が上告をしたというだけで、その中味についてはコメントされていません)。あるいは、酒井元検事長は、このブログをご覧いただいたのかもしれません。もし、ご覧いただいたのであれば、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」 (下線は引用者) との一文についても訂正をいただきたかったところですが(当プロジェクトは、AHT共同声明について繰り返し述べています)、その点は措きましょう。その代わりという訳ではないのでしょうが、「補遣」の2点目として、「アメリカ連邦地方裁判所ニューメキシコ地区判決(ママ)」(下線は引用者)について、詳しく言及しておられます。調べて見ると、酒井元検事長が指摘されるように、2019年12月5日にニューメキシコ州の連邦地裁の裁判官が、弁護側専門家証人について意見を述べるとともに、これを証拠から排除する決定(Memorandum opinion and order on the United States’ motion in Limine for Daubert ruling regarding the admissible and scope of defendant’s proposed expert testimony/The United States District Court for the District of New Mexico No. 1:14-cr-3762-WJ)をしていたようです(以下、この決定を「NM排除決定」とします)。アメリカのSBS仮説に基づく啓蒙団体「The National Center on Shaken Baby Syndrome」のホームページに掲載されていました。酒井論文2に接するまで、このNM排除決定のことは知りませんでしたので、このような情報を提供いただけることはありがたいことです。ただ、気をつけなければならないのは、アメリカの裁判例では、逆にSBS仮説こそが、ドーバート基準を充足していないという判断が、これまで複数出されていることです。酒井論文2だけを読むと、あたかもNM排除決定の判断が、アメリカでの裁判の趨勢であるかのように思われるかもしれませんが、決してそうではないのです。少し詳しく見てみましょう。

例えばNM排除決定より、わずか1か月ほど前の2019年10月29日に、ミシシッピ州の控訴裁判所で出された有罪破棄判決です(Court of Appeals of Mississippi CLARK v. STATE of Mississippi, NO. 2017-KA-00411-COA。以下、「MS破棄判決」といいます)。この事件では、SBS仮説にのっとった医師の証言を主要な証拠として、第2級殺人に問われた父親が、一審の陪審裁判で有罪判決を受け、禁錮40年という重刑を言い渡されました。これに対し、被告人が控訴し、控訴審では、一審において検察側で証言した小児科医の証言が、ドーバート基準を充たしているかが問題とされたのです。

ここで、ドーバート基準(Daubert Standard)について簡単に触れておきましょう。ドーバート基準とは、1993年にアメリカの連邦最高裁で示された科学的証拠の許容性基準です。もともとは1923年の連邦巡回区控訴裁判所判決で示されたフライ基準(Frye Standard)という基準が使われていましたが、このフライ基準に代わるものとして新しく示されたものがドーバート基準です(但し、フライ基準と重なる部分もあり、州によっては現在でもフライ基準が使われたり、フライ審問といった表現が使われたりすることがあります)。ドーバート基準は多くの内容を含んでいるのですが、MS破棄判決は、「例証的な考慮要素」(Illustrative Factors)とされる以下の5つの内容について検討を加えています。

(1)理論または技術が検証可能であり、検証されてきたか(whether the theory or technique can be and has been tested)

(2)ピアレビューの対象となったか、公表されたか(whether it has been subjected to peer review and publication)

(3)特定の技術に関して、よく知られているかあるいは潜在的なエラー率があるか(whether, in respect to a particular technique, there is a high known or potential rate of error)

(4)当該技術の手法をコントロールする標準が存在するか(whether there are standards controlling the technique’s operation)

(5)関連する科学コミュニティに一般的に承認されているか(whether the theory or technique enjoys general acceptance within a relevant scientific community)

このドーバート基準は、非科学的な論説(ジャンクサイエンス)を裁判の証拠から排除しようとするものです。裁判が正当な科学にのっとったものでなければならないのは当然ですから、このドーバート基準が有効に機能する限り、その活用は重要です。ただ、後にも触れることになりますが、ドーバート基準が本当にジャンクサイエンスを排除できていると言えるのか、逆に通説化したジャンクサイエンスを温存することにならないのか、他方で新しい科学的知見を排除してしまうことにならないのか、といった疑問もありうるのです。実際、ジャンクサイエンスによって、「一般的な承認がある」との主張が法廷で展開されるという皮肉な現象もあったと言われています。裁判における科学的証拠の許容性は、きわめて難しい問題であり、今後も議論が続くことは間違いありません。

