甲南大学学生ボランティアが今西事件を取り上げてくれました

イノセンスプロジェクトジャパンの活動を支える甲南大学の学生ボランティアの皆さんが、今西貴大さんの事件を甲南高校での冤罪を学ぶワークショップで取り上げてくれたそうです(その様子を報じた救援新聞はこちら)。このような活動から支援の輪が拡がり、少しでも冤罪救済の道が開かれていくことを期待します。

大阪地裁令和4年12月2日無罪判決が示した重要判断ー除外診断と確定診断を混同すべきでない

 生後7か月の赤ちゃんが突然死し、父親が窒息死させたなどとして起訴された事件(罪名は傷害致死)で、大阪地裁(第2刑事部 西川篤志裁判長、久禮博一裁判官、伊藤佳子裁判官、裁判員裁判)は、令和4年12月2日、父親に無罪判決を言い渡し、検察側は控訴せずに確定しました。赤ちゃんの突然死の原因は、いわゆる乳児頭部外傷とはされておらず、SBS/AHT事案ではありませんが、起訴がなされた判断枠組にはSBS/AHT事案と共通する冤罪の問題があり、無罪とされた理由も無罪判決が相次いでいるSBS/AHT事案の構造と共通しています。そこでは、今後の冤罪事件を防ぐために、重要な判断・教訓が示されていると言えます。

この事件の冤罪被害者の篠原遼さんについての関テレ報道ランナーの特集がYouTubeにアップされました。

 判決によると、本件は2019年5月19日午後9時ころ、お父さんの篠原遼さんが生後7か月の赤ちゃんを自宅で入浴させている途中に、突然赤ちゃんが心肺停止に陥ったことが問題とされた事案です。検察側証人にたった法医学者のK医師(大阪高裁で逆転無罪となった令和元年SBS/AHT判決事案(山内事件)同令和2年判決事案において、いずれも一審で溝口医師とともに、検察側医師として「揺さぶり」が原因だと証言した医師です)は、赤ちゃんの「①死因は解剖、検査等による科学的(医学的)証拠及び警察等の捜査により得られた客観的状況征拠を総合して判断すべきであるとした上で、本件では解剖や検査から考えられる死因を否定することで、可能性のある死因を導き出すという除外診断の方法で死因を判断すべきであり、②乳児には急死所見が認められる一方で、心臓突然死等の内因性疾患による突然死は否定でき、その他外傷死、凍死、焼死、中毒死、溺死といった死因も容易に否定される結果、除外診断として窒息死が考慮され、手段として他為的な鼻口閉塞又は頸部圧迫が考えられるところ、死体に痕跡を残さない窒息死は少なくないため、死因は窒息死であると診断したと証言」しました。要は、赤ちゃんの死因として、窒息以外の原因を除外できれば、原因は窒息だと診断できるとし、本件の死亡原因は窒息であり、急変時に一緒にいた篠原さんが暴行により窒息させたと言える、というのです。

 K医師は、医学の基本を理解していないと言わざるを得ません。まず、除外診断と確定診断は別のものだからです。確かに、除外診断が確定診断につながることもあります。しかし、それはあくまで当該病状の原因(鑑別対象)が、すべて明らかになっていることが前提です。現代医学が飛躍的に進歩したとは言え、残念ながら人間の突然死の原因のすべてが明らかになっている訳ではありません。特に、乳児の突然死の原因は不明なことが多いのです。しかも、この赤ちゃんには、頚部を圧迫するなどの暴行の痕跡は何もありませんでした。本当に窒息なのか、窒息だとしてもその原因が暴行によるものなのか、その根拠そのものが怪しかったのです。

 実際、この赤ちゃんの事案では、解剖の結果、赤ちゃんの心臓に異常が見つかったほか、致死性不整脈につながる遺伝子の異常が見つかったのです。その結果、赤ちゃんが、いわゆる心臓突然死に至った可能性が浮かび上がってきたのです。言うまでもなく科学の世界は広大かつ深遠で、専門分化が進んでいます。もちろん医学も例外ではありません。むしろ医学は、専門分化がきわめて著しい分野と言えるでしょう。一人の医師が把握できる疾患は限られています。法医学者であるK医師が、赤ちゃんに見られた心臓異常や致死性不整脈、さらに遺伝子疾患の可能性について十分な医学的な知識があったとは考えられません※。にもかかわらず「心臓突然死等の内因性疾患による突然死は否定でき、その他外傷死、凍死、焼死、中毒死、溺死といった死因も容易に否定される」などと証言するのは、傲慢と言われても仕方がないでしょう(ちなみに、K医師は、前述の令和2年逆転無罪判決の原審において、脳神経外科医の多くが現在でも認めている「中村Ⅰ型」について「一般的には、もう懐疑的な状態になっています。…僕は、 中村Ⅰ型に関しては、 逆に言うと世の中を混乱させている原因の一つだと思っています」などと根拠もなく証言していました)。 

