AHT共同声明の問題点(その3)-自白への依存

SBS仮説をめぐる大きな論点の一つが、「揺さぶりのみによってSBSとされるような頭蓋内損傷(三徴候)が生じるか」です。仮に揺さぶりのみで三徴候が生じるとしても、逆に三徴候がある場合に揺さぶりと言えないことは当たり前です。今回の国際セミナー・シンポウェィニー・スクワイア医師は、「インフルエンザで頭痛は生じる。しかし、頭痛があるからと言って、インフルエンザとは言えない」という例を挙げておられましたが、本当にそのとおりです。ただ、ここではその議論はひとまずおきましょう。「揺さぶりのみで三徴候が生じる」というSBS仮説の大前提そのものが揺らいでいるのです。その大前提は、自白に依存しているからです。

AHT共同声明は「虐待された子どもの損傷を生じさせるために、揺さぶりだけで足りるのか、 それとも揺さぶりに直達性の外力が加わる必要があるのかという点に関しては、いまだに 争いが見られる」とした上で(この論点の設定そのものが「揺さぶり」にこだわっている点で間違っているのですが、それはひとまずおきましょう)、「注意しておかねばならないのは、その後、むち打ちや揺さぶりが行為者たちの自白によって繰り返し確認されてきたことである」「自白によれば、明らかに揺さぶりのみでAHT は生じる」と述べているだけなのです。つまり、揺さぶりによって三徴候が生じるとする客観的な証拠はないのです。実際、スウェーデンのSBU報告書は、SBS仮説に関する論文のうち、中程度の質があるとされた論文は自白に依拠したものしかなかったとします。ビデオ撮影された揺さぶりなどの信頼できる目撃された揺さぶりによって三徴候が生じたことが裏付けられた報告は1件もなかったというのです。自白の存在ばかりを強調するAHT共同声明は、揺さぶりを裏付ける客観的証拠がないことを認めざるをえないのです。

これだけ、動画の時代になっているのに、本当に揺さぶりで三徴候が生じるのであれば、不思議なことと言えます。さらに不思議なことがあります。不幸にして交通事故を起こした車両に乗り合わせていて、頸椎捻挫などになってしまう赤ちゃんはたくさんいます。人間が手で揺さぶるより、はるかに大きな力が赤ちゃんの脳にはかかっているはずです。ところが、そのような赤ちゃんにも、三徴候が生じたという報告はないのです。さらに、2018年4月12日付NEW YORK DAILY紙(電子版)によれば、あるベビーシッターが14カ月の子どもを激しく揺さぶっている様子がカメラで捉えられ、ニューヨーク市警に逮捕されましたが、その被害児には三徴候は認められませんでした(”Woman caught shaking baby on nanny cam charged with harassment, child endangerment”)。

仮に、揺さぶりの自白があり、実際に自白どおりの揺さぶりもあり、かつ、三徴候が確認された例があったとしましょう。しかし、それでも実は不十分です。なぜなら、その自白された「揺さぶり」が真に三徴候の原因かどうかは別問題だからです。基礎疾患が原因で三徴候が生じたのかも知れません。実際、赤ちゃんの急変を目の当たりにした養育者は、揺さぶってしまうことがよくあります。また、何か原因になることはなかったかと問い質されて、「そう言えば、あの時…」などと思ってしまうものです。実は、2014年のスウェーデン最高裁無罪判決の事例でも、被告人となった父親は、赤ちゃんが急変したことに驚き、揺さぶったと供述しています。スウェーデン最高裁は、この供述について「揺さぶりは⽐較 的慎重なものであり、暴⼒的な揺さぶりとは全く異なる」として、虐待の根拠とはできないとしました。

ところが、捜査機関は、このような揺さぶりの「自白」があると、被疑者に対し、その揺さぶりが激しかったものであったかのように追い詰めていくことが多いのです。刑事弁護にかかわる立場からすれば、常識と言っていい話ですが、疑われた人の供述は、強要、誘導、かばい立てなど、様々な理由・動機によって歪められてしまいます。しかも、自白があると、多くの場合捜査機関は満足してしまい、それ以上の原因究明を怠ってしまいがちです。自白に依存することは、真実解明を妨げる危険も大きいのです。

