Category Archives: 日本での議論状況

名古屋高裁判決の重要な認定

速報した名古屋高裁令和3年9月28日判決は、SBS仮説について、きわめて重要な判断を示しています。同判決は、非常に丁寧に検察官の主張を検討した上で、その全てについて明快に排斥していますので、論点は多岐にわたるのですが、ここでは2点だけ指摘しておきましょう。

 まず、「検察官は,受傷原因を判断するに当たっては,具体的傷害という複数の間接事実(引用註・急性硬膜下血腫、脳浮腫、網膜出血の三徴候のこと)が同一機会に重畳的に発症したことを基に,健全な社会常識に照らし,揺さぶり行為が原因でないとしたならば,それを全て整合的・合理的に説明できるか否かの観点から検討を加えることが不可欠である」と主張したことに対する判断です。「健全な社会常識」などと言っていますが、要するに検察官は、三徴候が同時に発生している以上、揺さぶりが認定できるはずだ、と言っているのです(東京高裁令和3年5月28日判決における検察官の「一元的診断手法論」も根は同じです)。SBS仮説の三徴候説そのものです。これに対し判決は、「そもそも,刑事裁判において立証責任を負っているのは検察官である上,『揺さぶり行為があれば特定の傷害が発生する』という論理が正しいとしても,『他の原因ではその特定の傷害は発生しない』という条件が付加されない限り,『特定の傷害が存在するから揺さぶり行為があった』ということにはならない,という論理的に当然の事柄からすれば,検察官がいうように『同時期に生じた各傷害について,揺さぶり行為が原因でないとしたならば,それを全て整合的・合理的に説明できるか否か』という観点から検討を加えるとしても,それは,検察官において,『各傷害が揺さぶり以外の原因では同時期に発生しないこと』について合理的疑いを超えた証明ができているか,という観点からなされるべきものである。検察官においてそのような立証ができているか否かを棚に上げ,あたかも,弁護人において『各傷害が揺さぶり以外の医学的に合理的に説明できる特定の原因で生じたこと』を主張・立証すべきであり,その可能性が認められない限り各傷害が揺さぶり行為によるものと認定すべきであるとでもいうかのどとき検察官の主張は,到底採用できない」と斥けました。「『揺さぶり行為があれば特定の傷害が発生する』という論理が正しいとしても……,『特定の傷害が存在するから揺さぶり行為があった』ということにはならない,という論理的に当然の事柄」という部分は、このブログでも何度も触れた「逆は必ずしも真ならず」という論理学の初歩を確認したものです。揺さぶりによって、三徴候が生じるとしても、三徴候があるからといって揺さぶりとは言えない、その当然のことを述べています。その上で、判決は、検察官に対し「『各傷害が揺さぶり以外の原因では同時期に発生しないこと』について合理的疑いを超えた証明ができているか」を問い、「検察官においてそのような立証ができているか否かを棚に上げ」ていると強く非難したのです。同時に判決は、「検察官には,揺さぶり行為によりA君に認められる傷害が発生し得ることとは別に,その傷害が他の原因で生じ得ないことを,専門家証人によって立証しようとする意識が十分でない」とも指摘します。そのとおりです。そして、この指摘は、SBS仮説そのものに当てはまる批判なのです。現在、三徴候は揺さぶり以外の多くの他原因で発症することが指摘されています。ところが、SBS仮説を主導する立場は、自らの主張の正当性を強調するばかりで、とかく他原因を主張する批判説に耳を貸さず、あるいはその批判を矮小化するような議論を繰り返してきました。その議論の多くは、自説に相容れない証拠を無視ないし軽視した上で、自らの主張が正しいことを前提に自らの結論を正当化するという循環論法に陥ってきたのです。

その点で興味深いのは、網膜出血について、検察側証人として証言した中山百合医師(眼科医)の証言についての評価です。判決は、中山医師の原審公判証言について、「揺さぶり行為以外にも多発性・多層性網膜出血が生じたという事例を示す文献の存在を認めつつも, このような事例については,『目撃者がいない』『客観性がない』などとしてその事実関係自体を否定しようとする証言をする一方で, 自らの見解に沿う事例については,『目撃者がいなくても揺さぶりであるとはいえる』などと擁護するなど,客観性を極めて疑わしめる証言をしている部分があるほか,結論部分についても,『血液凝固に異常がない以上,多発性・多層性網膜出血の原因として家庭内で起こるものとして考えられるのは揺さぷられっ子症候群のみである』から『A君の多発性・多層性網膜出血は揺さぶり行為によって生じたものである』と,結局のところ,反論に対して客観的,合理的な検討を加えることなく, 自らの見解を押し通そうとするかのような証言をしたものと理解できる」と、痛烈に批判したのです。中山医師の証言内容は、判決が指摘するとおり、自らの主張が正しいことを前提に、これに反する主張は恣意的に排斥し、自説に都合のよい議論のみを強調するものです。このようなご都合主義的な議論が、罷り通って良いはずがありません。