 結果として、裁判所は、「死因が心臓突然死ではなく、窒息死であったことを積極的に示す所見がない上、乳児には致死性不整脈等による突然死を誘発し得る遺伝子変異が存在したことなどからすれば、K医師がいうように乳児が窒息死以外の死因によって死亡した可能性が除外できているとはいえず、医学的事実から乳児の死因を窒息死とは即断できない」として無罪としました。外力ではなく、内因による心臓突然死が問題となる点で、今西貴大さんの事件とも共通します。

 ちょうどこの記事を書いている途中、アメリカ・ラスベガスでSBSによる殺人を疑われた母親に対する検察官の公訴の取消がなされたとの報道に接しました(December 21, 2022, Las Vegas Review-Journal “Murder charge dropped against Las Vegas woman arrested in baby’s death”)。報道によると、生後2か月の赤ちゃんが突然死した事例ですが、その赤ちゃんには、「鎌状赤血球貧血症」(sickle cell anemia)という稀な疾患があり、心肥大と血流低下、心停止に伴う頭蓋内出血があったのですが、その出血から検察側医師によってSBSと誤診されていたということです。内因による心臓突然死が問題となった点で、本事例や今西事件と類似しています。

判決ではさらに重要な指摘がなされています。「被告人は、普段から、入浴だけでなく、離乳食を与えるなど、乳児を慈しんでいた事実が妻の証言等により認められ、そのような被告人が乳児に対して窒息する程度の暴行を加えなければならないような動機も全く窺われないのであって、被告人の言動や当時の状況等から死因が被告人の暴行による窒息死とは認定できないし、既に検討した医学上の事実と合わせてみてもその結論に変わりはない」というのです。これは、前述の大阪高裁逆転無罪判決(山内事件)が「本件は、客観的な事情から、被害児の症状が外力によるものとすることもできないし、被告人と被害児の関係、経緯、体力等といった事情から、被告人が被害児に暴行を加えると推認できるような事情もない。むしろ、医学的視点以外からの考察では、被告人が被害児に暴行を加えることを一般的には想定し難い事件であったといえる」としたのと全く同じ構造です。そもそもK医師は、篠原遼さんに会ったこともなく、その人柄、家庭環境、生活状況など何も知りません。何重の意味でも、篠原遼さんの暴行だとするK医師の証言や、それに依拠した検察官の訴追は根拠がなかったといえるのです。

 除外によって、その原因や行為者が推定できるかのような議論は、SBS/AHT論でも繰り返しなされてきました。「SBS/AHT の医学的診断アルゴリズム」にでてくる「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3m 以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくても、SBS/AHT である可能性が極めて高い」や、厚生労働省の『虐待対応の手引き』の「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷起点不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」などの記述は、「高位落下」「交通事故」のほか「出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患」さえ除外できれば、原因は暴力的な揺さぶりだと推定できるかのような内容となっており、現に、従前はそのような推定に基づいて多くの虐待認定がなされてきました。しかし、三徴候の原因として、様々な内因が明らかとなり、安易な除外から揺さぶり認定などできないことが明らかにされてきています(オハイオ州の再審開始決定も参照)。

そもそも医師の診断対象は、患者の医学的症状です。その原因が暴行による窒息だとか、強い揺さぶりだとか、といった判断は、多くの医師にとって、その専門領域を超えているはずです。特に、除外対象については一人一人の医師にとって専門外の領域に及ぶはずです。一人の医師があたかもすべての疾患が除外できたかのように述べることが適切とは思われません。しかも、除外診断と確定診断の混同のように、医師の推測の論理そのものに基本的な誤りが見られることも、決して稀ではないのです。しかし、日本の刑事司法では、根拠の乏しい医師の鑑定が、専門家の意見だとして無批判に受け入れられてきたと思えてなりません。

 医師の鑑定の在り方については、誤判を防ぐために、様々な見直しとルール化が必要です。建設的な議論が求められていると言えるでしょう。

 

