小児科医は生体工学を語れるか?-根拠に基づいた議論であればこそ(酒井邦彦元高検検事長の論文について(3))

「怒りでコントロールができない状態ですから、リミッターは外れた状態になってます。無我夢中で(赤ちゃんを)揺さぶってるという状態になります。ですから、実際の臨床の場面では、成人女性でも立った状態で揺さぶって、頭の中に損傷を加えてしまったという事例は一杯あります。…被害児の体重というものは、6か月のダミー人形に比べるとかなり軽いものであるということからすると、十分立った状態で揺さぶって、成人女性でも閾値を超えることは医学的にはあり得る。なおかつどこかに体を設置させて、そこに体重を支えさせた状態で揺さぶり行為を加えたんだとすると、全然あり得る話だというふうに医学的には判断されます」

ある裁判での証言です。この「証言」を読んでどのように思われたでしょうか?「実際の臨床の場面」「医学的にはあり得る」「全然あり得る」「医学的には判断される」。その言葉ぶりから、証言の主が医師であることは想像がつくでしょう。医師が、このように述べたら、「そんなものかもしれない」と思ってしまうかもしれません。しかし、少し立ち止まって考えてみて下さい。「臨床」「医学的」「全然あり得る」などと述べる根拠は何なのでしょうか?

この医師は、臨床の場面で、「怒りでコントロールできなくなって、無我夢中で揺さぶっている成人女性」の姿を見たことがあるのでしょうか?成人女性が、立った状態で赤ちゃんを揺さぶっているのを見たことがあるのでしょうか?実は、ここで「ダミー人形よりかなり軽い」とされた「被害児」は、当時5.6㎏ありました。試しに5㎏の米袋を揺さぶってみて下さい。あなたには、1秒間に3~4往復という激しい揺さぶりができるでしょうか?もしかしたら、あなたが屈強なスポーツマンならできるかもしれません。しかし、ここで、そのような揺さぶりをしたとされている人物が、身長146cm、体重40㎏程度の華奢な66歳の女性であったとすれば?

この医師が、証言の根拠にしたのは、「20代男性の被験者5名による」「最大努力(1秒間3~4往復)」というダミー人形に対する「暴力的揺さぶり」実験です(宮崎祐介「頭蓋内挙動可視化に基づく乳幼児揺さぶられ症候群のメカニズム」脳外誌24巻7号468頁2015年)。もちろん、身長146㎝の66歳の女性による実験データでありません。また、いくら経験豊かな医師であっても、臨床の場面で「怒りでコントロールできなくなって、無我夢中で揺さぶっている成人女性」の姿を直接に目撃したことなどあり得ません。私の知る限りではありますが、「自白」を除いて、客観的な目撃や動画などによって、実際の揺さぶりによってSBSが生じたという報告はありません(自白に依存することの危険性については、別稿をご覧ください)。つまり、この医師は、実際の事件に見合わない不確実なデータを根拠に、「医学的」と繰り返し、「全然あり得る」と述べていた、と言えるのです。この医師の証言について、大阪高裁令和元(2019)年10月25日判決(山内事件)は、「このような架橋静脈断裂に必要と想定されるだけの速さや勢いの揺さぶり行為を、立って、どこかに体を設置させて体重を支えさせた状態で、被告人がBに対して行うということが現実的に想定できるか、かなり疑問である。被告人の年齢、体格からくる体力を考えても、…被告人の立場や経緯、本件現場の状況等に照らしても、被告人がこのような揺さぶり行為に及ぶと考えるのは、相当不自然である」と述べました。当然の判断と言えるでしょう。すでにお判りとは思いますが、この医師は、溝口史剛医師です。

