米国の2つの重要な裁判例について(2)

《(1)のつづき》

3.カバゾス対スミス事件判決について

(1) つぎに、カバゾス対スミス事件における連邦最高裁の判決について見てみましょう。

 溝口医師の解説には、次のような指摘がありました。

〔SBS検証プロジェクトが〕「本当に中立的な立場で検証を行っているのであれば、2011年の米国の最高裁判決(Cavazos v. Smith, 565 U.S. 1 (2011))についても触れるべきである。このSmith事件において米国最高裁は「SBS否定派」のUschinski、Squire〔ママ〕、Donohoe, Bandakらの「新しい研究」を完全に否定している。」(同書「訳者による解説」375頁、強調は引用者)

 この記述は正しいのでしょうか。

(2) カバゾス対スミス事件(Cavazos v. Smith, 132 S.Ct. 2 (2011))は、次のような事件です。

 1996年11月29日に生後7週間の男児が亡くなりました。被告人スミス氏は男児の祖母でした。男児の母親が男児をソファで寝かし、別の部屋で昼寝をしていました。その数時間後、別室にいたスミス氏が男児を抱えて母親の部屋に飛び込み、男児の様子が何かおかしいと告げたのです。救急隊員が到着したときには男児の呼吸は停止していました。スミス氏は、男児がソファから転落したのではないかと言いました。男児はそのまま意識を回復せず、死亡しました。

 当初、医師たちはSIDS(乳幼児突然死症候群)であると考えていましたが、その後、検視官がSBSであると結論づけたのです。スミス氏は、男児の意識を回復させるために揺すったと供述しましたが、その後、自分は揺さぶっていないといいました。しかし、男児を死なせたとして逮捕・起訴されます。

 スミス氏の公判には、検察側から三人の医師が呼ばれました(小児科医チャドウィックおよび2名の法医学者)。弁護側からも本件がSIDSであると結論づけた医師を含む二人の医者が証言しましたが、陪審はスミス氏が有罪であるとの評決を下しました。量刑は、15年以上の不定期刑でした。

 直接上訴手続において、スミス氏は本件がSBSではなかったと主張します。しかし、カリフォルニア州控訴裁判所は、専門家証言が対立している場合にいずれが正しいかを判断するのは陪審の役割であるとして控訴を棄却。州最高裁も上告を棄却しました。

(3) 人身保護請求手続

 その後、スミス氏はSBSによって男児が亡くなったことを証明するための証拠が不十分であるとして、連邦地方裁判所へ人身保護請求を行いました。連邦地裁は請求を棄却しましたが、スミス側による異議申立てがなされ、連邦第9巡回控訴裁判所は原決定を破棄しました(Smith v. Mitchell, 624 F.3d 1235 (9th Cir. 2010))。

 連邦控訴裁判所は「暴力的な揺さぶりによる死亡を根拠づける証拠」はなく、「専門家による結論のいずれが正しいかを判断する証拠はなかった」、「証拠がないのであれば、合理的な疑いを超えた立証があったとは認められない」、そのような判断をすることは、連邦最高裁の先例(Jackson v. Virginia, 1979年)に反するとしたのです。

 この判断への上告が連邦最高裁に対して行われたのが本件でした(なお、州の連邦控訴裁判所はそれまでに2回(2006年と2007年)、スミス氏の有罪判決を破棄すべきであったという判断を行っていましたが、いずれの判断も連邦最高裁により破棄され、本件が連邦最高裁に係るのは3回目でした。これに先立つ2006年、すでに連邦控訴裁判所はスミス氏に「誤判の疑いがある」と判断していました(Smith v. Mitchell, 437 F. 3d. 884 (2006))が、この判断を受け、スミス氏は同年、刑務所から釈放されていました。)

 さて、連邦最高裁が、連邦控訴裁判所の判断について問題があるとしたのは、上記・先例(Jackson事件判決)の解釈の点でした(Cavazos v. Smith, 132 S.Ct. 6-8)。

 有罪判決を支えるための証拠が十分であるというためには、「もっとも検察側にとって有利に証拠を見たときに、合理的な事実認定者であれば、いかなる者も合理的な疑いを超えて犯罪の重要な要素を認定することができた」ことが必要であるとJackson判決が判断したと読むべきだ、と連邦最高裁の多数意見はいったのです(同6頁)。

