シンポジウムでは、刑事裁判で係争中の方も含めて、3名の方からのメッセージがありました。このうち、約三年の親子分離を経験した矢野美奈さん(一般社団法人スリーポート)がステージで読み上げて下さったメッセージを、ご許可を得て掲載します。
SBS問題の「主役」は誰なのかを改めて感じさせるものでした。
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ただいまご紹介いただきました一般社団法人スリーポート代表理事矢野美奈と申します。このたび、貴重なお時間をいただきました事、感謝しております。
私は、5年前に次女がSBSの疑いで、一時保護されました。警察は動いていませんので、刑事事件になっていません。そのため、一時保護取り消し裁判(行政裁判)と児童相談所からの施設入所の為の児童福祉法第28条審判で争い、児童相談所と和解をして子供が帰ってきました。それは一時保護されて2年10か月後の出来事でした。その戦いで、とても理不尽でかつ、納得のいかない出来事が多くありました。
SBSの疑いとして通告した病院はカルテ、医学書改ざん、裁判では、<虐待の疑いの可能性がある><親が、虐待の疑いがなかった事を立証してください>と言う無理難題を言われとても大きな壁となっていきました。
私たちは、2年10か月、たくさんの方にこの問題を発信してきました。そして多くの方がおっしゃるのが「死ぬ命があるぐらいなら保護は仕方ない」と言う言葉でした。その言葉はとても解りますが、その保護によって起こってしまっている現実を知ってほしいと思います。
娘は3歳になる直前に家庭に戻ってきました。来月で3年目になりますが、1年目は、娘の表情を取り戻すことから始めました。2年目は、<嫌、辛い、悲しい>の気持ちがうまく表現が出来ず怒りで表していたので、感情を素直に出す事に、重点を置いてきました。その為、娘の心が見えてきました。
娘は、いまだに一時保護の記憶で苦しんでいます。1つは、おもらしした事で、とても怒られたみたいで、おもらししたら、服を隠す、「あ!!」とか「え!!」とか言う声だけて、顔を庇う行為します。おもらしをしていた時、叩かれていた、と本人が言っていたことがあります。赤ちゃんの頃にママたちと過ごした事を確認したい為に、生まれた時、入院している時の写真を見ますが、入院中=施設とリンクしてしまう為、入院中の写真、一時保護中の写真を見ると、体を震わせて声を出さないで隠れて泣きます。そして、家庭復帰プログラム<再統合>の時に、家族と離れたくないという気持ちが強いのに、無理やり職員が施設につれて帰ってしまった為、初めての場面で起こる「さようなら」、「ばいばい」には、二度とこないと思いが強くでて「楽しくなかった」「二度とこんな所行きたくない」「会いたくない」と悲しい顔をしながら言います。楽しい記憶を悲しい記憶に替えて心にしまうのです。その日の就寝中は、夜泣き、暴れるという行動を起こします。娘は娘で戦っていますが、親としては、経験をする必要がなかった恐怖、それを消す事が出来ない現実に対し、娘を抱きしめる事、「二度と施設に帰ることはない。家族はみんな一緒にいるから一人になる事はないから。」と言い続ける事しかできません。3歳になる前に経験した現実です。
そして、親として娘の心の傷の深さを知るきっかけになった出来事があります。
「私には、施設でミニーちゃん(ぬいぐる)しかそばにいてくれなかった。守ってくれなかった。でも、お姉ちゃんには、ママやパパ、ばぁばやじぃじが守ってくれている。そばにいてくれる。なぜ私はそれが出来なかったの?」と3歳の時に言われました。その時、私は抱きしめて「ごめんね。そばにいなくて。寂しかったよね。本当にごめんね。こかれはずっと一緒だから。」としか、言えませんでした。これが、施設から戻ってきた子どもの現実なのです。
ここまで、子どもを傷つけ、このような悲しみや恐怖を背負わせてしまっても「死ぬ命があるからこそ過剰な保護が必要」と言う考えのままで良いのでしょうか。その考えの中に<子どもの心>は入っているのでしょうか。もう一度考えていただきたいです。
これを機に、良い方向へ進んでいく事を願いながら終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。