ウェイニー・スクワイア博士への誤った批判(酒井邦彦元高検検事長の論文について(2))

 2020年2月発行の『研修』誌・860号17ページに掲載された酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」には、1日のブログ記事において秋田弁護士が指摘したような様々な問題点があります。

 数回にわたってその問題点を指摘していきますが、本日は、同論文25ページにある以下の記述について検討したいと思います。記述部分は短いのですが、同様の言及が他の論稿や法廷などでも見られますので、指摘が必要だと考えています。

 酒井論文は、大阪高裁令和元年10月25日判決を批判する文脈で、静脈洞血栓症という病気の場合には急激に意識障害等を発症したという報告例がないという検察側のM医師の証言を判決が採用しなかったことを問題視します。

 そして、同判決について、「イギリスで証言の信用性がないことから控訴院判決で3年間の証言停止処分を受けた医師の論文に依拠した上、『起こり得ない経過と断定する点は、必ずしも信用できない』としています。しかし、このような主張、立証は、ドーバート基準〔引用者注:アメリカの連邦裁判所における科学的証拠の許容性基準〕の下では、到底許容されるものではなく、もし基準を適用していれば、イギリスの医師の論文が採用され、判決の理由に挙げられることもなかったはずで、……より科学的、客観的に証言の信用性評価が行われていたら、判決の結論は異なったものになった可能性があったのではないかと思います」といいます(下線は引用者)。

 酒井論文におけるドーバート基準の理解については別途検討する必要がありますが、ここでは、この下線部分について解説します。

 酒井論文がここであげている「イギリスの医師」は、ウェイニー・スクワイア博士(Dr. Waney Squier)のことを指していると思われます。オクスフォード・ラドクリフ病院の医師(小児神経病理学)であったスクワイア博士は、2018年・2019年にも来日し、SBS検証プロジェクトが共催したSBSを検証するシンポジウムなどでも基調講演されました。そのときの講演録は、こちら(中央の「本文・要約」ボタンをクリックして下さい。なお、環境によっては全文が表示されないことがありますので、ご了承ください)で読むことができます。

 スクワイア博士は、もともと SBS理論の支持者でしたが、研究を進める中で同理論に疑念を持ち、2000年代中ごろ以降、同理論を批判的に検証する論文を多数執筆しておられます。

 スクワイア博士に対しては、酒井論文以外にも 「『科学的偏見を助長させた専門家』として、総合医療評議会(GMC)に医師免許剥奪が申し立てられることとなった。結局……医師免許は維持されたものの、今後三年間、専門家証人となることを禁じられることとなった 」( 溝口史剛「訳者による解説」ロバート・リース(溝口史剛訳)『SBS:乳幼児揺さぶられ症候群』(金剛出版、2019年)348頁) )などの批判が向けられ、最近はSBS/AHT事件の法廷等においても、検察官や検察側証人から同様の言及が行われています。

 上記の酒井論文や溝口解説だけを読むと、あたかもスクワイア博士が 問題のある医師であるかのような印象を抱きかねません。本当にそうなのでしょうか。結論から言えば、不十分かつ不正確な理解による偏見と言うべきです。

 実は、スクワイア博士が総合医療評議会(GMC)に医師免許剥奪を申し立てられることになった背景には、弁護側に立つ証人を潰そうという捜査機関の動きがあったのです。現に、スクワイア博士をGMCに通報するという動きが出ていたころ、次のような出来事がありました。

 2010年9月に米国アトランタで開催された全米SBSセンター主催の第11回国際SBS会議において、ロンドン警視庁の児童虐待部門の主任捜査官であるコリン・ウェルシュ(Colin Welsh)が、イギリスで当時相次いでいた無罪判決の原因は「弁護側の専門家証言」にあると指摘し、専門家たちの資格、職歴、報告書などを詳細に調べ、さらには専門家団体に問い合わせて個人的な問題を見つけ攻撃するという戦略をとるべきであることを主張するスピーチを行ったのです。無罪判決に対抗するために、弁護側に立って証言を行う専門家を個人的に攻撃するという発言が、捜査機関によって多くの医師が集う会議の場で行われたのです。

 実際、 その当時のイギリスでは、SBS理論が問題となる事件で弁護側の証人を務める医師たちに対する審問を警察が求めるという事案が頻発していました。

 その手法は、英国国家警察改善局(National Policing Improvement Agency)を通じて総合医療評議会(General Medical Council (GMC)、英国の医師免許を管理する機関)に通報を行うというものでした。そして、スクワイア博士もこのような手続によって何度か通報されたのです。

 最終的に 医療従事者審問 (MPT)の審問が開かれました。公正さに問題がある手続の後、MPTでは医師免許剥奪の判断が出されました。しかし、スクワイア博士側の異議申し立てを受けた控訴院は、 スクワイア博士が専門領域を超えて証言をしたこと、証言に客観性が欠けていたとMPTが判断する権限があったことを認定したものの、スクワイア博士の証言は誠実なもので「MPTの判断には様々な点で過誤があった。従って、機能障害に関する判断と〔免許取消〕処分については取り消す」「MPTの委員長には法律家が指名されるべきであった」として、原判断の問題性と審査委員会の構成を鋭く非難したのです。

  結果的にスクワイア博士に対する処分は、専門家として法廷での証言を行うことを3年間禁止するという内容にとどまりました。一般的にこの控訴院の判断は、スクワイア博士の勝利に終わったと報道されています。

 なお、控訴院はスクワイア博士が「専門領域を超えて証言をした」ことについては認定しています。しかし、 考えてみると、SBSの診断においては多領域の知見が必要です。とりわけ弁護側に立って証言する専門家が数少ないときには、専門家がSBSを巡る様々な議論状況にも言及せざるをえないこともあるのは当然です。なお、検察側の証人も、しばしば専門外の領域の内容について証言することがあります(日本でも、小児科医がしばしば生体力学について証言しています)。しかし、そのことが問題とされたことはないのです。

  スクワイア博士をめぐっては、このような捜査側からの一方的な動きがその背景にあったことを認識する必要があります。SBS/AHT理論の「主流派」にあらがう専門家に対する、捜査機関による選別的な捜査や通報が戦略的に行われていたのです。中世のガリレオ裁判を想起します。

 スクワイア博士に対する上記のような言及を理由として、博士の研究の有効性・信頼性に対する疑問を投げかけることは、断じて許されません。

 酒井論文は「イギリスで証言の信用性がないことから控訴院判決で3年間の証言停止処分を受けた医師」であると書いていますが、スクワイア博士の論文そのものに問題があるのか否かは指摘できていません。また、証言停止処分の背景に上記のような異常な事情があったことの認識があるのかも疑問です。

 酒井論文をはじめとする日本の論文や法廷では、スクワイア博士に対する一方的かつ批判的な主張が行われていますが、その背景にあった異常な事態についても、知っておくべき必要があると思います。

 以上のスクワイア博士に対する批判について、さらに詳細な論稿をまとめました。是非、お読み下さい。 → 笹倉香奈「ウェイニー・スクワイア博士への批判について」

 

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