AHT共同声明の問題点(その2)-チャドウィック医師の確率の誤謬

AHT共同声明」には、循環論法(循環論法の問題点はこちら)以外にも様々な問題点があります。例えば、「共同声明」には、「例えば、チャドウィックらは、低位落下の研究の中で低位落下による死亡は5歳以下の子どもにおいて年間100万人あたり0.48人であると言及した」という表現がでてきます。これはすでにこのブログでも詳しく説明した「確率論の誤謬」です。ところが、「共同声明」では、そのような誤謬も前提の中に隠されてしまい、一読しただけでは判らないのです。同じような議論は日本の論者にも見られます。

例えば、最近日本小児科学会がホームページで公表した「乳幼児揺さぶられ症候群について」と題する文章には、「実際に SBS の診断に懐疑的な医師は 4.8%に過ぎません(J Pediatr. 2016 Oct;177:273-278.)。おそらく、この割合はワクチン否定派の医師の割合とそうは変わらないだろうと推定いたします。」という表現がでてきます。この4.8%という数字は、ナーランというアメリカでSBS/AHT理論を主導する医師が、アメリカの10の子ども病院の1378名にアンケート結果をし、最終回答をしてくれた628名(回答率46%)のうち、30名が懐疑的な意見を述べたことを根拠にしています。そもそも、ナーラン医師が選んだ子ども病院の医師たち(ナーラン医師自身が、AHTを疑う事例に最もよく取り組むという虐待小児科医などを特定したとしています)だということで偏りがありうる上、最終回答をした医師の見解を基にしていることでさらに偏りが高まってしまいます。ナーラン医師のアンケートに最終回答してくれる医師は、ナーラン医師の見解に好意的な立場の医師が多くなりがちだからです。これは統計学では「選択バイアス」と呼ばれるものです。このような母集団では、懐疑的な意見が少数派になるのはある意味で当然と言えるのです。

さらに問題なのは、「ワクチン否定派」という比較対照を持ち出していることです。まず「ワクチン否定派」の率の算出根拠が示されていません。ただ、それにも増して問題なのは、比較対照群の選択が不適切だということです。たしかに上記のブログでも指摘しましたが、適切な比較のない「裸の」確率論はそれ自体が問題です。しかし、だからといって、逆に不適切な比較を持ち出すのは、別の誤解を招きます。今回の場合、「ワクチン否定派」という比較対照群を持ち出した根拠は何ら示されていません。ただ少なくとも言えるのは、「ワクチン否定派」をマイナスイメージとして持ち出していることが明らかだということです。そのようなマイナスイメージと比較することによって、SBSに懐疑的な意見にもマイナスのレッテルを貼ろうとしているとしか考えられないです。いわゆるラベリングであり、マイナスイメージを固定化するために悪用されかねない手法です。

 確率論として、真に科学的な比較するのであれば、SBS/AHT理論に予断をもたない中立的な医師に(そのような医師がいるかどうかは問題ですが)、肯定論、懐疑論双方の見解を同程度聞いてもらった上で、肯定派になるのか、懐疑派になるかを調査しなければなりません。しかし、実はそれ自体が問題です。医学の正当性は多数決で決めるものではないからです。多数決ではなく、証拠と根拠の妥当性によって判断されるべきものです。多数説であった科学的知見が後に誤りだと明らかになった例は、いくつもあります。そもそも「多数派であること」を持ち出して、自己の正当性を主張しようとすることがおかしいのです。

もっともらしい確率論に惑わされないようにしたいものです。

3 replies on “AHT共同声明の問題点(その2)-チャドウィック医師の確率の誤謬”

  1. […]  以上に関連して、最近「SBS/AHTは存在する」という再反論がよくなされているようです。この再反論は、アメリカの小児科学会(American Academy of Pediatrics)などが(日本小児科学会も賛同しています)、2018年5月に発表した共同声明(Consensus statement on abusive head trauma in infants and young children–Pediatric Radiology誌所収)が、「AHTが存在するということについての医学的妥当性には争いがない」” There is no controversy concerning the medical validity of the existence of AHT.”などとしたことを受けてのものと思われます。この共同声明は循環論法、確率の誤謬、自白依存など多くの問題点を含んでいます。ここでは、まず「SBS/AHTは存在する」という再反論に端的に表れているとおり、その議論の立て方が根本的に誤っていることについて触れましょう。事故による頭部外傷がある以上、虐待による頭部外傷が存在しうることは当たり前です。先にも述べたとおり、私たちは、虐待の存在そのものを否定もしていませんし、その擁護もしていません。画像等の医学的所見では、虐待か、事故か、あるいは内因性のものかは、「鑑別(区別)できない」ということを問題にしているのです。仮に「揺さぶりによって三徴候が生じる」という命題が成立するとしても(かなり疑わしいのですが、そのことは別として)、「三徴候がそろえば揺さぶりだ」などと言えないのは、「逆は必ずしも真ならず」という論理学の初歩です。ところが、SBS仮説を主導する人たちの議論を丁寧に分析していくと、同様の初歩的な誤りが多く見られるのです。先の「SBS/AHTは存在する」という再反論はその典型です。 […]