 名古屋高裁判決は、SBS仮説そのものの問題点を鋭く指摘しているのです。

速報・名古屋高裁で無罪判決維持!

本日、名古屋高裁刑事第2部(裁判長 鹿野伸二裁判官、後藤眞知子裁判官、菱川孝之裁判官)は、SBSを疑われた事案で、母親に無罪を言い渡した岐阜地裁令和2年9月25日判決を支持し、検察官の控訴を棄却しました。この事件は、弁護側が、ソファからのいわゆる低位落下を主張していた事件ですが、2017年5月の起訴以来、当初SBS仮説の三徴候説のみに依拠していた検察官の主張・立証は迷走を繰り返してきました。そして、原審で検察側証人の証言が崩壊するや、検察官は、慌てて裁判終盤に新たな斜台後面血腫論を持ち出し、「揺さぶり」の根拠だと言い出したのです。改めて説明しますが、斜台後面血腫論は、揺さぶりの根拠となりません。そもそも、検察官が、そのような後出しじゃんけんのような主張をするようなことは許されません。控訴審判決は、そのような検察官主張の問題点を的確に指摘した上で、検察官の姿勢を厳しく批判しています。詳細は、改めてご報告します。

最高検のコメント「真摯」とは?

最高裁が2021年6月30日に、決定で検察官の上告を棄却したことは、多くの報道機関が報じました。その中で複数のメディアが最高検の畝本直美公判部長のコメントを伝えています。報道によれば、「主張が認められなかったのは誠に遺憾だが、最高裁の判断なので真摯に受け止めたい」というものだったようです。是非、検察庁には、その言葉どおりに、有罪が確定した事件も含めて、これまでの訴追に誤りがなかったのか、「真摯に」検討していただきたいと思います。

速報:東京高裁SBS無罪判決を維持

 2021年5月28日、東京高裁第5刑事部(裁判長藤井敏明裁判官、吉井隆平裁判官、新宅孝昭裁判官)は、SBSを疑われた事案について、東京地裁立川支部が2020年2月7日に言い渡した無罪判決を支持し、検察官の控訴を棄却しました。高裁判決では、SBS/AHTについて重要な判断が示されていますので、そのいくつかについてご紹介しましょう。

1 医学的な所見にのみ基づく「揺さぶり」の認定の危険性

 まず、高裁判決は、次のように述べて、医学的な所見のみから、その原因を「揺さぶり」と判断することの問題点を指摘します。「各医師の証言や見解によれば,本件各傷害の発生時期やその原因は医学的に確定することができないのであるから,本件各傷害が被告人の揺さぶる暴行という一元的な原因で生じたと断じることには無理がある。本件のように,犯罪を証明するための直接的な証拠がなく,高度に専門的な立証を求められる傷害致死事件においては,生じた傷害結果について医学的な説明が可能かということだけではなく,本件に即していえば,被害者の年齢,事件前の被告人の暴行の有無やその態様,事件に至る事実経過,動機の有無やその合理性,事件後の被告人の言動などの諸事情を総合的に検討し,常識に照らして,被告人が犯行に及んだことが間違いないと認められるかを判断する必要がある。」この判断は、「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷起点不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」(厚労省の平成25年版『子どもの虐待対応の手引き』。いわゆる三徴候論)などとしてきたSBS論の問題性を端的に示すものと言えます。

2 小児科における一元的診断手法?

