Category Archives: 海外の議論状況

「AHT共同声明」の再検討(酒井邦彦元高検検事長の論文について(5))

 このブログでもすでに何度か指摘してきたとおり、2020年2月発行の『研修』誌・860号17ページに掲載された酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」は、「最近のAHTに関する内外における進展」の存在を指摘し、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」(下線は引用者)と述べた上で、この声明は「吐瀉物の誤嚥による窒息がAHTと同様の所見を呈するという主張など、SBSの反論として挙げられる多くの他の原因について、信頼できる医学的な証拠はないなどとしています」 と記述します。

 SBS検証プロジェクトは、これまでもAHT共同声明の全文を翻訳するとともに、その内容について検討(1, 2, 3, 4) してきました。2019年2月のシンポジウムではAHT共同声明について掘り下げて議論しました。したがって酒井論文の認識はそもそも誤っているのですが、本投稿ではさらに、酒井論文が重視しているAHT共同声明がどのような意図で出された文書なのかを明らかにしようと思います。

 結論からいうと、AHT共同声明は、刑事裁判に対して影響を与えるために出された、きわめて政治的な色彩の強い文書です。

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ドーバート基準をめぐる論争-議論の本質を見極めた上で(酒井邦彦元検事長の論文について(4))

このブログで何回か触れた酒井邦彦元高検検事長の論文ですが、その(2)が公表されました(酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る 司法の試練と挑戦(2)(全3回)」研修(令和2.3,第861号)13頁。以下、前回の論文を「酒井論文1」、今回の論文を「酒井論文2」といいます)。酒井論文2は、直接SBS/AHTを問題としたものではありませんが、「補遣」の形で、酒井論文1で触れられていた大阪地裁平成30年3月13日判決について、大阪高裁で逆転無罪判決が言い渡されたことを補足されました(もっとも、検察庁が上告をしたというだけで、その中味についてはコメントされていません)。あるいは、酒井元検事長は、このブログをご覧いただいたのかもしれません。もし、ご覧いただいたのであれば、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」 (下線は引用者) との一文についても訂正をいただきたかったところですが(当プロジェクトは、AHT共同声明について繰り返し述べています)、その点は措きましょう。その代わりという訳ではないのでしょうが、「補遣」の2点目として、「アメリカ連邦地方裁判所ニューメキシコ地区判決(ママ)」(下線は引用者)について、詳しく言及しておられます。調べて見ると、酒井元検事長が指摘されるように、2019年12月5日にニューメキシコ州の連邦地裁の裁判官が、弁護側専門家証人について意見を述べるとともに、これを証拠から排除する決定(Memorandum opinion and order on the United States’ motion in Limine for Daubert ruling regarding the admissible and scope of defendant’s proposed expert testimony/The United States District Court for the District of New Mexico No. 1:14-cr-3762-WJ)をしていたようです(以下、この決定を「NM排除決定」とします)。アメリカのSBS仮説に基づく啓蒙団体「The National Center on Shaken Baby Syndrome」のホームページに掲載されていました。酒井論文2に接するまで、このNM排除決定のことは知りませんでしたので、このような情報を提供いただけることはありがたいことです。ただ、気をつけなければならないのは、アメリカの裁判例では、逆にSBS仮説こそが、ドーバート基準を充足していないという判断が、これまで複数出されていることです。酒井論文2だけを読むと、あたかもNM排除決定の判断が、アメリカでの裁判の趨勢であるかのように思われるかもしれませんが、決してそうではないのです。少し詳しく見てみましょう。

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小児科医は生体工学を語れるか?-根拠に基づいた議論であればこそ(酒井邦彦元高検検事長の論文について(3))

「怒りでコントロールができない状態ですから、リミッターは外れた状態になってます。無我夢中で(赤ちゃんを)揺さぶってるという状態になります。ですから、実際の臨床の場面では、成人女性でも立った状態で揺さぶって、頭の中に損傷を加えてしまったという事例は一杯あります。…被害児の体重というものは、6か月のダミー人形に比べるとかなり軽いものであるということからすると、十分立った状態で揺さぶって、成人女性でも閾値を超えることは医学的にはあり得る。なおかつどこかに体を設置させて、そこに体重を支えさせた状態で揺さぶり行為を加えたんだとすると、全然あり得る話だというふうに医学的には判断されます」

ある裁判での証言です。この「証言」を読んでどのように思われたでしょうか?「実際の臨床の場面」「医学的にはあり得る」「全然あり得る」「医学的には判断される」。その言葉ぶりから、証言の主が医師であることは想像がつくでしょう。医師が、このように述べたら、「そんなものかもしれない」と思ってしまうかもしれません。しかし、少し立ち止まって考えてみて下さい。「臨床」「医学的」「全然あり得る」などと述べる根拠は何なのでしょうか?