  2. […]  以上に関連して、最近「SBS/AHTは存在する」という再反論がよくなされているようです。この再反論は、アメリカの小児科学会(American Academy of Pediatrics)などが(日本小児科学会も賛同しています)、2018年5月に発表した共同声明(Consensus statement on abusive head trauma in infants and young children–Pediatric Radiology誌所収)において、「AHTが存在するということについての医学的妥当性には争いがない」” There is no controversy concerning the medical validity of the existence of AHT.”などと主張されたことを受けてのものと思われます。この共同声明は循環論法、確率の誤謬、自白依存など多くの問題点を含んでいます。ここでは、まず「SBS/AHTは存在する」という再反論に端的に表れているとおり、その議論の立て方が根本的に誤っていることについて触れましょう。事故による頭部外傷がある以上、虐待による頭部外傷が存在しうることは当たり前です。先にも述べたとおり、私たちは、虐待の存在そのものを否定もしていませんし、その擁護もしていません。画像等の医学的所見では、虐待か、事故か、あるいは内因性のものかは、「鑑別(区別)できない」ということを問題にしているのです。仮に「揺さぶりによって三徴候が生じる」という命題が成立するとしても(かなり疑わしいのですが、そのことは別として)、「三徴候がそろえば揺さぶりだ」などと言えないのは、「逆は必ずしも真ならず」という論理学の初歩です。ところが、SBS仮説を主導する人たちの議論を丁寧に分析していくと、同様の初歩的な誤りが多く見られるのです。先の「SBS/AHTは存在する」という再反論はその典型です。 […]

  3. […] 酒井論文の最大の問題点は、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」との一文に端的に表れています。酒井弁護士は、ご存じなかったようですが、このブログで、繰り返しこの共同声明(以下、「AHT共同声明」といいます)について言及をしてきました。「なぜ議論がすれ違う?-”わからない”ことはわからない」、「SBSをめぐるもう一つの出版-溝口医師のSBS解説」、「2018年「AHTに関する共同声明」の翻訳を公開しました」、「AHT共同声明の問題点(その1)-マグワイアの循環論法」、「AHT共同声明の問題点(その2)-チャドウィックの確率の誤謬」、「AHT共同声明の問題点(その3)-自白への依存」、「AHT共同声明の問題点(4)-区別する基準が存在しない」などです。これらをお読みいただければ、むしろSBS検証プロジェクトは、日本において、AHT共同声明について、最も詳細に検討を加えて、発信しているグループであることがお判りいただけると思います。これに対し、酒井論文は、AHT共同声明の医学的ないし科学的根拠の正当性について言及することはなく、「『詳細な研究によれば、AHTと似た症状を呈する病気はない。しかし、法廷は、一般的に受け入れられている医学的知見と相容れない不確かな理論が飛び交う場所になっている』……とした上で、吐瀉物の誤嚥による窒息がAHTと同様の所見を呈するという主張など、SBSの反論して挙げられる多くの他の原因について、信頼できる医学的な証拠はないなどとしています」と、その結論だけを引用する形になっています。また、酒井論文は、アメリカのドーバート基準を持ち出し、山内事件逆転無罪判決の根拠となった弁護側主張まで、批判しています。そこには、AHT共同声明こそが正しく、これに批判的ないし懐疑的な議論は排斥されるべきだという発想があると思われます(なお、同じような論調は、後述する逆転無罪判決の控訴審における検察主張にも表れていました。ちなみにアメリカの裁判での実情は、酒井論文とは反対に、SBS仮説こそがドーバート基準を充たしていないという裁判例が複数でているのです。これらの点は別の機会に述べたいと思います)。 […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です