国際セミナー「SBS/AHT事件における誤診と冤罪ー内因性疾患との鑑別に関するアメリカ法医学者からの提言」ーアメリカ法医学者が警鐘をならす内因を外傷と誤診するリスク

 2024年8月9日、東京でエヴァン・マッシズ(Evan Matshes)医師を招いて、国際セミナー「SBS/AHT事件における誤診と冤罪ー内因性疾患との鑑別に関するアメリカ法医学者からの提言」(共催:SBS検証プロジェクト、一般社団法人イノセンス・プロジェクト・ジャパン、甲南大学国際交流助成金、龍谷大学矯正・保護総合センター、科研費[基礎研究C]児童虐待事件における医学鑑定に関する横断的研究/代表徳永光)が開かれました。

 マッシズ医師は、カリフォルニア州サンディエゴのNational Autopsy Assay Group(全米解剖分析グループNAAG病理学研究所)のコンサルタントであり、同研究所で法医学・病理学を実践しておられます。マッシズ医師は、法医学者であると同時に、保安官と同様に捜査権限をもち(Sheriff-Coroner Autopsy Service)、事件現場での遺体検証なども行います。これまで全米において警察・検察側、弁護側双方から鑑定を求められ、多数回法廷で専門家証人として証言に立ってこられました。2018年にはNational Association of Criminal Defense Lawyers(NACDL 全米刑事弁護士協会)の月刊誌であるChampion誌の2018年11月号に、SBS/AHT問題に取り組むRandy Papetti弁護士との共著で「Law, Child Abuse, and the Retina(法、児童虐待、そして網膜)」と題する論文を寄稿され、網膜出血をSBS/AHTの徴候であるとみなすことの危険性について警鐘を鳴らしておられます。

 今回の講演は、2023年3月にSBS検証プロジェクトの共同代表である笹倉、秋田がイノセンスプロジェクトジャパン(IPJ)のメンバーとして、国際イノセンス・ネットワーク大会のために渡米した際、マッシズ医師の研究室を訪問し、「今西事件」についてのご相談をしたことがきっかけになっています(今西事件は、IPJの支援事件の一つです。訪米メンバーのうち3名が今西事件弁護団でした)。今西事件では、2歳4か月児に見られた三徴候が外力か内因かが問題とされています。そのような相談の経緯もあり、今回マッシズ医師にSBS/AHT事件における内因の誤診リスクについてお話いただくことになったのです。

国際セミナーには、SBS/AHT事件に関心を持たれている日本の多くの医師が参加されました。マッシズ医師の講演の概要をご報告します(秋田の理解に基づくもので、医学的な監修を受けている訳ではないことはお断りをしておきます)。

マッシズ医師は、まずご自身が解剖を担当された生後8か月で亡くなった女児の例をケーススタディとして提示されました。①女児の前額部には5か所に軽微な擦過傷が認められました。②上記擦過傷以外に頭皮表面、頭皮下、頭蓋骨には損傷は認められませんでした。しかし、③頭蓋内では両側テント上のほか、後頭部、円蓋部に占拠性の相当量の硬膜下血腫が認められました。④摘出した脳は明らかに浮腫を生じていました。⑤右眼には鋸状縁に拡がる、数え切れないほどの網膜血腫、後極付近に局所性の網膜分離、⑥左眼にはより顕著な鋸状縁に拡がる数え切れない網膜血腫があり、多発性の網膜分離と黄斑皺襞が認められ、⑦両眼の視神経鞘に視神経周囲を覆う血腫もありました。つまり、SBS/AHTの三徴候、しかも「揺さぶり」の特異的所見だとされる、「両側性多発性の硬膜下血腫」や「両側性で鋸状縁に拡がる数え切れないほどの網膜血腫や網膜分離、黄斑皺襞」が認められたことになるのです(あくまで秋田の予測ですが、以上のような説明を受けただけでは、前額部にあったという軽微な擦過傷と併せて、日本の医師の多くは、「この女児は養育者に揺さぶられたに違いない」と診断されるのではないでしょうか)。