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ウェイニー・スクワイア博士への誤った批判(酒井邦彦元高検検事長の論文について(2))

 2020年2月発行の『研修』誌・860号17ページに掲載された酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」には、1日のブログ記事において秋田弁護士が指摘したような様々な問題点があります。

 数回にわたってその問題点を指摘していきますが、本日は、同論文25ページにある以下の記述について検討したいと思います。記述部分は短いのですが、同様の言及が他の論稿や法廷などでも見られますので、指摘が必要だと考えています。

 酒井論文は、大阪高裁令和元年10月25日判決を批判する文脈で、静脈洞血栓症という病気の場合には急激に意識障害等を発症したという報告例がないという検察側のM医師の証言を判決が採用しなかったことを問題視します。

 そして、同判決について、「イギリスで証言の信用性がないことから控訴院判決で3年間の証言停止処分を受けた医師の論文に依拠した上、『起こり得ない経過と断定する点は、必ずしも信用できない』としています。しかし、このような主張、立証は、ドーバート基準〔引用者注:アメリカの連邦裁判所における科学的証拠の許容性基準〕の下では、到底許容されるものではなく、もし基準を適用していれば、イギリスの医師の論文が採用され、判決の理由に挙げられることもなかったはずで、……より科学的、客観的に証言の信用性評価が行われていたら、判決の結論は異なったものになった可能性があったのではないかと思います」といいます(下線は引用者)。

 酒井論文におけるドーバート基準の理解については別途検討する必要がありますが、ここでは、この下線部分について解説します。

 酒井論文がここであげている「イギリスの医師」は、ウェイニー・スクワイア博士(Dr. Waney Squier)のことを指していると思われます。オクスフォード・ラドクリフ病院の医師(小児神経病理学)であったスクワイア博士は、2018年・2019年にも来日し、SBS検証プロジェクトが共催したSBSを検証するシンポジウムなどでも基調講演されました。そのときの講演録は、こちら(中央の「本文・要約」ボタンをクリックして下さい。なお、環境によっては全文が表示されないことがありますので、ご了承ください)で読むことができます。

 スクワイア博士は、もともと SBS理論の支持者でしたが、研究を進める中で同理論に疑念を持ち、2000年代中ごろ以降、同理論を批判的に検証する論文を多数執筆しておられます。

 スクワイア博士に対しては、酒井論文以外にも 「『科学的偏見を助長させた専門家』として、総合医療評議会(GMC)に医師免許剥奪が申し立てられることとなった。結局……医師免許は維持されたものの、今後三年間、専門家証人となることを禁じられることとなった 」( 溝口史剛「訳者による解説」ロバート・リース(溝口史剛訳)『SBS:乳幼児揺さぶられ症候群』(金剛出版、2019年)348頁) )などの批判が向けられ、最近はSBS/AHT事件の法廷等においても、検察官や検察側証人から同様の言及が行われています。

 上記の酒井論文や溝口解説だけを読むと、あたかもスクワイア博士が 問題のある医師であるかのような印象を抱きかねません。本当にそうなのでしょうか。結論から言えば、不十分かつ不正確な理解による偏見と言うべきです。

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国外からも注目されるSBS検証プロジェクトの活動

相次ぐSBS無罪判決が海外でも注目を集めており、笹倉共同代表がいち早く英文でアップした判決要旨(Osaka High Court clears grandmother in a SBS case, Three More Not-Guilty Verdicts in SBS Cases!)は日本以外からのアクセス数を着実に伸ばしています。海外の専門家からは温かいメッセージが届くとともに、SBS検証プロジェクト(SRP)の活動についてインタビューの申し込みが複数ありました。そのうち、2月27日に行われたニューイングランド・イノセンス・プロジェクトとのSkypeミーティングの様子をお届けします。

アメリカマサチューセッツ州ボストンに本拠地を置くニューイングランド・イノセンス・プロジェクト(NEIP)は、冤罪の救済と予防を目的として2000年に設立されました。

ミーティングには、NEIP代表のRadha Natarajan氏のほか、Laura Carey氏、Cynthia Mousseau氏、Brandon Scheck氏が参加し、SRPからは秋田弁護士、笹倉教授の両共同代表と、古川原が参加しました。