さて、前置きが長くなりましたが、ここで問題にしたいのは、溝口医師の立場です。溝口医師は、小児科医です。もちろん生体工学の専門家ではありません。物理工学の専門家でもありません。小児科医の立場で、上記のような証言をしたのですから、「専門領域を超えて証言をした」と言えるでしょう。笹倉教授が詳しく説明されているように、ウェイニー・スクワイア医師は、イギリス訴追機関によるSBS懐疑論への攻撃の一環として「専門領域を超えて証言をした」との理由で医師免許剥奪を申し立てられることになりました(但し、スクワイア医師の証言内容自体が誤っていたとされたわけではありません)。同じ理屈で言えば、溝口医師もイギリスであれば医師免許剥奪を申し立てられかねません。しかし、私自身は、溝口医師にしても、「専門領域を超えて証言をした」からと言って、そのこと自体を批判されるべきではないと考えています。SBS/AHTの議論は、小児脳神経、眼科、周産期、新生児期、生体工学、物理学、血液凝固学、整形外科など多分野に関わるものです。それらを総合的に研究することによって、個別専門分野の医師や学者よりも深い知見を得ることも十分にあり得ます。重要なのは、その証言が、十分な根拠に基づいて語られているかどうかです。不十分な根拠しかないのに、あるいは自説に都合の悪い研究を無視し、自説のみを絶対的な医学であるかのような断定をしているのであれば、それは科学者として最も忌むべき態度でしょう。

溝口医師は、山内事件の控訴審で、スクワイア医師について、「2016年に科学的偏見を助長させる証言を繰り返したとして、証言停止を3年間、食らってる人です」と証言しましたが、スクワイア医師の証言で問題とされたのが「(自分の証言と同じように)専門領域を超えて証言をした」ことであると十分に理解した上でのことなのか、大いに疑問です。ちなみに溝口医師は、同じ山内事件控訴審の弁護側反対尋問で、スクワイア医師の論文(Waney Squier 「The “Shaken Baby” Syndrome: Pathology and Mechanisms, 122(5) Acta Neuropathol (2011) at 519)を「斜め読みした」とは弁解しましたが、検察側の主尋問では、その論文に控訴審で最大の争点であった急激な「静脈洞血栓症」による乳児死亡例が紹介されていることを無視し、「急激な発症経過をたどった静脈洞血栓症は一例も報告が ない」と証言していたのです。しかし、スクワイア論文掲載の症例は、発症の経緯とともに、死亡後の解剖写真まで掲載されており、およそ無視できるようなものではありませんでした。反対尋問でスクワイア論文を突きつけられた溝口医師は、「これほど、もし本当にCSVT(静脈洞血栓症)の突然発症の事例であれば、この事例のみで1本しっかりとした論文をなぜ書かないんですか」などと言い出しましたが、何の反論にもなっていません。控訴審判決が、「溝口医師が世界中のあらゆる文献を精査したのかは疑問であり、その証言には自ずと限界があり(イギリスで証言停止になった医師が執筆したものであるとして、検察官が証明力を争う論文ではあるが、脳静脈洞血栓症の『乳児の少なくとも10%は無症候性であり』…という記述があるほか、『皮質静脈および静脈洞血栓症。公立の公園で倒れ、虚脱状態となった4週齢の乳児』との説明を付して写真付きで症例が報告されてはいる…)…医師がそのような報告例に接したことがないとしても、起こり得ない発症経過であると断定する点は必ずしも信用できない」と指摘して、その証言を採用しなかったのは当然です。

さて、酒井邦彦元高検検事長の論文です。上記控訴審判決の判示について、酒井論文は、「イギリスで証言の信用性がないことから控訴院判決で3年間の証言停止処分を受けた医師の論文に依拠した上、『起こり得ない経過と断定する点は、必ずしも信用できない』としています。しかし、このような主張、立証は、ドーバート基準の下では、到底許容されるものではなく、もし基準を適用していれば、イギリスの医師の論文が採用され、判決の理由に挙げられることもなかったはずで、……より科学的、客観的に証言の信用性評価が行われていたら、判決の結論は異なったものになった可能性があったのではないかと思います」(酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」研修・860号25頁)とします。酒井元検事長は、上記のような溝口医師の証言の経緯や、スクワイア医師に対する医師免許剥奪申立の経緯、さらにはスクワイア論文の内容を理解された上で、このように書かれたのでしょうか。もし理解した上でのことであれば、それこそ大問題です。いずれもご存じなかったのでしょう。「根拠に基づいた医学(Evidence Based Medicine)」の考え方を見習って、しっかりと根拠を見極めていただきたいと思います。

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