2024年11月28日、大阪高裁第3刑事部(裁判長裁判官石川恭司・裁判官中川綾子・裁判官伊藤寛樹)が今西貴大さんに言い渡した逆転無罪判決は(以下、「高裁判決」といいます)、きわめて重要な指摘をしています(今西事件)。現時点では、弁護人にも要旨しか交付されておらず、正式な判決理由の全てが明らかになるのは数日後になるようですが、要旨として抽出された部分について、速報として、報告します。
すでにこのブログでご報告したとおり、傷害致死罪の最大の争点は、A子ちゃんの脳幹に、心肺停止を引き起こすような強い外力が加わったと言えるかでした。
まず、高裁判決は、原判決が検察側医師の証言を重視して有罪の根拠としたことについて、次のように述べます。
「(頭蓋内損傷の)機序に関する部分(引用註:どうして頭蓋内損傷ができたかを説明する部分)は、暴行の有無やその具体的態様が不明であり、被害児の体の表面に外傷をうかがわせる痕跡もないという本件の特異性に鑑みると、高度の証明力を認め得る科学的推論には当たらず、間接事実 (同児の体に傷がなかったこと、頭内の広範囲の血腫の存在) を基にした通常の推認過程をいうものにすぎないとみるべきである」
「医師らの証言は、事実関係の有無・内容だけではなく、各自の医学上の専門的知見及び経験を基にした評価・判断を含み、一般的な信用性判断と併せ、科学的証拠としての観点から各証言が有する証明力の範囲・程度を見極める必要があるが、原判決の説示を通じてみても、犯罪事実の認定証拠となった各医師の証言の相互関係、各証言が有する証明力の程度や限界等を踏まえた検討が十分に行われたとはいい難い」
少し分かりにくいかもしれませんが、つまるところ医師の証言には医学以外の「通常の推認過程(常識)」として評価すべき部分が含まれているのだから、医師の証言だからといって、その全てを専門家の意見だとして盲目的に信用すれば良いというものではないということです。高裁判決が、なぜこのようなことを述べたかというと、原判決は、根拠のない憶測にすぎないような検察側医師の証言部分まで、無批判なままに鵜呑みにしたとしか考えられないからです。そのことを端的に述べているのは次の部分です。
「原判決は、被害児に加えられた外力が交通事故と同等とした検察側脳外科医師の見解につき、『交通事故といっても、態様はさまざまであり、人の手によって加えることができないものだとはいえない』とし、次いで、検察側解剖医も『そのような外力を人為的に加えることは十分可能であるとしている』と説示した。しかし、脳外科医師は、被害児にびまん性脳損傷を生じさせる程度の頭部への外力として、頭部に相当強度の衝撃を与える交通事故の態様を念頭に置き、布団上への投げ付け等もこれと同程度の威力を有するものを想定していたとみるのが相当であり、解剖医証言にある打撲の態様とは相違があるし、脳外科医のいう投げ付け等の行為は、それが布団上であっても当時2歳4か月の被害児に対し、頭部を含む身体外表に外傷を残すことなく、交通事故に比肩する程度の外力を加え得るものかどうかは、健全な常識に照らしてみても相当に疑問がある。原判決の説示は、具体的な事実を想定せずに憶測をいうものであって、合理的な理由となっていない。そして、解剖医は被害児の頭部に柔らかい物体による頭頂、左右側頭等から複数回の強い打撲があったと判断し、これは手のひら、クッション、布団等を介する形で強い力が働けば可能である旨述べたが、同児の体表に痕跡がなかった点を具体的、合理的に説明したものではなく、当時の被告人方内の物品の様子等を踏まえた現実的な検討が表れているわけでもない。そもそも、解剖医の見解の証明力には限界があるとみるべきであり、それのみでは被害児の頭部に強度の外力が及んだことを推認するには至らない」