話をMS破棄判決に戻しましょう。控訴審の多数意見は(ミシシッピ州の控訴審判決は日本の最高裁判決のように多数意見で決定されるようです)、「専門家証人は、非常に力強い(powerful)とともに、非常に誤解を与えやすい(misleading)ものとなりうる」とした上で、「ドーバート基準は単にその特定の領域で相互に一般的に受け入れられているだけではなく、専門家に、彼らの述べる意見が、基本的に科学的に信頼できることを証明することを求めている」(The Daubert standard requires experts to prove that their offered opinion evidence is fundamentally scientifically reliable and not just generally accepted by peers in their specific discipline.)としました。そして、一審でSBS仮説に基づき証言した小児科医の証言に関して、「弁護側はSBSの信頼性について、現在では科学コミュニティはSBS【理論】自体をそのまま受け容れていない可能性があるということを示す数多くの研究や査読された論文で攻撃したが、州検察官は、最低限の文献や専門家証人の意見の信頼性を支持する他の専門家証人の証言を提示することもできなかった」(Defense attacked reliability of SBS with credible evidence, in the form of numerous cites to studies and peer-reviewed articles, that reflected the scientific community may have stopped wholly accepting SBS, yet State failed to provide either a minimal defense of articles or other expert testimony to support the reliability of expert’s opinion.)としたのです。そして、SBSに関する小児科医たる検察側証人は信頼できず、したがって第2級殺人の証拠としてこの証言を許容した一審裁判所の判断には、裁量権の濫用があるとし(Testimony of State’s expert witness, a pediatrician, on shaken baby syndrome (SBS) was unreliable, and thus trial court abused its discretion by admitting it at second-degree murder trial)、一審に再審理を命じたのです。このMS破棄判決は、SBS/AHT理論について、NM排除決定とは正反対の判断をしているとも言えるでしょう。

MS破棄判決だけではありません。ニュージャージ州一審裁判所(裁判官裁判)は、2018年8月17日の無罪判決の中で(SUPERIOR COURT OF NEW JERSEY Bench Trial of State v. Robert Jacoby Ind. No. 15-11-0917-1。以下、「NJ無罪判決」といいます)、フライ基準について詳細に検討した上で、SBS仮説に基づいて証言した検察側証人(Dr. McColgan)の証言について、次のように述べました。「彼女のいくつかの結論及び意見は、権威ある医学的文献や関連する科学的及び医学的コミュニティの支持が不足している。例えば、Dr. McColganは、最近の科学的及び医学的文献やDr.Scheller及びDr.Galaznikの見解に示されているように、それが科学的及び医学的コミュニティの間でコンセンサスと支持が拡がりつつあるように見えるにもかかわらず、被害児の傷害の原因として、よく知られたいくつかの原因を否定した。とりわけDr. McColgan自身の信頼性や証言について、州検察官は、彼女の意見に一般的承認があることを示す証拠を追加しなかった。彼女の証言を支持する、他の専門家証人も、医学文献も、他の証拠も何ら提出しなかったのである」(The Court finds some of her conclusions and opinions lack support in authoritative medical literature and in the relevant scientific and medical community. For instance, Dr. McColgan rejected some well recognized causes for P.J. ‘s injuries, even though there appears to be growing consensus and support among the scientific and medical community as reflected in the recent scientific and medical literature and expert opinions of Dr. Scheller and Dr. Galaznik. Besides Dr. McColgan’ s own credentials and testimony, the State did not provide any additional evidence that her expert opinion is generally acceptable. The State did not offer additional expert testimony, medical literature, or any other evidence to support Dr. McColgan’s conclusions.)。NJ無罪判決の判断も、MS破棄判決と軌を一にするものであることがお判りいただけるでしょう。なお、念のために言えば、この無罪判決で言及されているDr. Schellerは、NM排除決定で証言を排除されてしまった医師です。しかし、NJ無罪判決で引用された同医師の証言は、多くの医学文献とも整合し合理的なものです。ただ、ここで問題にしたいのは、アメリカの裁判例は、決してNM排除決定が唯一絶対のものではなく、むしろ、SBS/AHTをめぐる医学論争を前に、大きく揺れ動いていることです。