まず、笹倉共同代表がスライドを用いながら、SBS仮説導入前後の日本での議論状況、SBS仮説が優勢な状況下でSRP設立に至った経緯、その後の活動についてプレゼンを行いました。SRPの活動は、「調査研究・啓発・支援・連携・弁護」という5つの観点から説明がなされ、設立からわずか2年強でここまで多方面に広がりを見せたことにNEIPメンバーからは称賛の声が上がりました。

プレゼン後のディスカッションでは、まず、日本には1960年代に低位落下についての知見(いわゆる中村1型)が存在していながら、なぜそれが排斥されてしまったのかという点や、地域的な事件数の偏りについて質問があり、両共同代表が日本の議論状況を補足説明しました。また、弁護側に協力してくれる専門家を見つけることや、データを収集して見直すことには、NEIPも困難を感じているとのやり取りがありました。他方、日本のSBS問題を根深いものにしている要因として、日本の刑事司法制度に特有の問題(長期の身柄拘束下での取り調べ、自白の偏重、有罪率の高さなど)を伝えると、NEIPメンバーは一様に驚いた様子でした。そのような状況下で、どのように一定の成果を上げることができたのかという質問に対し、秋田共同代表の答えは、様々な分野にむけて正確なデータをもとに根気よく働きかけを続けたことで、雰囲気を変えることが出来たからであろうというものでした。

SRPの活動にとって、海外の専門家や団体との協力は欠かせません。スウェーデンに始まった海外調査や、国際シンポジウムはその一例です。また、SBSだけでなく幅広く冤罪問題に取り組んできた国内外の人々との繋がりも大きいものでした。私たちがそうした交流の中で得てきたのは、専門的な知見や情報だけではなく、情熱と刺激です。SRPもまた、同様の困難に立ち向かう海外のファイター達にとって良い刺激となりつつあることを誇らしく感じたミーティングでした。

SBSをめぐるYAHOO!JAPANニュース新着記事

YAHOO!JAPANニュースで

“虐待冤罪” 無罪判決続く 当事者が投げ掛ける「揺さぶられ症候群」の隙間

が公開されました。ジャーリストの益田美樹さんが、SBSをめぐる日本の現状を多角的な視点からリポートしたものです。是非お読み下さい。

2月14日(金)日弁連でSBSをめぐるセミナー

来る2020年2月14日(金)午後6時から、東京霞ヶ関の弁護士会館で、SBS(揺さぶられっ子症候群)仮説をめぐるセミナー「虐待を防ぎ冤罪も防ぐために、いま知るべきこと」 (主催 日本弁護士連合会、共催 関東弁護士会連合会、東京三弁護士会、大阪弁護士会、甲南学園平生記念人文・社会科学研究奨励助成研究「児童虐待事件における冤罪防止のための総合的研究グループ」、龍谷大学犯罪学研究センター科学鑑定ユニット) を開催します。最新の状況を踏まえて、活発かつ建設的な議論をしたいと思っています。ぜひお越しください。

大阪高裁無罪判決、海外でも話題に

笹倉教授が英文で報告されましたが(↓)、海外でもこの無罪判決が話題になっています。アメリカ、イギリス、スウェーデン、フランスなどから、無罪を喜び、山内さんのこれまでのご苦労をねぎらうメッセージが続々と届いています。フランスでSBS冤罪支援の中心を担っているシリルさんからは、1か月前にフランスでも、6年の裁判闘争の結果、静脈洞血栓症と髄膜炎という内因性の疾患である可能性が認められ、父親に無罪判決が出されたばかりだったと言う連絡をいただきました。国際的な情報共有の重要性を感じます。

バーンズ論文の翻訳が公刊されました

パトリック・バーンズ博士の医学論文「非事故損傷と類似病態:根拠に基づく医学(エビデンス・ベースト・メディシン)時代における問題点と論争」の翻訳が、龍谷法学52巻1号にて公刊されました。翻訳者は、吉田謙一先生(大阪府監察医事務所監察医務監、東京大学医学系研究科名誉教授)です。

この論文は、医学的所見と画像診断所見のみで、虐待による損傷と、事故による損傷やよく似た病態を確実に区別することは困難であると述べたものです。結論に至る中で、画像や文献も豊富に示されており、SBS理論を検証する際には必読の論文といえます。

9月公刊の龍谷法学52巻2号には、吉田先生によるバーンズ論文の解説が掲載される予定です。いずれも、雑誌公刊から一ヶ月ほど経過後に、webでの閲覧も可能となります。