自白に依存しているSBS仮説をそのまま容認することができるはずはありません。SBS仮説は、0から見直す必要があるのです。

4 replies on “AHT共同声明の問題点(その3)-自白への依存”

  1. […] その他にも、溝口解説には、前提の誤りや、根拠に乏しい決めつけ、論理の飛躍などが多数含まれていると言わざるを得ません。実は、溝口解説は、これまでこのブログで触れてきた「AHT共同声明」と軌を一にするものです。そして、ブログで指摘してきた循環論法、確率の誤謬、自白依存、基準の不存在などの問題点は、そのまま溝口解説にも当てはまるのです。確かに溝口解説でも、いくつか言及はあるのですが、根本的な問題点が、議論の前提や論者に対する個人攻撃的な非難に隠されてしまって、直ちに読み取ることが難しくなってしまっているのです。 […]

  2. […] 自白偏重には、他にも問題があります。仮に揺さぶりの自白があったとしても、それが真に頭部損傷や、重症化の原因と言えるかどうかは判らないということです。スウェーデン最高裁で逆転無罪となった事例も、「揺さぶりの自白」がありましたが、その揺さぶりによって、赤ちゃんの頭部損傷があったとは認定できないとされました。それら自白依存の問題点は、別の記事でまとめていますので、是非お読みください。 […]

  3. […]  その後、アランさんは何度も再審請求をしましたが、なかなか認められませんでした。アメリカでも再審が認められるためには、確定判決時とは異なる「新たな」証拠が必要とされることが大きな壁として立ちはだかっていました。そこで、弁護団は、一計を講じました。SBS/AHT仮説を支持する立場から出された「AHT共同声明」を最大限活用することにしたのです。弁護側が「AHT共同声明を活用する」というのは、不思議に思えるでしょう。実際、このブログでも何度か批判してきたとおり、AHT共同声明は、循環論法、確率の誤謬や自白への依存など根本問題に答えない一方、批判説が提示する他原因の可能性をそれこそ根拠なく「根拠がない」と決めつけるなど、非常に多くの問題を含んでいます。そもそも、医学の正当性は多数決で決めるものではありません。エビデンスと論理で判断すべきものです。あたかも政治声明のような「共同声明(consensus statement)」というスタイルそのものが不自然です。しかし、他方で、AHT共同声明もすべての批判を無視することはできませんでした。従前のSBS/AHT仮説の修正を余儀なくされ、そのことを表明せざるを得なかったのです。オハイオの裁判所は、その修正を受けて、次のとおり述べます。 […]

  4. […]  弁護側が「AHT共同声明を活用する」というのは、不思議に思えるでしょう。実際、このブログでも何度か批判してきたとおり、AHT共同声明は、循環論法、確率の誤謬や自白への依存など根本問題に答えない一方、批判説が提示する他原因の可能性をそれこそ根拠なく「根拠がない」と決めつけるなど、非常に多くの問題を含んでいます。そもそも、医学の正当性は多数決で決めるものではありません。エビデンスと論理で判断すべきものです。あたかも政治声明のような「共同声明(consensus statement)」というスタイルそのものが不自然です。しかし、他方で、AHT共同声明もすべての批判を無視することはできませんでした。従前のSBS/AHT仮説の修正を余儀なくされ、そのことを表明せざるを得なかったのです。例えば、共同声明は、従来は、「3m以上の高位落下や高速度交通事故、凝固異常」だけが除外診断の対象であるかのようにされていたSBS/AHTの診断について、「 AHTの診断にあたってはAHTに類似する様々な症状を来しうる病態の除外を行う必要がある」と述べるようになりました。オハイオの裁判所は、それらの修正を受けて、次のとおり述べます。 […]

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