ここまで説明された上で、マッシズ医師は、ようやく種明かしをされました。この女児は、心臓疾患があり、心臓手術を受けた後に急変したお子さんだったのです。急変の原因は、術後の血栓による脳梗塞でした。術後、彼女はICU(集中治療室)で管理を受けていたのですから、三徴候の原因が外力であることはあり得ません。女児は内因で亡くなっていたのです。硬膜下血腫は内因性の「脳梗塞」「血栓症」に合併することが知られています。網膜出血、網膜分離、黄斑皺襞は、脳浮腫と内因性の硬膜下血腫の二次的な症状として発症します。

では、①前額部の擦過傷は何だったのでしょうか?これは脳波計(EEG)の端子の跡にすぎなかったのです。マッシズ医師によると、このような医療措置の結果がしばしば虐待の痕跡であると誤診されるとのことです。

この症例は、硬膜下血腫や網膜出血は、外傷のマーカーでも、暴行の故意のマーカーでもないことを示しているのです。

マッシズ医師は、生後3か月で亡くなった女児の例も紹介されました。この女児は咳や発熱といった感冒様症状で母親に病院に連れて行かれましたが、「風邪」と診断されました。翌日、女児はけいれんを発症し、その後亡くなりました。剖検の結果、硬膜下血腫、重篤な眼底出血、脳浮腫が認められたのです。しかし、脳幹には何の損傷も認められませんでした。他方で、肺に明らかな異常が認められました。肺にはカビが繁殖しており、重篤な肺炎を起こしていたのです。実は、母親がHIV(エイズ)に罹患しており、女児もHIVの感染者だったのです。そのため、肺のカビから敗血症を起こし、やはり三徴候に至っていたのです。そして、この女児の剖検で明らかになったもう一つ重要なポイントは、女児の大脳鎌内に出血が認められたことです。硬膜下血腫があると、その出血源は架橋静脈だと即断されがちですが、実際には硬膜内の血管から出血し、硬膜下に滲出することも多いのです。日本の医師にはほとんど知られていませんが、乳児は硬膜内血腫から硬膜下血腫を生じることがよくあるのです。マッシズ医師はそのことを明確に示す病理顕微鏡写真も提示されました。

マッシズ医師は、「虐待」は間違いなく存在する、その意味で「AHTは現実だ」とおっしゃいます。しかし、他方で硬膜下血腫や網膜出血が、外傷のマーカーであることを否定されるのです。静脈洞血栓症(CVST)、静脈血栓症(CVT)、低酸素脳症などの内因は三徴候の原因となるのであって、内因によって虐待と類似した(mimic)症例が生じることを考慮しなければならないとされます。外力(外傷であること)は、原因の一つの可能性にすぎないのです。

また、マッシズ医師は、統計の危険性も指摘されました。「虐待かどうか」を区別する基準がない以上、「虐待」との認定は事実ではなく、「意見」にすぎません。SBS/AHTの議論では、よく「過去の事例の〇〇パーセントが虐待」だったなどという数字が持ち出されますが、そのような数字に統計としての意味はないのです。そして、そのような数字を根拠に個別の症例を診断することは誤りです。

マッシズ医師は、3つのRが重要だとされます。「リセット(Reset)」「リフレーム(Reframe=再構成)」「リディスカバー(Rediscover=再発見)」3Rです。私たちも、虐待の存在そのものを否定しているわけではありません。虐待は許されませんが、誤った親子分離や冤罪も許されません。これまでに明らかになってきた誤った親子分離や冤罪のリスクも踏まえて、多くの疑義が指摘されているSBS/AHT仮説はいったんリセットすべきです。その上で、これまでの見方を再構成し、新たな知見を再発見すべきです。この3Rは「SBS/AHT仮説は、ゼロベースで見直すべきだ」という私たちの主張への心強い後押しとなるはずです。

マッシズ医師は、次のような言葉で講演を締めくくられました。

We know less than we think we know.(私たちが知っていることは、思っている以上に少ない)

是非心に留めておきたい言葉です。

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