揺さぶりを疑われた母親に逆転無罪判決を言い渡した大阪高裁令和2年2月6日判決(第5刑事部 西田眞基裁判長、五十嵐常之裁判官、伊藤寛樹裁判官)は、検察側証人であった溝口史剛医師の証言の問題点を鋭く指摘しました(同医師は、山内事件でも検察側証人でしたがその逆転無罪判決でも厳しく批判されています)。SBS事件における医師証言の信用性判断の在り方について、重要な指摘と思われますので、少し詳しく述べてみたいと思います。
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医療判例解説に朴永銖医師による本事件の解説が掲載されました。
まず判決は、本件の訴訟構造について以下のように述べます。
「検察官の立証は,びまん性軸索損傷及び架橋静脈の同時多発的な剪断の存在をそれぞれ推認させようとし,それらの存在により,回転性外力が頭部に加わったこと,すなわち,被害児に対する揺さぶり行為の存在を推認させようとし,その揺さぶり行為をなし得たのは被告人以外に考えられないとして,有罪の推認を導こうとするものである。
…以上のとおり推認を重ねる手法は,家庭内で乳幼児に重い傷害の結果が生じた本件のような事案の端緒において,関係機関が虐待の可能性を想定して対処を検討する場面でもとられると考えられるが,その事案につき刑事訴追がなされ,有罪無罪を見極める刑事裁判に至った場合,判断者は,推認に推認を重ねていくという誤りが介在しやすい構造の事実認定を迫られていることに鑑み,推認を妨げる事情に特に注意を払い,そのような事情を想定することが不合理であるとして排斥できるかどうかを慎重に検討する必要がある。
…また,推認の過程で専門家たる医師の見解が重要な証拠資料となる本件においては,特に,有罪の推認を妨げる事情について,これを否定する医師の見解に対し,否定の根拠に疑問が残らないかよく吟味する必要があり,推認を妨げる事情を指摘する別の医師の見解が対立する場合は尚更である。
幾つかの疾病が想定される場合に,最も蓋然性が高いものを念頭に医療措置を試みることが多いとうかがわれる医師の通常業務とは異なり,刑事裁判で有罪を導く推認の根拠となるべき医師の見解は,その推認を妨げる事情の存在を説得的に否定できる証拠内容を伴っていなければならない。その審査に当たっては,論理矛盾の有無はもとより,重要な客観的資料等を看過しているなどの瑕疵の有無を検討し,あるいは,直接の経験も乏しい中,不確かな伝聞の類に依存し過ぎている難点の有無等を,点検する必要があると考えられる。医師の専門的知識や知見は,刑事裁判における事実認定を左右する重要な意味を有することが少なくないところ,そうであるからこそ,審理,判断においては,合理的な疑いを容れない立証が必要であるという基本に立ち返り,上記のとおり医師の見解に対する厳密な審査が求められる。」
以上のような一般論を述べた後、判決は、溝口医師の証言について、次のとおり、検討を加えました。
「原審に続いて当審でも検察官請求証人として出廷した溝口医師は,当審における証言において,小脳テント付近に急性硬膜下血腫が存在すると述べていた原審段階の証言を変更しており,これは,重大な証拠内容の変動といわざるを得ない。すなわち,溝口医師は,原審において,架橋静脈の剪断の機序に係る説明をした上,『右の頭頂部に近い部分に2か所,側頭部にもあって,小脳テントの部分にもある,最低4か所以上の血管が同時に切れているというふうに判断されるべきものですから,それは揺さぶり行為によって生じた可能性が,医学的には極めて高いというふうに判断せざるを得ないと思います。』(原審溝口20頁)などと証言していたから,これは,側頭部及び小脳テント付近のものを含めた血腫の出血源が架橋静脈の剪断であるとの証言であった。原審における検察官の論告も,この証言を引用し,その4か所の急性硬膜下血腫は架橋静脈の剪断が同時多発的に生じたものであると主張するものであった(原審論告2,3頁)。【中略】「次いで,当審における証人尋問を行ったところ,弁護人請求証人である朴(永銖)医師との間で相互に証言内容を把握できる手順で行われた同尋問の手続において溝口医師は,……血腫の有無及びその出血源が架橋静脈の剪断か否かに関し,原審よりも大きく後退する内容の証言をするに至った。特に,小脳テント付近の部位のものは,量も少なく,硬膜下血腫であるとは断定できないとした上,若干,誇張した内容の読影であったと認め,原審における該当の証言内容を撤回しているのであり、併せて,自身を含む小児科医は,脳神経外科医のように開頭手術をして血腫の除去等をするものではないため,画像診断に当たり,厳密ではない部分があったなどと説明している。本件で有罪を導く推認の最も重要な基礎となるCT画像の読影に誤りがあったことを自認するものであり,到底見過ごすことができない。他方で,朴医師及び青木(信彦)医師を含む脳神経外科医は,本件に関連する豊富な医学文献に触れる機会を積み重ねているのみならず,その文献やCT画像から得られる知見が確かなものかどうかを,日々の開頭手術の臨床の現場において自身で確かめることを継続してきた立場であり,この点において小児科医との間に差異があるといえるから,これら脳神経外科医の専門領域における医学的な経験則の獲得の程度に対し、大きな疑問を投げ掛けることは難しく,その証言が有罪の推認を妨げる位置付けにあって内容に合理性もあるといえる以上,証言内容を排斥するのは難しいというべきである。」
