大阪地裁令和4年12月2日無罪判決が示した重要判断ー除外診断と確定診断を混同すべきでない

 生後7か月の赤ちゃんが突然死し、父親が窒息死させたなどとして起訴された事件(罪名は傷害致死)で、大阪地裁(第2刑事部 西川篤志裁判長、久禮博一裁判官、伊藤佳子裁判官、裁判員裁判)は、令和4年12月2日、父親に無罪判決を言い渡し、検察側は控訴せずに確定しました。赤ちゃんの突然死の原因は、いわゆる乳児頭部外傷とはされておらず、SBS/AHT事案ではありませんが、起訴がなされた判断枠組にはSBS/AHT事案と共通する冤罪の問題があり、無罪とされた理由も無罪判決が相次いでいるSBS/AHT事案の構造と共通しています。そこでは、今後の冤罪事件を防ぐために、重要な判断・教訓が示されていると言えます。

この事件の冤罪被害者の篠原遼さんについての関テレ報道ランナーの特集がYouTubeにアップされました。

 判決によると、本件は2019年5月19日午後9時ころ、お父さんの篠原遼さんが生後7か月の赤ちゃんを自宅で入浴させている途中に、突然赤ちゃんが心肺停止に陥ったことが問題とされた事案です。検察側証人にたった法医学者のK医師(大阪高裁で逆転無罪となった令和元年SBS/AHT判決事案(山内事件)同令和2年判決事案において、いずれも一審で溝口医師とともに、検察側医師として「揺さぶり」が原因だと証言した医師です)は、赤ちゃんの「①死因は解剖、検査等による科学的(医学的)証拠及び警察等の捜査により得られた客観的状況征拠を総合して判断すべきであるとした上で、本件では解剖や検査から考えられる死因を否定することで、可能性のある死因を導き出すという除外診断の方法で死因を判断すべきであり、②乳児には急死所見が認められる一方で、心臓突然死等の内因性疾患による突然死は否定でき、その他外傷死、凍死、焼死、中毒死、溺死といった死因も容易に否定される結果、除外診断として窒息死が考慮され、手段として他為的な鼻口閉塞又は頸部圧迫が考えられるところ、死体に痕跡を残さない窒息死は少なくないため、死因は窒息死であると診断したと証言」しました。要は、赤ちゃんの死因として、窒息以外の原因を除外できれば、原因は窒息だと診断できるとし、本件の死亡原因は窒息であり、急変時に一緒にいた篠原さんが暴行により窒息させたと言える、というのです。

 K医師は、医学の基本を理解していないと言わざるを得ません。まず、除外診断と確定診断は別のものだからです。確かに、除外診断が確定診断につながることもあります。しかし、それはあくまで当該病状の原因(鑑別対象)が、すべて明らかになっていることが前提です。現代医学が飛躍的に進歩したとは言え、残念ながら人間の突然死の原因のすべてが明らかになっている訳ではありません。特に、乳児の突然死の原因は不明なことが多いのです。しかも、この赤ちゃんには、頚部を圧迫するなどの暴行の痕跡は何もありませんでした。本当に窒息なのか、窒息だとしてもその原因が暴行によるものなのか、その根拠そのものが怪しかったのです。

 実際、この赤ちゃんの事案では、解剖の結果、赤ちゃんの心臓に異常が見つかったほか、致死性不整脈につながる遺伝子の異常が見つかったのです。その結果、赤ちゃんが、いわゆる心臓突然死に至った可能性が浮かび上がってきたのです。言うまでもなく科学の世界は広大かつ深遠で、専門分化が進んでいます。もちろん医学も例外ではありません。むしろ医学は、専門分化がきわめて著しい分野と言えるでしょう。一人の医師が把握できる疾患は限られています。法医学者であるK医師が、赤ちゃんに見られた心臓異常や致死性不整脈、さらに遺伝子疾患の可能性について十分な医学的な知識があったとは考えられません※。にもかかわらず「心臓突然死等の内因性疾患による突然死は否定でき、その他外傷死、凍死、焼死、中毒死、溺死といった死因も容易に否定される」などと証言するのは、傲慢と言われても仕方がないでしょう(ちなみに、K医師は、前述の令和2年逆転無罪判決の原審において、脳神経外科医の多くが現在でも認めている「中村Ⅰ型」について「一般的には、もう懐疑的な状態になっています。…僕は、 中村Ⅰ型に関しては、 逆に言うと世の中を混乱させている原因の一つだと思っています」などと根拠もなく証言していました)。 

