このブログ開設以来、SBS検証プロジェクトは、約2年半の間に多くの発信をしてきました。これまでの発信のうち、特に「AHT共同声明」の問題点について、1つにまとめた解説「SBS/AHTについてのかみ合った議論のために―AHT共同声明を中心に」をSBS検証プロジェクトのホームページで公開しました。是非ご一読ください。→こちら
このブログ開設以来、SBS検証プロジェクトは、約2年半の間に多くの発信をしてきました。これまでの発信のうち、特に「AHT共同声明」の問題点について、1つにまとめた解説「SBS/AHTについてのかみ合った議論のために―AHT共同声明を中心に」をSBS検証プロジェクトのホームページで公開しました。是非ご一読ください。→こちら
[…] その他にもフォーラム記事には、三徴候の診断について、「医師は様々な検査をして三徴候以外にも骨折やあざなどの身体状況、病歴、発達などを見て、親の説明を聞き、総合的に判断します」「日本、米国、スウェーデンの小児科学会など世界の15団体が、法廷では医学的根拠のない仮説が飛び交う状況になっているなどと指摘する国際共同行為声明を発表しています」などと、私たちから見れば、首を傾げざるを得ない内容が、何の留保もなく記載されています。これらの記述がなぜ問題なのかについては、これまでこのブログで繰り返し指摘してきましたので、ここでは繰り返しません。また、SBS/AHTの最近の議論状況、特にフォーラム記事にあるようなSBS/AHTを主導する立場からの反論については、季刊刑事弁護103号(2020年秋号)の特集「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)事件の現在地」でも詳しく述べられています。これらの記事を是非参考にしてください。 […]
[…] その他にもフォーラム記事には、三徴候の診断について、「医師は様々な検査をして三徴候以外にも骨折やあざなどの身体状況、病歴、発達などを見て、親の説明を聞き、総合的に判断します」「日本、米国、スウェーデンの小児科学会など世界の15団体が、法廷では医学的根拠のない仮説が飛び交う状況になっているなどと指摘する国際共同行為声明を発表しています」などと、私たちから見れば、首を傾げざるを得ない内容が、何の留保もなく記載されています。これらの記述がなぜ問題なのかについては、これまでこのブログで繰り返し指摘してきましたので、ここでは繰り返しません。また、SBS/AHTの最近の議論状況、特にフォーラム記事にあるようなSBS/AHTを主導する立場からの反論やその評価については、季刊刑事弁護103号(2020年秋号)の特集「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)事件の現在地」でも詳しく述べられています。これらの記事を是非参考にしてください。 […]
[…] その後、アランさんは何度も再審請求をしましたが、なかなか認められませんでした。アメリカでも再審が認められるためには、確定判決時とは異なる「新たな」証拠が必要とされることが大きな壁として立ちはだかっていました。そこで、弁護団は、一計を講じました。SBS/AHT仮説を支持する立場から出された「AHT共同声明」を最大限活用することにしたのです。弁護側が「AHT共同声明を活用する」というのは、不思議に思えるでしょう。実際、このブログでも何度か批判してきたとおり、AHT共同声明は、循環論法、確率の誤謬や自白への依存など根本問題に答えない一方、批判説が提示する他原因の可能性をそれこそ根拠なく「根拠がない」と決めつけるなど、非常に多くの問題を含んでいます。そもそも、医学の正当性は多数決で決めるものではありません。エビデンスと論理で判断すべきものです。あたかも政治声明のような「共同声明(consensus statement)」というスタイルそのものが不自然です。しかし、他方で、AHT共同声明もすべての批判を無視することはできませんでした。従前のSBS/AHT仮説の修正を余儀なくされ、そのことを表明せざるを得なかったのです。オハイオの裁判所は、その修正を受けて、次のとおり述べます。 […]
[…] その後、アランさんは何度も再審請求をしましたが、なかなか認められませんでした。アメリカでも再審が認められるためには、確定判決時とは異なる「新たな」証拠が必要とされることが大きな壁として立ちはだかっていました。そこで、弁護団は、一計を講じました。SBS/AHT仮説を支持する立場から出された「AHT共同声明」を最大限活用することにしたのです。弁護側が「AHT共同声明を活用する」というのは、不思議に思えるでしょう。実際、このブログでも何度か批判してきたとおり、AHT共同声明は、循環論法、確率の誤謬や自白への依存など根本問題に答えない一方、批判説が提示する他原因の可能性をそれこそ根拠なく「根拠がない」と決めつけるなど、非常に多くの問題を含んでいます。そもそも、医学の正当性は多数決で決めるものではありません。エビデンスと論理で判断すべきものです。あたかも政治声明のような「共同声明(consensus statement)」というスタイルそのものが不自然です。しかし、他方で、AHT共同声明もすべての批判を無視することはできませんでした。従前のSBS/AHT仮説の修正を余儀なくされ、そのことを表明せざるを得なかったのです。例えば、共同声明は、従来は、「3m以上の高位落下や高速度交通事故、凝固異常」だけが除外診断の対象であるかのようにされていたSBS/AHTの診断について、「 AHTの診断にあたってはAHTに類似する様々な症状を来しうる病態の除外を行う必要がある」と述べるようになりました。オハイオの裁判所は、それらの修正を受けて、次のとおり述べます。 […]
[…] 赤阪さんの事件では、もう一つ重要で深刻な問題がありました。報道ランナーが詳報したとおり、虐待の疑いによる硬直した親子分離、さらには夫婦の面談まで禁止した保釈条件や児童相談所の対応です。赤阪さんは、赤ちゃんのきょうだいや無実を信じる妻とすら面談できず、別々に暮らさなければならなかったのです。無罪判決は、赤阪さんについて「在宅しているときには子育てに関与するなどしていたのであり、…このような被告人が、本件当日、家族で夕食をとった後、妻も隣室にいる状況で、A(赤ちゃん)が泣き出したからといって、激しい揺さぶり行為に及ぶような苛立ちや怒りを抱く心理状態にあったとは直ちには考え難い。むしろ、被告人は、…Aの容態が急変したことを認識して妻に知らせ、…119番通報し、Aがずっと泣いていたが、途中で呼吸がおかしくなって泣くのをやめてしまった状態であることなどを説明しているのであり、実際にそのような状況にあったことを否定することは困難である…。…これらの事情によれば、社会的な事実としても、被告人がAに対し生活上許容されない激しい揺さぶりなどに及ぶ動機等は存在せず、(検察官が)主張するような不法な有形力の行使に及んだとすることには、多大な疑問があるというほかない」と述べています。そして、判決の言い渡しを終えるにあたって、末弘裁判長は、赤阪さんに対し「今日を区切りに家族との穏やかな日常を取り戻されることを切に願っています」と語りかけたのです。しかし、赤阪さんが家族との絆を奪われた5年間は取り返すことはできません。虐待防止を訴える立場からは、「疑いがある以上、親子分離は当然だ」「チャイルドファーストこそを考えなければならない」という声が聞こえてきます。そして、「SBS/AHTの医学的妥当性は国際的な共通認識である」「疑問を投げかける議論には医学的根拠がない」という主張にも根強いものがあります。確かに、虐待防止は大切です。しかし、不確かな医学的見解に基づく誤った親子分離と硬直な対応は、決してチャイルドファーストではありません。どれだけ声高に共同声明を持ち出したところで、医学的妥当性は、政治的な声明や多数決で決まるものではありません。エビデンスこそが重要です。そして、多くのエビデンスによってSBS/AHT仮説の科学的根拠が揺らいでいるのです。積み重なる無罪判決を踏まえて、冷静で、建設的な議論が求められているはずです。 […]