 

オハイオで再審開始決定!-今西貴大さんの事件との共通点

 2022年11月10日、アメリカ・オハイオ州の裁判所が、22年前の2000年に発生し、2002年にSBS仮説に基づいて有罪判決を受けた”養父”に対し、再審開始を決めました(Franklin County Court of Common Pleas State of Ohio -vs- Alan J Butts Case Number: 02CR001092)。この事件は、今西貴大さんの事件と非常によく似ているのです。この再審開始決定は、今西事件(イノセンスプロジェクトジャパンの支援ページはこちら)でも参考になるはずです。

 裁判所の認定によると、事件の概要は、以下のようなものでした。アラン・ブッツ(ALan J. Butts)さんは、当時2歳だったジェイディン(Jeydyn)君のお母さんと恋仲になり、一緒に暮らすようになりました。ジェィデイン君とアランさんは血のつながりはありません。でも、アランさんは、ジェイディン君を実の息子のようにかわいがり、ジェイディン君もアランさんを、「パパ」(Dad)と呼んで慕っていました。お母さんが、仕事に行っている間、アランさんがジェイディン君の面倒を見ることになりました。アランさんのジェィデイン君の子育てには、虐待はもちろん、なんら不適切なところはありませんでした。そのジェイディン君が、ある日、滑りやすいバスタブで後ろ向きに倒れて頭を打ってしまいます。その事故の後、ジェィデイン君はときどきふらつくようになってしまいました。口数も少なくなりました。同じ頃、ジェイディン君には鼻づまりなどの風邪のような症状が出ました。お母さんは、ジェイディン君に市販の風邪薬を与えて、様子を見ることにしました。バスタブでの事故数日後、朝からジェイディン君は食欲もなく、元気がありませんでした。お母さんは心配でしたが、人と会う約束があったため、ジェィディン君をアランさんに任せて、外出しました。夕方4時35分ころのことでした。ジェィディン君が倒れてしまい起き上がれないようでした。その様子を見たアランさんは、ジェィデイン君に駆け寄り、”ジェイディン!ジェィデイン!”と叫びましたが反応しません。頬を叩きましたが、反応しません。目を開けて覗き込みましたが、ジェイディン君が見つめ返してくることはありませんでした。アランさんは、急いで救急車を呼びました。

 12分後に救急隊が駆けつけたとき、ジェィディン君は蒼白で、体温も下がり、心停止状態でした。心臓マッサージや気管挿管でもすぐに蘇生しませんでした。30分以上蘇生措置が続けられました。そして翌日午後、ジェイディン君は、搬送された病院で亡くなったのです。

 解剖の結果、ジェィディン君には、眼底及び視神経血腫、硬膜下血腫、脳浮腫というSBSの三徴候が認められました。そのため、ジェィディン君の急変時に一緒にいた唯一の成人であるアランさんは、ジェィディン君を揺さぶって死亡させたと疑われてしまったのです。

 このように見れば、アランさんのケースは、今西さんの事件と非常によく似ていることが判ります。

 今西事件では、数日前に転倒して頭を打ったというエピソードこそありませんが、亡くなったのが2歳児であること急変の数日前から風邪様の症状があったこと、急変してすぐに心肺停止状態となっていること30分以上の心肺蘇生が続けられていること、そして三徴候が認められたことなど、医学的状況はある意味でそっくりです。亡くなったお子さんと血のつながりがない”養父”であり、虐待の主体として偏見を持たれやすい立場だというのも似ています。詳しく見ていきましょう。

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今西貴大さんは無実ですー典型的なAHTえん罪事件

今西貴大さんのえん罪事件(イノセンスプロジェクトジャパン=えん罪救済センターの支援を受けています)について、ご報告します。今西さんは、養子のA子ちゃん(2歳4か月)の「頭部に何らかの方法によって強度の衝撃を与える暴行」を加えて死亡させたとして、2021年3月25日に大阪地裁で懲役12年という判決を受けて、現在控訴審で審理中です。すでに4年にわたり身体拘束を受けていますが、弁護団(川崎拓也、秋田真志、西川満喜、湯浅彩香)は、今西さんの無実を確信しています。A子ちゃんが亡くなったのは「突然死」と考えるのが医学的に合理的だからです。そして、今西さんの人となりやA子ちゃんとの関係を知っているからです。今西さんは、A子ちゃんを虐待するような人ではありません。何より、今西さんがA子ちゃんをかわいがり、A子ちゃんも今西さんを慕い、心から信頼していたことは、多くの証拠から明らかです(筆者の別のブログで詳しく説明しています)。

