揺さぶられっ子症候群の診断には「①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷などの三主徴」(厚生労働省「子ども虐待対応の手引き」2013年)が挙げられるとされます。つまり、この「三徴候(英語で“Triad”と言います)」といわれる三つの症状がSBSの診断の際の決め手になるのです。
さて、前回の記事でお話ししたとおり、SBSの仮説は1970年代に萌芽を見せました。しかし、その理論的先駆者であるとされるカフィーは、硬膜下血腫と網膜出血にのみ注目していたのです。
それでは、いわゆる「三徴候」による診断は、いつ頃から行われていたのでしょうか。
この点は実は明らかではありません。カフィーの1970年代初頭の論文以降、1990年代後半までのいつかではないかとされています。
1998年には、SBS理論の推進者であるチャドウィックらがある論文の中で次のようにコメントしています。「揺さぶられっ子症候群(衝撃があったことを示す証拠があると否とにかかわらず)は、現在では十分に特徴付けられた診断的・病理学的疾患である。その診断的特色は、この種類の損傷にのみみられるものである。すなわち、脳の損傷に伴う脳の腫脹(脳浮腫)、頭部内の出血(硬膜下血腫)、そして眼球の内部の出血(網膜出血)である」。
また、アメリカ小児科学会は、2001年のテクニカル・レポートで、SBSについて「明白に定義できる病状」であり、「網膜出血、硬膜下またはくも膜下出血、そして頭部への外傷が存在しないあるいはほとんど存在しないこと」から診断できるといいました。そして、硬膜下の血腫、脳浮腫、両目または片目の網膜出血が揺さぶられた子どもによく見られるし、しばしば軸索損傷もみられるとされたのです。
実は論者によって「三徴候」の内容は異なります。例えばナーランは論稿の中で三徴候を「硬膜下血腫、網膜出血、意識消失又は死亡」と定義づけていますし、ヴァンションは「硬膜下血腫、網膜出血、頭皮損傷の不存在」と言います。多くの論文は、三徴候めを「脳障害(encephalopathy)」としますが、「脳浮腫」とするものも多くみられます。実は診断基準とされている「三徴候」自体、とてもあやふやなものなのです。
さて、その後、SBS理論への批判が意識されたのでしょうか。それまで「三徴候」による診断を推進してきたアメリカ小児科学会の指導者たちは、次々に「三徴候」を否定し始めます。
キャロル・ジェニーは2011年のある講演で「三徴候は神話なのです!」と公言します。2014年には、グリーリーが「三徴候は診断上何も意味を持たないし、実務では全く使われていない」と述べています。
それでは、SBS(AHT)の新たな診断基準はどのようなものなのでしょうか。この点はいまだに明らかではありません。
そして、以上の議論にもかかわらず、日本ではいまだに「三徴候」がSBSを診断するための基準として使われています。また、子どもを揺さぶって死傷したとされ刑事裁判の対象となっている事件でも、そのベースとなる診断においては「三徴候」が用いられているのです。
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*以上、三徴候に関する議論の展開の詳細については、主としてWaney Squier, Shaken Baby Syndrome and Abusive Head Trauma, in: Wendy Koen et al., Forensic Science Reform: Protecting the Innocent (Academic Press, 2017) 107, 123-127 を参照しました。
[…] 医学専門的な話になってしまいますが、SBSをめぐる刑事裁判で、「暴力的な揺さぶりがあった」と決めつけようとする検察側証人の医師は、三徴候の一つとされる「脳浮腫」の原因について、「揺さぶりによって、びまん性軸索損傷が生じたのだと推定する」と強調します。 […]