朝日新聞「揺さぶり相次ぐ無罪・処罰と乳幼児の安全区別し判断を」へのコメント

 12月21日付の朝日新聞朝刊に、大久保真紀編集委員によるSBS/AHT事件に関する「記者解説・揺さぶり相次ぐ無罪」(以下、本件記事といいます)が掲載されました。SBS検証プロジェクト共同代表の秋田・笹倉のコメントも掲載されていますが、本記事には全体として重大な問題があると考えています。

 以下、その問題点のうち、いくつかを指摘します。

1.無罪判決の原因は?

 本件記事は、SBS/AHT事件で無罪判決が相次いでいる根本的な理由について分析を加えていません。

 「病気やソファから落ちたことによって頭部の出血などが起きた可能性があると弁護側が主張、裁判所がそれを認める形で無罪判決が相次いでいる」という事実を指摘した上で、「大阪高検検事」の論文を引用し、「裁判員裁判で医療記録や解剖記録、あざの写真などの重要な客観証拠が、裁判員には理解しがたいまたは刺激が強いとして採用されないこと」を無罪判決多発の原因として挙げるにとどまっています。「大阪高検検事」の論文は、あたかも「重要な証拠が採用されなかったから無罪になったのだ」と主張するかのようです。

 しかし、これまでの無罪判決では子どもの症状に低位からの落下や静脈洞血栓症など、他の原因があった可能性が高いことが明確に指摘されています。そもそも、裁判員裁判以外による無罪判断の方が多いのです。これらの事実にもかかわらず、「大阪高検検事」の論文の当該部分を引用することはミスリーディングです。

 それどころか、本件記事は、これまでの無罪判決で指摘されてきたSBS理論自体の問題点や検察側証人の証言の問題点などについて一切指摘しません。これらの諸点に関する指摘や分析なくして、SBS/AHT事件で多発している冤罪原因を検証し「過ちに学ぶ」ことなどできるのか疑問です。事実を重視しなければならない「中立的」なメディアとしては、これまでの無罪判決の理由をもっと深く掘り下げるべきだったのではないでしょうか。

 大久保記者には上記の諸点を今後分析していただき、すでに過去に有罪判決が言い渡されていた事案についても問題がなかったかを検証していただきたいと思います。これこそが、児童虐待問題をいっかんして取材してこられた記者としての責任ではないでしょうか。


2.無実の養育者と子どもを引き離すことは「福祉的保護」として正当化されるのか?

 本件記事には、「AHTを疑ったものの親に否定されて帰宅した乳児が再び重篤な状態で運び込まれた、という経験のある医師は少なからずいる」「ある児相がAHTの疑いで乳児を保護。親は否定したが、あざがあったため施設入所とし、数年後に親元に帰した。……何年も後に、障害の原因は自分が強く揺さぶったことだと親が告白したという」というような記述があります。このような話はSBS理論の推進論者によってよく出されますが、具体的な事案の内容を聞くことはこれまでできていません。本件記事の上記の記述にも、いつ頃、どのような事案でこのような事実があったのかは明示されておらず、詳細は不明です。

 これらの記述をした意図は、「無罪判決が出たからといって『無実』ではない」ということを強調したいがためでしょう。実際に、本件記事は「無罪は他の可能性を否定できなかっただけで、無実を意味するものではない。社会は冷静に受け止めてほしい」という小児科医のコメントを掲載しています。

 本件記事は、この問題に関する最大の当事者たる、子どもを虐待したとの疑いをかけられ、誤って子どもと引き離されたり刑事訴追されたりした養育者の声を実際に取材した上で書かれたものなのか、甚だ疑問です。無実の養育者とこどもを引き離すことが「福祉的保護」として正当化されるのでしょうか?このことこそ、本当に検討されるべき内容なのです。

 SBS/AHTの疑いによって誤った子どもとの引き離しが行われてしまうことは子どもにとって重大な影響を与えます。このような悲劇を防ぐためにどうすればよいのかということが、無罪判決が多発し、検察側医師の証言の問題点が指摘されている現状において論じられるべきことなのではないでしょうか。

 「実際に虐待をする親もいる、だから福祉的保護は許されるのだ」という主張は、現在我々が直面している問題については何の解決策も与えないのです。

 本件記事がえん罪被害者の苦しみや悲しみ、SBSえん罪が家族に与える重大な負の影響について真に理解して書かれたものなのか、甚だ疑問です。

3.「建設的な議論」とはなにか?

 本件記事は、「小児科医ら」と私たちSBS検証プロジェクトの「対立が先鋭化し、議論はかみ合わない」と、現在の議論状況を評価します。そして、その解決策として、①第三者的な研究者や学術団体が主導して双方の立場の専門家を学際的に集め、共通認識と相違点を確認する、②複数の専門家による共同鑑定の導入なども考えていくべきである、③(児相においても)親が否認しているからといって長期間面会させないような硬直的な対応には改善の余地があり、職員同席で面会の回数を増やす、あるいは親子で施設に入所してもらって様子を見ながら対応する、などを提案します。

 これらの諸点はまさに我々がこれまで提案してきたものです。本件記事の取材の中でも大久保記者にこれらを説明しました。我々の主張を御自分の考えとして解決策の中で提示されるのはいいのですが、我々がこの間、児童相談所側の弁護士や多領域の医学者との研究会・勉強会を行うなど、建設的な議論をする努力を重ねてきていることにも言及していただきたかったです。

 「建設的な議論を深める」ためには何が必要なのか、事実に向き合った上で報道していただきたいと思います。我々はいっかんして、「虐待は許されてはならないが、冤罪も許されてはならない」と主張してきました。まずは冤罪事件が実際に起こっていることを直視した上で、これらの事件における冤罪原因がどのようなものであるか、解決のためには何が必要なのかを問わなければなりません。そのために、我々は様々な科学的な検討を試みてきました。このことを踏まえた上で、建設的な議論を阻んでいる原因を分析すべきだったのではないでしょうか。

 なお、大久保真紀記者が以前2020年7月19日に執筆された記事「赤ちゃん、泣きやまない時」については、別途、秋田笹倉がコメントを載せています。そちらも是非お読み頂ければと思いますが、その中で引用した大久保記者ご自身のことばを再度引用いたします。

「冤罪事件の被害者たちの身に何が起こったのか、どういう状況で冤罪事件が起こったのか。もっと真摯に、もっと真剣に、私たちは自分のこととして考えるべきだ。そうした事件を二度と起こさないために、冤罪の被害者を二度と出さないために、必要なことは何なのか。そのことを本当に真剣に考えている人が、どれだけいるのだろうかと思わずにはいられない。為政者や国の政策をつくる人たちは、自分は「被害者にはならない」とたかをくくっているのかもしれない。同じような冤罪事件が繰り返されている歴史を見れば、明日は我が身の問題であることを自覚するべきだ。そうした想像力をもつことが、私たちに一番必要なことではないだろうか。過去から学べない社会に、未来はない」。(大久保真紀「『明日は我が身』と思えるか――志布志事件の取材を経験して」『シリーズ刑事司法を考える・第0巻 刑事司法への問い』(岩波書店、2017年)114、119頁)。

 SBS/AHTをめぐる対立の激化を危惧されているのであれば、まずは当事者の声を聞いた上でどのように建設的な議論をすればよいのか考えていただきたいと思います。

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