ここで高裁判決が述べるように、検察側脳外科医は一審の証言で、A子ちゃんの頭部に加わった外力は「交通事故と同等」といいながら、「布団上への投げ付け等」でもそのような外力となるなどという説明をしていました。しかし、「交通事故と同等」だったはずの「強い外力」が、どうして「布団上への投げ付け」で生じるのか、そもそもその証言は矛盾しています。さらに、「布団上への投げ付け」であったとしても、交通事故と同等の「強い外力」が加わったというのであれば、A子ちゃんの外表にはそれに見合った痕跡が残るはずです。しかし、A子ちゃんにはそのような痕跡はありません。「布団上への投げ付け」などというのは、「外表に痕跡がない」ことの矛盾をごまかそうとしているだけで、「布団上への投げ付け」を推測させるような証拠は皆無です。原判決が「交通事故といっても、態様はさまざまであり、人の手によって加えることができないものだとはいえない」などと述べているのも、上記のような矛盾をごまかそうとする辻褄合わせにすぎません。
解剖医の証言も同様です。解剖医は、一審の証言で「被害児の頭部に柔らかい物体による頭頂、左右側頭等から複数回の強い打撲があったと判断し、これは手のひら、クッション、布団等を介する形で強い力が働けば可能である」と述べたのですが、「手のひら、クッション、布団」を介した打撃で、どうして「強い力が働く」のか、どうして「可能」と言えるのか、全く不明です。「柔らかい物体」云々も、脳外科医の証言と同じく、外傷の痕跡がないこととの帳尻合わせにすぎません。
科学の世界で重要なのは、科学者を標榜する人たちの「意見」そのものではなく、根拠であり、根拠を支えるエビデンスです。これに対し、脳外科医にしても、解剖医にしても、根拠も示すことなく、単なる「意見」を述べているにすぎません。EBM(Evidence Based Medicine=エビデンスに基づく医療)では、エビデンスの質が問われることになりますが、EBMの評価では「患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」はエビデンス・レベルとして最低ランクとされるのです。筆者は、SBS/AHT事案で知己を得た生体工学・物理学にも造詣の深い松浦弘幸先生(医師、医学博士、理学博士、工学博士)に、弁護側証人に立っていただいたことがありますが、松浦先生には、科学的な解明には実証データが不可欠であること、特に物理の世界において、少なくとも実験等によるシミュレーションもなく推測を述べることが許されないことを繰り返し教えていただきました。科学である以上当然のことのはずですが、その当然のことが、多くの場合なおざりにされているのです。原因として外力を論じるのであれば、医学的所見を超えて生体工学や物理学の知識が不可欠ですが、そもそも脳外科医も解剖医も生体工学・物理学についての基本的な知識はありません。つまり自らの専門領域での知見を述べたにすぎません。このような観点からすれば、本件の脳外科医、解剖医の「意見」は、適用範囲を超えているのです。高裁判決は、「被害児の頭部にどのような外力がどの程度加われば、…(本件の)頭蓋内損傷が生じるかという機序は医学的見解のみで立証されるべき事実とはいい難」いとしますが、医師が物理学の専門家でない以上、妥当な判断であると言えます。そして、原判決が両医師の「意見」を鵜呑みにしたことについて、高裁判決が「原判決の説示は、具体的な事実を想定せずに憶測をいうものであって、合理的な理由となっていない」とするのもきわめて正当です。
いろいろ述べてきましたが、実は本質的な話は簡単です。A子ちゃんの頭部には、外力が加わった痕跡がありません。にもかかわらず、頭蓋内深部にある脳幹に外力が及んだとするのが、不自然・不合理なのです。「本件は、被害児の身体表面に外傷の存在を示す痕跡がなく、暴行の有無やその具体的態様が明らかではないという特異性を有する事案であるから、同児の心肺停止を引き起こした原因が犯罪としての暴行であり、その行為者が被告人であるとして帰責させるためには、前提として、同児の頭蓋内損傷が外傷性のものであり、その脳幹部に及ぶ脳損傷が心肺停止の原因となったことが合理的な疑いを入れる余地のない程度に立証される必要がある」「同児の身体表面に痕跡を残さず、脳深部まで強度の外力が及び得ることを示す具体的な事実の立証を伴って、初めてその推認が十全に働」くとしていますが、要は検察官に対し、「外力の痕跡がないのに、脳の深部に強い外力が加わったと納得できる証明をしなければなりませんよ」と述べているのです。それこそ常識的な立証を求めているにすぎません。検察官は、そのような常識的な立証ができていませんし、有罪とした「原判決には論理の飛躍があり、是認し難い」(高裁判決)のは明らかです。