第1審が始まる直前、A子ちゃんの心臓に、解剖医が見逃していた複数の炎症像が見つかりました。乳幼児の突然死は、日本でも海外でも、数多く報告されています。突然死は原因不明に終わることも多いのですが、後から心臓に異常が見つかる「心臓突然死」の例も多くあります。心臓に炎症が見つかったA子ちゃんの経過も、多くの「心臓突然死」の例と一致しています。逆に、A子ちゃんの症状を「頭部への強度の外力」だとする検察側の主張やそれを鵜呑みにした一審判決の認定は、A子ちゃんの症状や経過を全く説明できていません。検察側主張は、外力ありきのSBS/AHT仮説の誤りをそのまま踏襲したものなのです。以下では、その理由を説明しましょう。

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新潟地裁の無罪判決に検察控訴を断念!-くも膜下腔拡大のリスク

ご報告が遅れましたが、2022年5月9日、新潟地裁でSBS/AHTを疑われた父親に無罪判決が言い渡されました(以下、「新潟事件」といいます)。そして、控訴期限である本日5月23日、新潟地検が控訴断念を発表し、無罪が確定することになりました。

 この事例で、生後5か月の赤ちゃんが自宅でけいれん発作を起こし、救急搬送されたところ、急性硬膜下血腫と眼底出血が認められたことから、119番通報したお父さんが、「激しく揺さぶった」と疑われました。しかし、裁判所は「本件当日の午後、外出先のショッピングセンターにおいて、被告人の妻が抱っこひもを用いて本件乳児を抱っこした状態で階段の上り下りや小走りをした際、本件乳児の頭部が前後に揺さぶられ、その比較的軽微な衝撃により以前から伸展していた架橋静脈が断裂し、急性硬膜下血腫が生じたことも十分に考えられる」として、事件性を否定しました。このような判決のまとめを受けて、各マスコミの多くは、「抱っこひも」「ショッピングセンターでの階段の上り下り」「小走り」を、血腫の原因として重視して報道しました。類似の裁判例として、やはり抱っこひもに抱かれた赤ちゃんが、自転車乗車中の揺さぶりで硬膜下血腫を生じた可能性があるとして、お母さんに無罪を言い渡した例があります(2020(令和2)年12月4日大阪地裁判決)。

確かに「比較的軽微な衝撃」でも急性硬膜下血腫が起こりうることが指摘されています。新潟事件でも、裁判所の認定のとおり、「抱っこひも」上での「衝撃」は十分に原因になったと思われます。ただ、注意して欲しいのは、新潟事件では、赤ちゃんには「くも膜下腔拡大」「頭囲の拡大」があり、血腫の内容は「血性硬膜下水腫」と思われるとの弁護側医師証人の証言があることです。判決も詳細に触れているとおり、くも膜下腔の拡大がある場合、比較的軽微な「衝撃」によって頭蓋内出血の原因となるのは事実ですが、かといって「衝撃」のエピソードの存否にこだわるのが妥当かには疑問があります。なぜなら「衝撃」といえるような外力のエピソードが認められないような場合でも、「出血」が報告されているからです(例えばパトリック D バーンズ「非事故損傷と類似病態:根拠に基づく医学(エビデンス・ベースト・メディシン)時代における問題と論争」吉田謙一訳・龍谷法学52巻1号319頁 Knut Wester ”Two Infant Boys Misdiagnosed as “Shaken Baby” and Their Twin Sisters: A Cautionary Tale” Pediatric Neurology 97(2019)3-11など)。エピソードとして記憶されない程度で、衝撃とすら言えない日常生活上の外力や自然発生的な(=何らかの内因による)「出血」の可能性があるのです。また、「血性硬膜下水腫」は、くも膜という薄い膜の破綻によって、硬膜下に脊髄液が流入するとともに出血を起こし、くも膜下の脊髄液と混合する水腫ができるものです。くも膜下腔が拡大していると、硬膜とくも膜の境界部分(くも膜顆粒など)や伸展された架橋静脈が破綻しやすいこともあり、この「くも膜の破綻」と出血が見られ、血性硬膜下水腫を生じることが多いとされています(Zouros et al “Further characterization of traumatic subdural collections of infancy” J Neurosurg (Pediatrics 5) 100:512–518, 2004)。つまり、赤ちゃんにくも膜下腔拡大が認められる場合、頭蓋内に出血があっても(眼底出血も含みます)、強い外力=虐待の根拠とはなり得ないのです。日本では、硬膜下に出血を疑う所見があれば、すぐに虐待が疑われてしまいますが、そのこと自体が見直されるべきです。