 結果として、裁判所は、「死因が心臓突然死ではなく、窒息死であったことを積極的に示す所見がない上、乳児には致死性不整脈等による突然死を誘発し得る遺伝子変異が存在したことなどからすれば、K医師がいうように乳児が窒息死以外の死因によって死亡した可能性が除外できているとはいえず、医学的事実から乳児の死因を窒息死とは即断できない」として無罪としました。外力ではなく、内因による心臓突然死が問題となる点で、今西貴大さんの事件とも共通します。

 ちょうどこの記事を書いている途中、アメリカ・ラスベガスでSBSによる殺人を疑われた母親に対する検察官の公訴の取消がなされたとの報道に接しました(December 21, 2022, Las Vegas Review-Journal “Murder charge dropped against Las Vegas woman arrested in baby’s death”)。報道によると、生後2か月の赤ちゃんが突然死した事例ですが、その赤ちゃんには、「鎌状赤血球貧血症」(sickle cell anemia)という稀な疾患があり、心肥大と血流低下、心停止に伴う頭蓋内出血があったのですが、その出血から検察側医師によってSBSと誤診されていたということです。内因による心臓突然死が問題となった点で、本事例や今西事件と類似しています。

判決ではさらに重要な指摘がなされています。「被告人は、普段から、入浴だけでなく、離乳食を与えるなど、乳児を慈しんでいた事実が妻の証言等により認められ、そのような被告人が乳児に対して窒息する程度の暴行を加えなければならないような動機も全く窺われないのであって、被告人の言動や当時の状況等から死因が被告人の暴行による窒息死とは認定できないし、既に検討した医学上の事実と合わせてみてもその結論に変わりはない」というのです。これは、前述の大阪高裁逆転無罪判決(山内事件)が「本件は、客観的な事情から、被害児の症状が外力によるものとすることもできないし、被告人と被害児の関係、経緯、体力等といった事情から、被告人が被害児に暴行を加えると推認できるような事情もない。むしろ、医学的視点以外からの考察では、被告人が被害児に暴行を加えることを一般的には想定し難い事件であったといえる」としたのと全く同じ構造です。そもそもK医師は、篠原遼さんに会ったこともなく、その人柄、家庭環境、生活状況など何も知りません。何重の意味でも、篠原遼さんの暴行だとするK医師の証言や、それに依拠した検察官の訴追は根拠がなかったといえるのです。

 除外によって、その原因や行為者が推定できるかのような議論は、SBS/AHT論でも繰り返しなされてきました。「SBS/AHT の医学的診断アルゴリズム」にでてくる「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3m 以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくても、SBS/AHT である可能性が極めて高い」や、厚生労働省の『虐待対応の手引き』の「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷起点不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」などの記述は、「高位落下」「交通事故」のほか「出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患」さえ除外できれば、原因は暴力的な揺さぶりだと推定できるかのような内容となっており、現に、従前はそのような推定に基づいて多くの虐待認定がなされてきました。しかし、三徴候の原因として、様々な内因が明らかとなり、安易な除外から揺さぶり認定などできないことが明らかにされてきています(オハイオ州の再審開始決定も参照)。

そもそも医師の診断対象は、患者の医学的症状です。その原因が暴行による窒息だとか、強い揺さぶりだとか、といった判断は、多くの医師にとって、その専門領域を超えているはずです。特に、除外対象については一人一人の医師にとって専門外の領域に及ぶはずです。一人の医師があたかもすべての疾患が除外できたかのように述べることが適切とは思われません。しかも、除外診断と確定診断の混同のように、医師の推測の論理そのものに基本的な誤りが見られることも、決して稀ではないのです。しかし、日本の刑事司法では、根拠の乏しい医師の鑑定が、専門家の意見だとして無批判に受け入れられてきたと思えてなりません。

 医師の鑑定の在り方については、誤判を防ぐために、様々な見直しとルール化が必要です。建設的な議論が求められていると言えるでしょう。

 

 

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