(1)循環論法、(2)確率の誤謬、(3)自白への依存とAHT共同声明の問題点を指摘してきました。4つめの問題として、虐待とそれ以外を区別する基準が存在しないという問題点を取り上げましょう。この点については、すでに「なぜ議論はすれ違うのか-わからないことは、わからない」の中でも取り上げています。しかし、重要な問題なので、繰り返し取り上げたいと思います。
AHT共同声明は、AHTの診断方法について「他の医学的診断と同様に行われる。つまり病歴、身体所見検査所見と画像所見で得られたすべての情報を考慮し行われる」と述べます。ここでも、それだけを読めば、非常にもっともなことを述べているかのようですが、結局何も言っていません。「すべての情報を考慮する」と言っても、それだけでは虐待とそれ以外を区別する基準とならないことは当然です。
そもそも「揺さぶり」あるいは「虐待」に特有の所見などありません。一見それらしきことが述べられることもあります。例えば、①大脳鎌付近の薄い硬膜下血腫は揺さぶりに特徴的だ、②複数の硬膜下血腫は揺さぶりの可能性が高い、③広範な多層性多発性の網膜出血は揺さぶりに特徴的だ、④網膜皺襞と網膜分離症はAHTに特異な所見といえるなどの議論です。しかし、それらが基準と言えるためには、それぞれがどうして区別する基準となるのかについて、証拠と科学的根拠が必要です。例えば①について言えば、大脳鎌付近の薄い硬膜下血腫は、低位落下や転倒事故でも見られます。②も同様です。③④も様々な疾病の外、事故や硬膜下血腫、頭蓋内圧亢進、心肺停止、蘇生に伴う再灌流、血流のうっ滞、網膜中心静脈などの血管内圧の上昇などが原因となって生じるとの報告や学説があります。このような「他原因説」に対しては、SBS仮説を主導する立場から、頭蓋内圧亢進によって生じる網膜出血、再灌流で生じる網膜出血などは、それぞれ軽微な網膜出血の報告ばかりで多層性多発性にはならない、という再反論がなされることがあります。だから多層性多発性の場合は揺さぶりに特徴的だ、というのです。しかし、この再反論は議論の前提を誤っています。再反論は「頭蓋内圧亢進」のみ、「再灌流」のみをバラバラに取り上げているからです。網膜出血を生じる場合に、それらが単独で生じているとは限りません。頭蓋内出血が起こった場合には、いくつかの条件が重なっていることが多く、重篤化して多層性多発性の網膜出血に至っても不思議はないはずです。たとえて言えば、竜巻の発生原因と似ています。竜巻の発生原因は未解明の部分もあるようですが、風、低気圧、上昇気流、下降気流などの様々な条件が重なったときに発生すると言われています。しかし、「風」のみ「低気圧」のみ「上昇気流」のみ「下降気流」のみがバラバラにあっても竜巻は起こりません。バラバラの要因だけでは竜巻が発生しないからと言って、「風」「低気圧」「上昇気流」「下降気流」は竜巻の原因ではない、という議論になりません。同様に、「頭蓋内圧亢進」や「再灌流」は多層性多発性網膜出血の原因ではない、と決めつけることができるはずもないのです。
さらに根本的な問題として、そもそも疑われたその「揺さぶり」によって、硬膜下血腫が生じたり、網膜出血を生じたりしたという立証そのものがなされていません。SBS仮説は「他の原因」を除外できたら、「揺さぶりだ」という議論になってしまっていますが、そこには明らかな論理の飛躍があるのです。除外では足りず、「揺さぶり」が積極的に原因であることの証拠が必要なのです。
この点に関しては、網膜出血の原因について、硝子体が網膜から牽引されるなどと説明されることがありますが(硝子体・網膜牽引説)、SBS論者による推測にすぎず、実験などで確認された訳でもありません。揺さぶりによって、眼球内の硝子体と網膜の間に出血や網膜分離を伴うような力が加わることが確かめられたことはないのです。逆に、硝子体・網膜牽引説に整合しない症例が多くあるとの報告や、揺さぶりによって網膜出血等は生じなかったという実験結果の報告などがなされています。結局、多層性多発性の網膜出血は揺さぶりに特徴的だという証拠も、それが揺さぶりによって生じるという証拠もないのです。あるのはせいぜい立証されていない仮説だけなのです。仮説しかない当然の帰結として、証拠と科学的根拠に支えられた揺さぶりを鑑別する基準も存在しないのです。
では、AHT共同声明が重視する「根拠」は何でしょうか。AHT共同声明には、次のような表現がでてきます。