 SBSに関する医学的診断について、検察官は控訴審において「小児医療においては,乳幼児に複数の傷害結果が生じた場合には,大人に対する場合と異なり,最初に原因が一つである可能性を前提にして総合診断を行うことが共通の理解とされており,本件各傷害の原因を検討するに当たっても,このような乳幼児に対する基本的な診断手法に則って,総合的に評価・検討することが必要である」と主張していたようです。このブログで何回か言及した溝口史剛医師は、別の裁判の法廷で何度か「原因はできるだけ一元的に考えるべきだ」と証言していました。本件の原審でも溝口医師は検察側証人として証言していたようですから、おそらく溝口医師の原審証言に基づき、検察官はそのような主張をしたのでしょう。これに対し、高裁判決は、「しかし,所論(引用註:検察官の主張を指します)のような共通理解が小児医療の分野にあるとしても,それは小児医療における診断の指針ということに過ぎず,裁判所が事実認定を行う上で準拠すべき科学法則のようなものではない。しかも,所論のいう共通理解の内容は,要するに,小児医療において,原因が一つである可能性を最初に考えて診断を行うというものであって,診断を行う際の端緒のようなものに過ぎず,そのように考える理由も,所論によれば,高齢者の場合には様々な原因が積み重なって複数の疾患を生じている可能性があるのに対し,乳幼児の場合には,特段の先天性疾患や感染症のない限りは,基本的には健康体と考えるというものに過ぎない。したがって,その内容自体に照らしても,刑事裁判において,乳幼児に存在する複数の疾患ないし傷害について,複数の原因が,競合的に,あるいは連鎖的に働いた結果である可能性を排除することのできるような,何らかの確立された科学的な原理を示すものではない。」として排斥しました。高裁判決が述べるとおり、急変した乳幼児が時として重症化し、頭蓋内に急性硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫などの三徴候が見られことがあるのは、複数の原因が競合したり、連鎖したりした結果と考えられることは繰り返し指摘されてきました。にもかかわらず、一元的な考え方から「揺さぶりを第一に考えるべきだ」などとするのは、予断を奨励するようなもので非常に危険です。その意味でも高裁判決の指摘は重要です。

3 三徴候論をめぐる検察官主張の混乱と循環論法

 上記の三徴候論について、高裁判決は、以下のような興味深い判示をしています(引用は固有名詞部分を一部修正しています)。「(検察官は、被害児に見られたという)①多発性硬膜下血腫,②脳浮腫,③眼底出血という三つの徴候について,たまたま別の原因が複数回折り重なって起きたとするのは医学的に非常に不合理であり,これらの症状が一元的に生じ得ることを唯一合理的に説明し得るのは,医学的には,揺さぶりを主体とした虐待による頭部外傷以外には説明できないと判断するのであり,これは,医学論文その他の文献上の根拠によって裏付けられた国際的な医学界の共同合意であり,乳幼児の受傷原因を判断するに当たっては,具体的傷害という複数の間接事実が同一機会に重畳的に発症したことを前提に,揺さぶりが原因でないとしたならば,それらを全て整合的・合理的に説明できるか否かの観点から検討を加えることが不可欠なのであり,このような乳幼児に対する基本的な診断手法に則っても,本件では,被害児に生じていた複数の傷害結果について,分断して個別に評価するのではなく,これら全てを総合考慮した上で,その原因が一つではないかとの可能性についてまずもって判断を下す必要があった,という。」「ところが,…(同時に検察官は),前記三つの徴候が認められている場合に揺さぶる暴行があったと推定する,いわゆる三徴候理論は,虐待の可能性がある事案を見つけ出すための手法がそのように呼称されたものに過ぎず,三徴候があれば直ちに揺さぶる暴行があったと推定する考えに基づくものではないという。それにもかかわらず,検察官は,前記のように,被害児に認められた多発性硬膜下血腫,脳浮腫,眼底出血の三つの症状について,たまたま別の原因が複数回折り重なって起きたとするのは非常に不合理であり,これらの症状が一元的に生じ得ることを唯一合理的に説明し得るのは,揺さぶりを主体とした虐待による頭部外傷以外にはないと判断すべきであるといい,結局,三徴候から揺さぶる暴行があったことが推認できると主張する。以上の主張を整合的に理解することは容易ではないが,要するに,所論は,『乳幼児の受傷原因を判断するに当たっては,具体的傷害という複数の間接事実が同一機会に重畳的に発症したことを前提に,揺さぶりが原因でないとしたならば,それらを全て整合的・合理的に説明できるか否かの観点から検討を加えるべきである』ということに帰着するものかと思われる。しかし,乳幼児に対する虐待を専門的に扱う医学者の間において,上記のような判断方法が採られているとしても,本件では,本件各傷害が公訴事実に記載された時間帯に生じたことや,本件各傷害を一元的に合理的に説明し得るのは揺さぶりを主体とした頭部外傷のみである,とする原審検察官の主張が争われているのであるから,本件の争点を判断する際に,原判決が,本件各傷害が同一機会に重畳的に発症したこと,換言すれば一個の原因に基づくものであることを前提としなかったのは,正当な判断方法である。」ここで、高裁判決が指摘するとおり、検察官は三徴候論によって揺さぶりを断定する必要性を強調する一方で、三徴候論は揺さぶりを推定する考えではない、というのですから、支離滅裂と言うほかありません。また、高裁判決が、「本件では,本件各傷害が公訴事実に記載された時間帯に生じたことや,本件各傷害を一元的に合理的に説明し得るのは揺さぶりを主体とした頭部外傷のみである,とする原審検察官の主張が争われているのであるから,本件の争点を判断する際に,原判決が,本件各傷害が同一機会に重畳的に発症したこと,換言すれば一個の原因に基づくものであることを前提としなかったのは,正当な判断方法である」との部分は、検察官の主張が循環論法に陥っていることを指摘したものです。検察官は、検証の対象となっている自分たちの主張が正しいことを前提に、「自分たちは正しい」と言い張っているにすぎないのです。ちなみに、検察官が主張する「国際的な医学界の共同合意」なるものは、これもこのブログで何回も触れてきた「AHT共同声明」と思われますが、一部の医師らによる政治的な意見表明にすぎません。高裁判決が、これに依拠しなかったのはきわめて合理的な判断です。