 ところが厄介なことに、日本の医師の間では、くも膜下腔拡大や血性硬膜下水腫についての知識共有は十分ではありません。多くの医師が、くも膜下腔の拡大を慢性硬膜下血腫と誤診した上、虐待が繰り返された証拠だなどと即断してしまうのです(くも膜下腔拡大の誤診について同様の問題点を指摘するものとして、藤原一枝「さらわれた赤ちゃん」幻冬舎36頁以下。2019年)。

 検察庁は、最近、中村Ⅰ型に対する認識を改めたようで、つかまり立ちからの転倒やソファー・ベッドからの落下など、明確な外力(衝撃)のエピソードが認められる事例での訴追には慎重になってきたようにも思えます。しかし、養育者からそのような外力(衝撃)のエピソードが語られない事例で乳幼児に頭蓋内出血が認められる例では、なお訴追を続けています。筆者は、ここに大きな問題があると考えています。外力(衝撃)のエピソードが語られないような場合でも、頭蓋内出血・眼底出血は十分に起こりうるからです。静脈洞血栓症によって頭蓋内出血・眼底出血が生じた山内事件は、その典型です。頭蓋内出血・眼底出血が見られた多くの事例で、頭部表面に目立った外力がなかったことから、「揺さぶり」が疑われるようになって生まれたのが、SBS仮説です。しかし、この揺さぶり理論そのものに大きな疑問があることは、このブログで繰り返し指摘したとおりです。本当に外力(衝撃)が原因と言えるのか、内因は関与していないのかも含めて、「揺さぶり」論の根本に立ち返って、0(ゼロ)ベースでの見直しが必要です。

大阪地裁:一時保護の継続は違法

本日、大阪地裁にて、画期的な判決が言い渡されました。

2018年、過失により頭部に怪我を負った生後1ヶ月の赤ちゃんについて、虐待の疑いがあるとして児童相談所は一時保護を行いました。その後、児童相談所が保護の延長を求めた際に、家庭裁判所が一時保護の解除に向けた検討を求めたにも関わらず、児童相談所はただ親子を引き離し続け、かつ母親が赤ちゃんに面会することも認めなかったのです。この赤ちゃんが自宅に戻ってくるまでに、実に8ヶ月がかかりました。

児童相談所は、この措置が合理的な判断に基づくものであったと主張していました。しかし裁判所は、一時保護の延長と面会の制限は違法であったとして、大阪府に賠償を命じました。

【関テレ】虐待を疑って子どもを8カ月間一時保護 児童相談所の対応は「違法」 大阪府を訴えた母親が勝訴 大阪地裁

【関テレ】児童相談所はなぜ家裁の“忠告”を無視して一時保護を継続したのか? 児相職員が法廷で語った「3つの理由」

裁判長は、違法な一時保護によって「母子の愛着形成の機会」が奪われたと述べています。さらに、このことを「かけがえのない時間」の喪失であったと評価しました。また、原告となった母親は判決後の記者会見で、自己が奪われたものよりも、赤ちゃんが奪われたものの大きさを嘆いていました。ここで失われたもの、奪われたものは権利です。不当な一時保護により、児童と保護者の権利が侵害されたのです。

ーー虐待の兆候が全くない母親が、なぜ生後わずかな赤ちゃんと長期にわたって引き離されてしまったのか。この問題を、一つの児童相談所やその職員の判断ミスとして矮小化するべきではありません。

児童福祉行政の人的・物的資源の不足はもちろんですが、虐待ありきの判断枠組みを後押しするような杜撰な鑑定が存在すること、厚労省「虐待対応の手引き」にSBSについて不正確な記述が残っていることについては、早急な見直しがここ数年求められてきました。本ブログでもたびたび紹介してきたように、誤認保護や過剰保護の存在がようやく明らかになったためです。

しかし、いまだ根本的な見直しはなされていません。それどころか、児童福祉法の改正によって新たに導入される司法審査制度(一時保護開始時)は、現状を悪化させる危険があります。