「2016年にはナーランらが、AHTと乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)のいずれもが医療コミュニティの中で一般的に承認されている診断であることを明らかにした」「現在では医学文献でも、支配的な臨床経験や臨床判断においても、AHTは揺さぶり、揺さぶり・衝撃、そして直達外力のみによって生じることが示されている」「AHTは60年以上にもわたって医学文献に現れ続けてきた。そして25カ国以上の1000人以上に及ぶ医学者によって、1000以上の査読を受けた臨床医学論文が発表されている」
「一般に承認」「臨床経験」「臨床判断」「医学文献」などなどです。つまり、「多くの医師たちが、経験上承認してきたものであるから正しい」「多くの医学文献に書いてあるから正しい」というものです。
言うまでもありませんが、多数決は証拠ではありません。「承認」「経験」「判断」はいずれも意見であって、証拠そのものではありません。「医学文献」も、証拠に基づいているかどうか、基づいているとしても、その証拠の「質」が重要です。「数」の問題ではないのです。曖昧な経験主義、多数決論理を排し、証拠を重視しようという考え方こそが、「根拠に基づく医学」(Evidence Based Medicine=EBM)です。スウェーデンのSBU報告書はこのEBMの観点から、3773もの医学文献を精査した結果として、証拠が不十分で、医学的な根拠が不確実であると評価したのです。共同声明がすべきことは、その評価を真摯に受け止めることであって、数を持ち出して、自らの仮説に固執することではなかったはずです。
[…] その他にも、溝口解説には、前提の誤りや、根拠に乏しい決めつけ、論理の飛躍などが多数含まれていると言わざるを得ません。実は、溝口解説は、これまでこのブログで触れてきた「AHT共同声明」と軌を一にするものです。そして、ブログで指摘してきた循環論法、確率の誤謬、自白依存、基準の不存在などの問題点は、そのまま溝口解説にも当てはまるのです。確かに溝口解説でも、いくつか言及はあるのですが、根本的な問題点が、議論の前提や論者に対する個人攻撃的な非難に隠されてしまって、直ちに読み取ることが難しくなってしまっているのです。 […]
[…] 酒井論文の最大の問題点は、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」との一文に端的に表れています。酒井弁護士は、ご存じなかったようですが、このブログで、繰り返しこの共同声明(以下、「AHT共同声明」といいます)について言及をしてきました。「なぜ議論がすれ違う?-”わからない”ことはわからない」、「SBSをめぐるもう一つの出版-溝口医師のSBS解説」、「2018年「AHTに関する共同声明」の翻訳を公開しました」、「AHT共同声明の問題点(その1)-マグワイアの循環論法」、「AHT共同声明の問題点(その2)-チャドウィックの確率の誤謬」、「AHT共同声明の問題点(その3)-自白への依存」、「AHT共同声明の問題点(4)-区別する基準が存在しない」などです。これらをお読みいただければ、むしろSBS検証プロジェクトは、日本において、AHT共同声明について、最も詳細に検討を加えて、発信しているグループであることがお判りいただけると思います。これに対し、酒井論文は、AHT共同声明の医学的ないし科学的根拠の正当性について言及することはなく、「『詳細な研究によれば、AHTと似た症状を呈する病気はない。しかし、法廷は、一般的に受け入れられている医学的知見と相容れない不確かな理論が飛び交う場所になっている』……とした上で、吐瀉物の誤嚥による窒息がAHTと同様の所見を呈するという主張など、SBSの反論して挙げられる多くの他の原因について、信頼できる医学的な証拠はないなどとしています」と、その結論だけを引用する形になっています。また、酒井論文は、アメリカのドーバート基準を持ち出し、山内事件逆転無罪判決の根拠となった弁護側主張まで、批判しています。そこには、AHT共同声明こそが正しく、これに批判的ないし懐疑的な議論は排斥されるべきだという発想があると思われます(なお、同じような論調は、後述する逆転無罪判決の控訴審における検察主張にも表れていました。ちなみにアメリカの裁判での実情は、酒井論文とは反対に、SBS仮説こそがドーバート基準を充たしていないという裁判例が複数でているのです。これらの点は別の機会に述べたいと思います)。 […]