4 検察官主張の論理破綻

 検察官の主張には、上記3で引用した三徴候論をめぐる議論の混乱や循環論法以外にも、重要な問題点が含まれています。SBS理論に内包される論理破綻ともいえます。上記引用に引き続いて、高裁判決は次のとおり述べます。「そもそも,一定の原因があれば,ある結果が生じるとしても,他の原因で同じ結果が生じる可能性がある限り,原因と結果を逆転させて,その結果があれば当該原因があったと当然に推認できるわけではない。この構造は,一個の原因から三つの結果が生じる場合でも基本的には変わらないのであって,揺さぶる暴行により前記三つの症状が生ずる機序を合理的に説明することが可能であるとしても,それらの症状が他の原因によって生じ得る合理的な可能性が排除できない限り,前記三つの症状が存在すれば,それらの症状から遡って,一個の原因としての揺さぶる暴行があったものと直ちに推認できるわけではない。前記三つの症状がたまたま並存したとするのは『医学的に』不合理であるとして一個の原因によることを前提とする所論は,前記のような論理的な構造をあいまいにし,他にそれらの症状が生じた原因が合理的に考えられないことに関する検察官の立証責任を看過するものである。しかも,所論の説明する機序においても,前記三つの症状が全て揺さぶる暴行によって直接的にもたらされるというわけではなく,揺さぶる暴行と多発性硬膜下血腫との間には架橋静脈の破断が介在し,揺さぶる暴行と脳浮腫との間にはびまん性軸索損傷や脳幹部の神経の損傷が介在するというのであるが,本件では,被害児にこれらの中間的な損傷が存在したことは証明されていない。したがって,前記三つの症状がたまたま並存したとするのは『医学的に』不合理であるとして,前記三つの症状が揺さぶる暴行によるものとする所論は,結果から原因を遡って推認する過程において,立証されていない損傷の存在を前提とするという飛躍があるものであり,この意味でも,本件において採用することのできない見解といわなければならない。」ここで高裁判決は、「逆は必ずしも真ならず」という論理学の基礎から、検察官主張の論理的な誤りを明確に指摘しています。そして、検察官の理屈が検察官の立証責任を無視したものであることを批判した上で、立証されていない自らの結論を前提にするといった循環論法や論理の飛躍も重ねて指摘したのです。明快であり、きわめて合理的な判断です。検察官の論理は完全に粉砕されたと言っても過言ではないでしょう。

 検察官には、自らの無謬性に固執するのではなく、高裁判決の指摘を真摯に受け止めて、これまでの訴追に同じ誤りがなかったかを検証してもらいたいものです。

朝日新聞「揺さぶり相次ぐ無罪・処罰と乳幼児の安全区別し判断を」へのコメント

 12月21日付の朝日新聞朝刊に、大久保真紀編集委員によるSBS/AHT事件に関する「記者解説・揺さぶり相次ぐ無罪」(以下、本件記事といいます)が掲載されました。SBS検証プロジェクト共同代表の秋田・笹倉のコメントも掲載されていますが、本記事には全体として重大な問題があると考えています。

 以下、その問題点のうち、いくつかを指摘します。

1.無罪判決の原因は?