児童福祉法の一部を改正する法律案(令和4年3月4日提出)

提案されている制度においては、児童相談所が書面によって一時保護状を裁判所に請求し、裁判所は児童の意見も保護者の意見も直接に聴取することなく、判断を下します。これでは、誤った虐待判断による権利侵害は防げないどころか、そこに司法のお墨付きを与えることになりそうです。また、裁判所の判断に対してすぐに不服申立てができるのは、児童相談所側のみです。児童相談所の業務が今よりも増えることも間違いなく、また、期待されていたはずの保護者側との対立解消も期待できません。

改正法が成立して施行されるまでに、まだ時間があります。行うべき一時保護を怠った場合、子どもの権利は侵害されます。同様に、行うべきではない一時保護を行った場合も、子どもの権利は侵害されるのです。少しでも適正な一時保護制度にするために、当事者や実務者の意見を取り入れる機会が不可欠です。

家裁の“忠告”無視した児童相談所の一時保護継続は「違法」 大阪地裁で異例の判決 面会制限の違法性も認める

これまでの議論や、司法審査と子どもの権利条約との関係については、以下の記事もご覧下さい。ここで示された懸念が現実のものとなりつつあります。 一時保護開始時の「司法審査」 拙速な議論を懸念します

まず外力ありきのバイアスを見直すべき-SBS/AHTの根本問題

これまでも繰り返し触れてきましたが、厚労省の「子ども虐待対応の手引き(平成 25 年8月 改正版)」(以下、「手引き」)は、「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どない…」(『手引き』265ページ)、「出血傾向がない乳幼児の硬膜下血腫は3メートル以上からの転落や交通外傷…のような既往がなければ、まず虐待を考える必要がある。特に……乳幼児揺さぶられ症候群を意識して精査する必要がある」(同314ページ)としています。この論理にしたがえば、三徴候があった場合、出血傾向のある病気(以下、「内因」)や交通事故、高位落下がない限り、事実上SBSということになるでしょう。ちなみに「医療機関向け虐待対応啓発プログラムBEAMS(ビームス)」が公表している「SBS/AHT の医学的診断アルゴリズム」(「子ども虐待対応医師のための子ども虐待対応・医学診断ガイド[Pocket Manual]27頁)では、「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3m 以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくて(ママ、「も」が脱落)SBS/AHT である可能性が極めて高い」などとされています。高位落下や交通事故以外の事例が問題になるのですから、これでは三徴候があるだけで、直ちに「虐待」となりかねません。手引きは「内因」について触れているだけ、まだマシといえるかもしれません。しかし、単に「内因」を意識するだけでは足りません。これまでSBS/AHT論に基づき、医学所見のみから虐待だとしてきた医学鑑定書の多くは、形だけ内因を除外したかのような体裁をとっただけで、すぐに原因は「揺さぶりなどの外力だ」と決めつけてしまっています。そして、あたかも、そのような「除外診断」をしたことをもって「三徴候だけで虐待とは決めつけていない」とするのです。実は、ここに根本的な落とし穴があります。乳幼児が三徴候を起こすメカニズムは十分に解明されていません。解明されていない内因によって、三徴候を起こしてしまう可能性は何ら否定できないのです。実際、乳幼児に三徴候が見られた事例において、「それまで普通に見えたのに突然おかしくなった」という説明は、国の内外を問わず、非常に多いのです。日本では祖母が揺さぶりの犯人だと疑われ、高裁で逆転無罪となった山内事件(大阪高裁令和元年10月25日判決)や1審(東京地裁立川支部令和2年2月7日判決)・控訴審(東京高裁令和3年5月28日判決)とも無罪になった東京の事例や、スウェーデンの最高裁で逆転無罪となった事例フランスでの一連の無罪判決アメリカ・ニュージャージー州でAHTに関する検察側医師の証言を許容しなかった事例も同じです。別途報告する冤罪事件今西事件でも、弁護団は内因こそが真の原因と考えています。ところが、SBS/AHT論を主導してきた立場は、これら内因を軽視し、あるいは簡単に否定できるかのような議論を展開し、その原因は、外力だ、虐待だ、と決めつけてしまうのです。「自分たちの論理で内因を除外さえできれば、揺さぶりなどの外力=虐待と言える」という論理そのものに根本的な誤りがあると言わざるを得ません。頭蓋内出血や眼底出血は、内因によって生じることが多くの研究で示されてきました。少し詳しく見ていきましょう。

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ニュージャージー州裁判所の判断の原文をアップしました

前回の投稿記事で秋田弁護士が紹介したニュージャージー州上級裁判所のニエベス事件における証拠決定の原文を、こちらにアップしました。今後、州裁判所のサイトにもアップロード予定だそうですが、重要な判断ですのでご紹介する次第です。

70頁以上にも及ぶ長い決定文ですが、是非お読み下さい。

ニュージャージー裁判所で重要判断ーSBS/AHT仮説を否定!科学的証拠として許容せず!