この判決にも触れられているとおり、溝口医師は、控訴審で、原審証言での証言を大きく変遷させ、原判決の主要な根拠となった「小脳テント付近の血腫」を撤回してしまったのです。しかし、そのことを反対尋問や裁判官の補充尋問まで、正面から認めようとせず、あたかも原審から一貫して整合しているかのような証言を続けていたのです。溝口医師は、山内事件の高裁判決でも、以下のとおり、その読影能力に大きな疑問を投げかけられていました。
「画像診断学の常識であるとまで言い切って,静脈のうっ滞,怒張が白く写ることはあり得ないと否定する溝口証言は,医学文献の記載と整合せず,C T画像の読影について,正確な専門的知見を有しているのか,……鑑別診断を正確に行うことができるのかにつき,疑問を禁じ得ない。その断定的な言いぶりに照らしても,自己の拠って立つ見解を当然視し,一面的な見方ではないかを慎重に検討する必要がある。」
さらに溝口医師は、山内事件でカルテの記載を自説に都合良く読み替え、高裁判決で厳しく批判されていました。「溝口医師は,Bの眼を直接診察した限科医…がカルテ等に記載していた『胞状の網膜剥離』との診断を,『網膜分離症』と置き換えているが,不正確であり,不当である。……このように置き換えることは,……虐待起因の症状であるとする方向にミスリードする危険性が高い」とされたのです。判決が指摘するとおり、不正確・不当であり、およそ公正な姿勢とは言えません。
このように読影能力や公正さに疑問がある医師が、非常に読影の困難な頭部画像を根拠に虐待の認定をしているのが実際です。深刻な事態といえるのではないでしょうか。
[…] フォーラム記事は、アンケート結果以外にSBS/AHT仮説による虐待認定の医学的な根拠は示さず(藤原武男医師のコメント内に同医師の調査についての言及はありますが、これもアンケートと考えられます)、相次いでいる無罪判決についても、「頭部の出血が、ほかの要因で生じた可能性が否定できないなどと裁判所が判断しました」というだけで、どのような法廷証言がなされたのか、その証言についてどのような判断が示されたのかを掘り下げていません(例えばこちらをご覧ください)。字数の制約はあるのでしょうが、残念というほかありません。 […]
[…] ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧、海外① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ […]
[…] なぜ、司法が立て続けに無罪判決を出しているのか、それらの事件で、小児科学会の医師がどのような証言をしたのか、なぜ、その証言が信用されなかったのか、検証してみること(例えば、大阪高裁① 大阪高裁② 岐阜地裁)こそが必要なはずです。しかし、残念ながら小児科学会見解には、そのような謙虚な姿勢は全く見られないのです。 […]
[…] 最高裁第三小法廷(裁判長裁判官林道晴、裁判官戸倉三郎、裁判官宮崎裕子、裁判官宇賀克也、裁判官長嶺安政)は、SBSを疑われた母親に逆転無罪を言い渡した令和2年2月6日大阪高裁判決に対する検察官の上告に対し、2021(令和3)年6月30日付で、「検察官の上告趣意は、判例違反をいう点を含め、実質は事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。」として、これを斥ける決定をしました(裁判官全員一致の意見)。決定も述べるとおり、大阪高等検察庁検事長榊原一夫検察官作成名義の上告趣意書(本文41ページ)は、どうみても事実誤認の主張にすぎませんでした。検察官が事実上事実誤認のみを理由に上告すること自体が異例ですが(最高裁は事実認定を行わない法律審であることが原則だからです)、前記大阪高裁判決が、SBS仮説に基づく小児科医師の証言に依存した揺さぶり認定を徹底的に批判し、逆転無罪判決としたことに対する検察官の強い危機感の表れだったと思われます。逆に言えば、それほどまでに検察官は、これまで小児科医たちのSBS証言に頼ってきていたのです。いわゆる三行半の上告棄却決定ではありますが、検察官の上告が斥けられたことには、重要な意義があります。この決定が、SBS仮説の0(ゼロ)ベースでの見直しにつながることを期待します。 […]
[…] 最高裁第三小法廷(裁判長裁判官林道晴、裁判官戸倉三郎、裁判官宮崎裕子、裁判官宇賀克也、裁判官長嶺安政)は、SBSを疑われた母親に逆転無罪を言い渡した令和2年2月6日大阪高裁判決に対する検察官の上告に対し、2021(令和3)年6月30日付で、「検察官の上告趣意は、判例違反をいう点を含め、実質は事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。」として、これを斥ける決定をしました(裁判官全員一致の意見)。決定も述べるとおり、大阪高等検察庁検事長榊原一夫検察官作成名義の上告趣意書(本文41ページ)は、どうみても事実誤認の主張にすぎませんでした。検察官が事実上事実誤認のみを理由に上告すること自体が異例ですが(最高裁は事実認定を行わない法律審であることが原則だからです)、前記大阪高裁判決が、SBS仮説に基づく小児科医師の証言に依存した揺さぶり認定を徹底的に批判し、逆転無罪判決としたことに対する検察官の強い危機感の表れだったと思われます。逆に言えば、それほどまでに検察官は、これまで小児科医たちのSBS証言に頼ってきていたのです。いわゆる三行半の上告棄却決定ではありますが、検察官の上告が斥けられたことには、重要な意義があります。検察庁は、これまでの訴追、立証を反省するだけでなく、すでに有罪が確定した事件も再検証し、不確実なSBS仮説に依存しただけの有罪判決があれば、自ら再審を請求すべきです。この決定が、SBS仮説の0(ゼロ)ベースでの見直しにつながることを期待します。 […]