 本件でも、男児の死亡について、陪審公判の段階では検察側・被告人側から異なる証拠(医学的証言)が提出されていました。その経過やそれらの証拠に基づいて陪審が判断をしたという事実をみれば「陪審の判断が合理的なものとはいえない」という連邦控訴裁判所の判断は誤りである、というのです。そこで、このような技術的な理由から、連邦最高裁は控訴裁判所の判断を破棄しました。

 以上の経過や判断の内容を読めば、「米国最高裁は「SBS否定派」のUschinski、Squire〔ママ〕、Donohoe, Bandakらの「新しい研究」を完全に否定している」との溝口医師の記述が誤りであることは明らかです。連邦最高裁は、そのような言及をまったくしていません。

 むしろ、連邦最高裁は、次のように言及しています(同7頁)。

 「スミスが実際にも有罪といえるのかという点について疑念があることも理解できる。しかし、それについて判断することは当裁判所の仕事ではない」と。また、連邦最高裁は、スミスがすでに長期の服役をしたことから、恩赦を認めるべきでないかとの議論があることにも言及し、この点についても理解を示した上で、恩赦手続については司法の役割ではなく行政府の判断に委ねるとしています。

(4) なお、連邦最高裁の判決には、ギンスバーグ判事ら3名による反対意見が付されています。反対意見の概要を記しましょう。

①反対意見は、連邦地裁がスミス氏からの請求を棄却しつつも「本件公判における証拠によって有罪判決は支えられるが、多くの疑問もある」と言及したうえで、次のように述べた事実を指摘します。つまり「スミス氏は祖母であり、そもそも祖母はSBS事件で典型的な加害者とされるような人ではない。スミス氏は男児の母親が子育てをする手助けをしており、他の子どもたち(4歳児、14ヶ月児)の面倒を見ていたが、これらの子どもに危害を加えたということはまったくなかった。さらに、男児に対して急に危害を加えるような動機も見られない。一人で子育てをしていたという状況もなかったし、男児は事件当時、寝ていただけであった。また、母親は隣室にいた。医学的証拠も典型的なものではなかった。典型的な症状が本件では見られなかった」。

 そして、反対意見は、「本件はとても悲劇的で特殊な事件である、この事件に当裁判所が介入してしまうことで、スミス氏の苦しみや家族からの分離を長くするだけではないか、介入は必要なのかということが問われるべきである」と、控訴裁判所の判断を破棄した連邦最高裁の法廷意見を鋭く批判します。そして「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)について分かっていないことは、スミス氏が問われている犯罪に大きな疑念を投げかける。そして、彼女が家族やその他のものに対して全く危険性がないことには争いがない」と言及したうえで、本件証拠についても詳細な意見を述べています(同9頁以下)。

② 要するに、反対意見は、本件の公判段階(1997年)以降に展開されたSBSをめぐる議論に鑑みれば、検察側の証人はもはや当時と同じ証言をしないのではないか、SBS仮説について現在分かっている事実を考慮したうえで当裁判所は判断を行うべきであったのではないか、というのです(同11頁)。控訴裁判所の判断は正しかったのだから、それに最高裁が介入すべきではないというのです。

 3人の判事が、SBS理論に関するその後の展開に鑑みて、スミス氏には救済が与えられるべきであると強く考えていることがよく分かります。

(5) スミス事件のその後

 さて、スミス事件はその後どうなったのでしょうか。

 連邦最高裁の法廷意見が恩赦の可能性にも言及したことを受けて、弁護人はカリフォルニア州知事にスミス氏の恩赦の申立をしました。そして、州知事はこの事件の経過について言及しつつ、「スミス氏の有罪判決には重大な疑義があることが明白である」と言って、恩赦を認めたのです。恩赦の書類を含め、事件のその後については、こちらの記事(英語)をお読み下さい。

 以上、カバゾス対スミス事件を詳細に見てきました。本件で、SBS理論に対する批判をする論者たちの議論がまったく否定されたという指摘は正しくありません。

 連邦最高裁は、この点についてまだ判断を行っていないというのが、正確な捉え方でしょう。

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