高裁判決は、原判決が「外力による脳幹損傷」の根拠とした「脳幹融解」等の他の医学的所見についても重要な指摘をしています。原判決は、解剖医が証言した「解剖時の脳幹融解」について、脳外科医の証言に基づき、「レスピレーター脳ということでは説明がつかない」「(本件では)脳幹が著明に融解するという逆転現象(が起こっている)」、脳外科医の証言する内容が「医学的に一般的な知見であると認められる」などと認定しました。このような原判決の認定に対し、弁護側は控訴審において、医学的にみて非常識な脳外科医の独自説を、医学の素人である裁判所が「医学的に一般的な知見である」と認定したもので、およそ許されない認定であると強く批判していました。これに対し、高裁判決は、「被害児の大脳や脳幹部の融解がレスピレーター脳としてのものであった可能性がある点について、これを排斥し得る程度に十分な論拠が示されたとまではいえない。被害児の脳組織の融解程度等に関する解剖医の見解は、同児の入院期間中にレスピレーター脳の状態になるなどし、大脳や脳幹部の融解が進んだ可能性についての検討が十分ではなかった疑いが残」(る)、「大脳と脳幹の融解程度が逆転しているとする点は顕著な特徴とみることができず、その前提自体に疑問がある」としました。また、「検察側脳外科医が被害児にびまん性脳損傷が生じた根拠とした点のうち、脳幹周囲のくも膜下出血、びまん性脳腫脹は、弁護側脳外科医の証言に照らせば反証等の余地を残すものであり、(検察側脳外科医が証言した)大脳白質深部に多発する挫傷性血腫の点は、頭部CT画像の読影の在り方等に疑問を差し挟む余地がある」としたのです。いずれも弁護団が、検察側医師証言及び原判決の認定について、控訴審で強く批判していた論点です。高裁判決は、弁護側主張を全面的に認めたものと言えるでしょう。結局、検察側が「脳幹への強い外力」の根拠とした医学的知見は、完膚なきまでに否定されたと言えるのです(なお、高裁判決は解剖医の医学的な見解について「基本的な信用性が認められる」としています。弁護団としては、解剖医の医学的な見解には様々な問題があり、「基本的な信用性」そのものに大いに疑問があると考えています。しかし、すでに述べたとおり、高裁判決も、解剖医の信用性に留保をつけた上で、脳幹への外力についての立証はできていないと正当に認定していますので、この問題にはこれ以上踏み込まないこととします)。
今西事件に限らず、SBS/AHT仮説をめぐって、多くの医師の先生方と接してきました。どの先生方も、虐待は許されないとともに、えん罪も許されないということで認識は共通しています。ところが、今西事件のような明らかなえん罪事件において、検察側の立場で立たれる先生方のご意見は、「虐待」認定の正当性を強調しようとするあまりか、いささか強引としか思えない内容がよく見られます。その背景には、虐待を許さない、という強い正義感があると思われます。しかし、高裁判決が示したように、まずは科学的な見地からの冷静な議論が必要です。どれだけ医学や関連分野が進歩したとは言っても、分からないことは多く、医学的所見のみで虐待を認定することは、多くの場合不可能です。
高裁判決は、医師の意見について「科学的証拠としての観点から…証明力の範囲・程度を見極める必要」を指摘していますが、専門家証言の評価と、それに基づく事実認定の在り方について、重要な問題提起です。このような問題提起を、今西事件の特異な問題としてやり過ごすべきではなく、科学的証拠をめぐる重要課題として、司法界、医学界、さらには関係する諸分野全てにおいて、広く検討していくべきです。