MS破棄判決やNJ無罪判決と同様に、SBS/AHT裁判においてSBS仮説について疑義を示す判断はほかにもあります。2018年10月17日、フロリダ州の第1審裁判所(In the 13th Judicial Circuit Court for Hillsborough County, Florida Criminal Justice and Trial Division Case No.: 15-CF-018630-State of Florida v. Kent Johnson)は、フライ審問を経て、①「乳幼児揺さぶられ症候群」という用語その他の用語は、十分な科学的なデータや証拠によって支えられていない、②これらの用語が頭部外傷の様々な原因を適切に説明できているとはいえない、③「乳幼児揺さぶられ症候群」が有効な診断であることを示す確立した科学的知見は存在しないと判断し、「乳幼児揺さぶられ症候群」その他の用語を、本件公判において使用することを制限する命令を発したのです。またニュージャージ州の2018年11月2日命令(State of New Jersey v. Darryl Nieves Indictment No. 17-06-00785-I Case No. 17-000837)は、SBS仮説に基づき「虐待の可能性が高い」とした検察側専門家証人の証言には、十分な医学的根拠がないとした弁護側のフライ審問の申立に対し、「弁護側は、その診断が一般的承認のあるものかどうかについて疑問を差し挟むべき権威ある科学的・法的な文献を提出した」として、弁護側の申立を認めました。

個々の判断に深入りすると切りがありませんので、この程度で止めておきますが、このように見てくると、アメリカの裁判で用いられるドーバート(フライ)基準は、現在までのところSBS/AHTに関する限り、検察側にも弁護側にも厳しく作用する場合があること、そして、どちらかというと検察側に不利に作用し始めていることが判ると思います。SBS仮説に十分な科学的エビデンスがなく循環論法確率の誤謬などが多く含まれていることからすれば、それは必然的な流れだと思われます。この点、酒井論文1は、スクワイア医師の論文に言及した山内事件の高裁判決について、「このような主張、立証は、ドーバート基準の下では、到底許容されるものではなく、もし基準を適用していれば、イギリスの医師の論文が採用され、判決の理由に挙げられることもなかったはずで、総じて、ドーバート基準を参考にして、より科学的、客観的に証言の信用性評価が行われていたら、判決の結論は異なったものになった可能性があったのではないかと思います」などと述べていますが、以上のようなSBS仮説に関するドーバート基準の裁判の実際をおよそ理解しない議論というほかないでしょう。

もっとも、酒井論文が上記のような誤解をしてしまう背景には、ドーバート基準に一定の問題があることも否定できないでしょう。特に「その理論・技術が関連する科学的コミュニティに一般的に受け入れられているか否か」(whether the theory or technique enjoys general acceptance within a relevant scientific community.)という考慮要素が曲者だと思われます。その基準は、明確であるかのように見えて、「関連する科学的コミュニティ」とは何か、「一般的に」とはどういうことか、「受け入れられる」とはどういった場合か、など曖昧な部分が多く、様々な解釈の余地があるのです。その結果、酒井論文に見られるように、SBS仮説を主導しようとする立場からは、議論の中味=本質を棚上げにした上で、自らを「科学的コミュニティ」の主流派であると強調する議論がさかんになされるようになったのです。AHT共同声明が出されたのも、そのような背景と決して無縁ではないでしょう。

しかし、これまでも述べて来たとおり、科学的な妥当性は、多数決で決めるものでも、どちらが主流派であるかによって決まるものではありません。科学的エビデンスと、正確な論理によって判断されるべきものです。NJ無罪判決やMS破棄判決などが示すとおり、SBS仮説に懐疑的な議論が提示してきた証拠と論理に謙虚に耳を傾けるとともに、SBS仮説の証拠の脆弱さ、論理の誤りといった議論の本質そのものを検証していくべきときです。

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