 本件記事は、SBS/AHT事件で無罪判決が相次いでいる根本的な理由について分析を加えていません。

 「病気やソファから落ちたことによって頭部の出血などが起きた可能性があると弁護側が主張、裁判所がそれを認める形で無罪判決が相次いでいる」という事実を指摘した上で、「大阪高検検事」の論文を引用し、「裁判員裁判で医療記録や解剖記録、あざの写真などの重要な客観証拠が、裁判員には理解しがたいまたは刺激が強いとして採用されないこと」を無罪判決多発の原因として挙げるにとどまっています。「大阪高検検事」の論文は、あたかも「重要な証拠が採用されなかったから無罪になったのだ」と主張するかのようです。

 しかし、これまでの無罪判決では子どもの症状に低位からの落下や静脈洞血栓症など、他の原因があった可能性が高いことが明確に指摘されています。そもそも、裁判員裁判以外による無罪判断の方が多いのです。これらの事実にもかかわらず、「大阪高検検事」の論文の当該部分を引用することはミスリーディングです。

 それどころか、本件記事は、これまでの無罪判決で指摘されてきたSBS理論自体の問題点や検察側証人の証言の問題点などについて一切指摘しません。これらの諸点に関する指摘や分析なくして、SBS/AHT事件で多発している冤罪原因を検証し「過ちに学ぶ」ことなどできるのか疑問です。事実を重視しなければならない「中立的」なメディアとしては、これまでの無罪判決の理由をもっと深く掘り下げるべきだったのではないでしょうか。

 大久保記者には上記の諸点を今後分析していただき、すでに過去に有罪判決が言い渡されていた事案についても問題がなかったかを検証していただきたいと思います。これこそが、児童虐待問題をいっかんして取材してこられた記者としての責任ではないでしょうか。


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「日本小児科学会の見解」をめぐって-なぜ反省できないのか?

日本小児科学会が、「虐待による乳幼児頭部外傷(Abusive Head Trauma in Infants and Children)に対する日本小児科学会の見解」(以下、「小児科学会見解」)をホームページに公表されました。NHKでも詳しく報じられたようです。議論が深化していくことは歓迎すべきことですが、小児科学会見解は、結局、アメリカ小児科学会などが公表したAHT共同声明を焼き直したものにすぎません。AHT共同声明の問題点は、これまでもこのブログで繰り返し解説してきました。例えば、「SBS/AHT についてのかみ合った議論のために―AHT 共同声明を中⼼に―」「AHT共同声明」の再検討(酒井邦彦元高検検事長の論文について(5))」を是非お読みください。小児科学会見解についても、いくつもの問題点を指摘することができます。

 一番重要なのは、自らの主張に対する反省がないことでしょう。小児科学会見解は、AHT共同声明を引き合いにして「AHTの診断について司法の場で重大な誤解が生じている」などと主張していますが、なぜ司法が相次いで無罪判決を出しているのかについて、全く反省が見られないのです。常に自分たちの議論が正しいことを前提とし、それに批判する主張は「医学的妥当性がない」などとして切り捨てているだけです。「正しいから正しい。自分たちの正しい主張に反する主張は誤っている」と言っているのです。いわゆる循環論法に陥っています。この循環論法であるとの批判については、小児科学会見解は、何も答えていません。

 なぜ、司法が立て続けに無罪判決を出しているのか、それらの事件で、小児科学会の医師がどのような証言をしたのか、なぜ、その証言が信用されなかったのか、検証してみること(例えば、大阪高裁① 大阪高裁② 岐阜地裁)こそが必要なはずです。しかし、残念ながら小児科学会見解には、そのような謙虚な姿勢は全く見られないのです。

 小児科学会見解は、あたかも臆することなくAHTとの診断をすることが、チャイルドファーストであり、無罪判決となることがこれに反することであるかのように読めてしまいます。しかし、誤った訴追や親子分離は、決してチャイルドファーストではありません。このことを念頭に謙虚な反省をお願いしたいところです。