 2022年の新年早々、アメリカから重大なニュースが飛び込んできました。ニュージャージー州の上級裁判所(Superior Court=日本の地方裁判所に当たります)におけるフライ審理※において、2022年1月7日、SBS/AHT仮説に基づく小児科医の証言について、「AHTに関する証言は、信頼できる証拠ではなく、証明的価値よりも偏見的価値の方がはるかに高いため、本件では許容されない」とされ、検察側証人が、AHTについて証言することを禁止する決定が出されたのです(SUPERIOR COURT OF NEW JERSEY No. 17-06-00785 State of New Jersey vs. Darryl Nieves ORDER OF THE COURT January 7, 2022。以下「NJ決定」といいます)。SBS/AHT仮説発祥の地というべきアメリカにおいて、このような判断がなされたことはきわめて重要です。アメリカのSBS/AHT仮説を輸入する形で有罪判決を重ねてきた日本の裁判実務にも、大きな影響を与えるべきものです。最近、日本では元裁判官がSBS/AHT仮説に関連して、「否定的見解はあるものの、三徴候がAHTを疑う契機とする見解が小児科だけでなく小児眼科や小児神経科・放射線科等の専門医にも広く承認されており、その機序に関する専門医の説明内容も、合理的なものと考えられる」「激しい揺さぶりなどで3徴候が生じ得るという受傷機序自体は、裁判所でも法則性のある『経験則』として認められている」などと論じています(中谷雄二郎「虐待による乳幼児頭部外傷(AHT)をめぐる裁判例の分析」刑事法ジャーナル70号(2021年)33頁。以下、「中谷論文」といいます)。中谷論文の趣旨には不明確なところもありますが、そのSBS/AHT擁護論は、NJ決定によって真っ向から否定されたというべきでしょう。

※Frye Hearing=アメリカで、陪審裁判に先立ち、当事者から証拠請求された科学的証拠の許容性を審査する審理。日本にはこのような審理手続はありませんが、アメリカでは陪審に科学的に不確かな証拠で誤った予断を与えないために行われます。

 以下、NJ決定の概要を見てみましょう。

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一時保護開始時の「司法審査」 拙速な議論を懸念します

 厚生労働省・子ども家庭局による「児童相談所における一時保護の手続等の在り方に関する検討会」(以下、一時保護検討会という)は、2021年4月に「とりまとめ」を公表し、その中で「一時保護は、一時的とはいえ、子どもを保護者から引き離すものであり、子どもの権利の制限であるとともに、親権の行使等に対する制限でもあるため、こうした点を踏まえると、児童相談所による一時保護に関する判断の適正性の担保や手続の透明性の確保を図る必要がある」として、児童の権利に関する条約第9条や国連児童の権利委員会による総括所見を引きながら、「独立性・中立性・公平性を有する司法機関が一時保護の開始の判断について審査する新たな制度」を「できる限り早期に…実現すべき」であると結論付けました。

 一時保護が親や子どもの権利制限を行うものであることに鑑み、一時保護の開始時にあっても、司法審査を導入し、一時保護判断の適正性と手続保障を確保しようとしたものでした。

 その後、厚労省、法務省、最高裁は、この「司法審査」のあり方について協議を行っていたようで、2021年11月5日に開催された「社会保障審議会 (児童部会社会的養育専門委員会)」では、上記「とりまとめ」後に進められた「厚生労働省、法務省及び最高裁判所から成るWG」における「実証的な検討」の結果が公表されました(「一時保護時の司法審査等(案)」、以下「案」という)。

 しかし、そこで提案された一時保護開始時の「司法審査」には、以下に述べるような重大な問題があります。このまま「案」の考え方に沿って法改正に向けた議論が進んだ場合には、「とりまとめ」が指摘したような問題点を解消しない制度が作られる可能性があります。今後、拙速な議論が行われないかにつき、重大な懸念があります。

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