朝日新聞「赤ちゃん、泣きやまない時」の問題点 その2

 すでに秋田弁護士が詳細な反論を書いていますが、2020年7月19日の朝日新聞・朝刊オピニオン面記事「(フォーラム)赤ちゃん、泣きやまない時」には、様々な疑問があります。私からも、いくつか指摘しておきたいと思います。

 第一に、SBS/AHT記事をめぐる論争の争点がどこにあるのかを、本特集記事は理解して組まれていないように思います。虐待により頭部に外傷を負う子どもがいるということには争いがありません。私たちが一貫して申し上げているのは、それを「三徴候」などで診断することに科学的根拠があるのかどうかという点、「三徴候だけでなく慎重な診断をしている」と言われますが、その診断は一体どのように行われているのか、本当に慎重な診断が行われているのか、という点です。そして「わからない」ことを「わからない」と認め、これまでの誤った診断に真摯に向き合った議論をすべきではないかということです。

 本記事は、AHTの問題について「科学的に何がいえるのか」ではなく、アンケート調査の結果などから「揺さぶりによる虐待がありうる」ことを述べるのみです。しかし、これは議論の本質を捉えたものではありません(なお、本特集記事のフォーラムアンケートには、実際に「揺さぶった」という回答はありません。また、藤原医師の研究も「揺さぶった」がどの程度のものか、揺さぶりによって三徴候等が生じたのかについても言及はありません)。

 本記事は共同合意声明についても言及しますが、声明がでたことで論争が終結したわけではないことは本ブログでも繰り返し述べてきたとおりです。本特集記事は、上記のような論争の本質的な点について、どのように答えるのでしょうか。

 第二に、これまでのSBS/AHTの判断に行きすぎがあり、冤罪が発生してきてしまったということについて本特集は正面から認めていません。

 記事は「無罪判決が多数出ている」ことには言及しています。しかし、さらにこれらの無罪事例において何が問題とされたのか、どのような問題のある診断・意見があったのかについては触れません。このような態度は、従来のSBS/AHT診断がこれらの冤罪事件に関与していたことについて反省を迫るものではありません。それだけではなく、本記事は「無罪判決が多数出ていることによって医師が虐待の通報を躊躇する。このような状況は子どもの利益にならない」と言わんばかりの記述をします。

 本特集記事を組まれた大久保真紀編集委員は、以前、志布志事件と呼ばれる鹿児島県の大規模な冤罪事件の取材にデスクとして関わっておられました。大久保記者は、志布志事件を振り返るある論稿において、次のように言及されています(なお、志布志事件では捜査官の問題ある取調べによる虚偽の自白が冤罪の原因となりました。したがって、大久保記者は当然、「自白」があやういということについては認識されているはずです)。

少し長くなりますが、引用します。

「冤罪事件の被害者たちの身に何が起こったのか、どういう状況で冤罪事件が起こったのか。もっと真摯に、もっと真剣に、私たちは自分のこととして考えるべきだ。そうした事件を二度と起こさないために、冤罪の被害者を二度と出さないために、必要なことは何なのか。そのことを本当に真剣に考えている人が、どれだけいるのだろうかと思わずにはいられない。為政者や国の政策をつくる人たちは、自分は「被害者にはならない」とたかをくくっているのかもしれない。同じような冤罪事件が繰り返されている歴史を見れば、明日は我が身の問題であることを自覚するべきだ。そうした想像力をもつことが、私たちに一番必要なことではないだろうか。過去から学べない社会に、未来はない」。(大久保真紀「『明日は我が身』と思えるか――志布志事件の取材を経験して」『シリーズ刑事司法を考える・第0巻 刑事司法への問い』(岩波書店、2017年)114、119頁)。

 大久保記者は、SBS/AHT事件で冤罪被害を受けられた方々の切実な声を真摯に聞かれたのでしょうか。また、今後、SBS/AHT冤罪の被害者を出さないために、必要なことはどういうことであると考えられているのでしょうか。本件の特集の組まれ方からは、全く読み取ることができません。過去から学べないとすれば、未来はありません。

 本記事の最大の問題点は、「子どもの利益」とは一体何なのか、という点です。本記事は、近年のSBS/AHT事件での無罪判決が虐待対応の現場に萎縮をもたらしており、子どもを守ることができない、と主張します。しかし、養育者が冤罪に巻き込まれ、長期に子どもと引き離される事態は子どもの利益になるのでしょうか。私たちが真剣に向き合わないといけないのは、本当はこのことなのです。

 大久保記者は、現在、「『AHTの過剰診断』を主張する弁護士たちと、長年虐待に取り組んできた小児科医たちの対立が先鋭化している」ことに触れつつ、特集の最後のコメントで次のように言います。

 「双方が公開の場で建設的な議論をすることはできないものでしょうか」。

 これこそ、我々がかねてから主張してきたことです。そして、もし大久保記者が本当にこのようなフォーラムの実現が必要であると真摯に考えられているのであれば、一方的な意見の掲載に終始せず、そのような場を提供していただきたいものです。

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