岐阜地裁はなぜ無罪を言い渡したのか?-山田不二子医師証言の問題点

 すでに報じられているように、2020年9月25日の岐阜地裁無罪判決は、ソファからの低位落下という事故でも、SBS仮説で虐待の根拠とされる三徴候が生じ得ることを明確に認めました。その認定の根拠となったのは、弁護側で証言に立たれた青木信彦医師(脳神経外科医)の鑑定意見と証言です。青木医師は、アメリカでSBS仮説が信じられるようになった1984年に、英語論文で中村Ⅰ型の症例を報告し、三徴候から安易に虐待と決めつけることに対し、強い警鐘を鳴らしてきました。これに対し、検察側の証人として出廷したのは、児童虐待問題で主導的な立場にある山田不二子医師(内科医)でした。岐阜地裁は両医師の証言を聞いた上で、青木医師の「脳神経分野の専門知識、 臨床・研究経験、 頭部CT画像の読影経験」が山田医師より「格段に豊富である」とし、青木医師の供述を採用し、「これに反する山田供述は採用できない」としたのです。では、採用されなかった山田証言とはどのようなものだったのでしょうか。

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岐阜地裁で無罪判決

本日(2020年9月25日)、岐阜地方裁判所は生後3か月の長男を揺さぶって傷害したとして起訴された女性の事件につき、無罪判決を言い渡しました。

本件についてはすでに多くの報道があります。判決は、女性が暴行を加えていないこと、長男の傷害はソファからの落下によって生じた可能性があると判断しました。

本件でもSBS理論に依存した起訴・立証が行われました。SBS理論の問題点を直視し、中立的・科学的な立場からゼロベースで公的な検証を行う必要があることが再び明らかになりました。

朝日新聞に無罪判決を受けた女性のコメント全文が掲載されています。私たちは女性の声を真摯に受け止め、問題の本質に向き合うべきではないでしょうか。

また、かみ合わない議論が…田中嘉寿子大阪高検検事の論文の何が問題か?

このブログで、酒井邦彦元高松高検検事長が当プロジェクトに言及した論文の問題点を5回に分けて詳しく指摘しました((1) (2) (3) (4) (5))。今度は、現役の検察官である田中嘉寿子大阪高検検事が、「警察學論集」という警察官向けの雑誌において、当プロジェクトを名指しで批判する論文(「虐待による頭部外傷(AHT)事件の基礎知識(上)」警察學論集73巻8号106頁・立花書房/2020年。以下、「田中論文」)を発表しました。田中検事は、同じ立花書房から「性犯罪・児童虐待捜査ハンドブック」(2014年)を出版していますので、検察庁内で、児童虐待事件の捜査を主導してきた立場と言えるでしょう。当プロジェクトの活動が、検察庁に強く意識されていることが窺えます(もっとも、田中論文は「本稿は、当職の私見であり、検察庁の公式見解ではないことをお断りしておく」としています)。しかし、酒井論文と同様、田中論文は、非常に残念な内容と言わざるを得ません。いくつか、その問題点を明らかにしましょう。

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朝日新聞「赤ちゃん、泣きやまない時」の問題点 その2

 すでに秋田弁護士が詳細な反論を書いていますが、2020年7月19日の朝日新聞・朝刊オピニオン面記事「(フォーラム)赤ちゃん、泣きやまない時」には、様々な疑問があります。私からも、いくつか指摘しておきたいと思います。

 第一に、SBS/AHT記事をめぐる論争の争点がどこにあるのかを、本特集記事は理解して組まれていないように思います。虐待により頭部に外傷を負う子どもがいるということには争いがありません。私たちが一貫して申し上げているのは、それを「三徴候」などで診断することに科学的根拠があるのかどうかという点、「三徴候だけでなく慎重な診断をしている」と言われますが、その診断は一体どのように行われているのか、本当に慎重な診断が行われているのか、という点です。そして「わからない」ことを「わからない」と認め、これまでの誤った診断に真摯に向き合った議論をすべきではないかということです。

 本記事は、AHTの問題について「科学的に何がいえるのか」ではなく、アンケート調査の結果などから「揺さぶりによる虐待がありうる」ことを述べるのみです。しかし、これは議論の本質を捉えたものではありません(なお、本特集記事のフォーラムアンケートには、実際に「揺さぶった」という回答はありません。また、藤原医師の研究も「揺さぶった」がどの程度のものか、揺さぶりによって三徴候等が生じたのかについても言及はありません)。

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