Category Archives: 日本での議論状況

オハイオで再審開始決定!-今西貴大さんの事件との共通点

 2022年11月10日、アメリカ・オハイオ州の裁判所が、22年前の2000年に発生し、2002年にSBS仮説に基づいて有罪判決を受けた”養父”に対し、再審開始を決めました(Franklin County Court of Common Pleas State of Ohio -vs- Alan J Butts Case Number: 02CR001092)。この事件は、今西貴大さんの事件と非常によく似ているのです。この再審開始決定は、今西事件(イノセンスプロジェクトジャパンの支援ページはこちら)でも参考になるはずです。

 裁判所の認定によると、事件の概要は、以下のようなものでした。アラン・ブッツ(ALan J. Butts)さんは、当時2歳だったジェイディン(Jeydyn)君のお母さんと恋仲になり、一緒に暮らすようになりました。ジェィデイン君とアランさんは血のつながりはありません。でも、アランさんは、ジェイディン君を実の息子のようにかわいがり、ジェイディン君もアランさんを、「パパ」(Dad)と呼んで慕っていました。お母さんが、仕事に行っている間、アランさんがジェイディン君の面倒を見ることになりました。アランさんのジェィデイン君の子育てには、虐待はもちろん、なんら不適切なところはありませんでした。そのジェイディン君が、ある日、滑りやすいバスタブで後ろ向きに倒れて頭を打ってしまいます。その事故の後、ジェィデイン君はときどきふらつくようになってしまいました。口数も少なくなりました。同じ頃、ジェイディン君には鼻づまりなどの風邪のような症状が出ました。お母さんは、ジェイディン君に市販の風邪薬を与えて、様子を見ることにしました。バスタブでの事故数日後、朝からジェイディン君は食欲もなく、元気がありませんでした。お母さんは心配でしたが、人と会う約束があったため、ジェィディン君をアランさんに任せて、外出しました。夕方4時35分ころのことでした。ジェィディン君が倒れてしまい起き上がれないようでした。その様子を見たアランさんは、ジェィデイン君に駆け寄り、”ジェイディン!ジェィデイン!”と叫びましたが反応しません。頬を叩きましたが、反応しません。目を開けて覗き込みましたが、ジェイディン君が見つめ返してくることはありませんでした。アランさんは、急いで救急車を呼びました。

 12分後に救急隊が駆けつけたとき、ジェィディン君は蒼白で、体温も下がり、心停止状態でした。心臓マッサージや気管挿管でもすぐに蘇生しませんでした。30分以上蘇生措置が続けられました。そして翌日午後、ジェイディン君は、搬送された病院で亡くなったのです。

 解剖の結果、ジェィディン君には、眼底及び視神経血腫、硬膜下血腫、脳浮腫というSBSの三徴候が認められました。そのため、ジェィディン君の急変時に一緒にいた唯一の成人であるアランさんは、ジェィディン君を揺さぶって死亡させたと疑われてしまったのです。

 このように見れば、アランさんのケースは、今西さんの事件と非常によく似ていることが判ります。

 今西事件では、数日前に転倒して頭を打ったというエピソードこそありませんが、亡くなったのが2歳児であること急変の数日前から風邪様の症状があったこと、急変してすぐに心肺停止状態となっていること30分以上の心肺蘇生が続けられていること、そして三徴候が認められたことなど、医学的状況はある意味でそっくりです。亡くなったお子さんと血のつながりがない”養父”であり、虐待の主体として偏見を持たれやすい立場だというのも似ています。詳しく見ていきましょう。

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今西貴大さんは無実ですー典型的なAHTえん罪事件

今西貴大さんのえん罪事件(イノセンスプロジェクトジャパン=えん罪救済センターの支援を受けています)について、ご報告します。今西さんは、養子のA子ちゃん(2歳4か月)の「頭部に何らかの方法によって強度の衝撃を与える暴行」を加えて死亡させたとして、2021年3月25日に大阪地裁で懲役12年という判決を受けて、現在控訴審で審理中です。すでに4年にわたり身体拘束を受けていますが、弁護団(川崎拓也、秋田真志、西川満喜、湯浅彩香)は、今西さんの無実を確信しています。A子ちゃんが亡くなったのは「突然死」と考えるのが医学的に合理的だからです。そして、今西さんの人となりやA子ちゃんとの関係を知っているからです。今西さんは、A子ちゃんを虐待するような人ではありません。何より、今西さんがA子ちゃんをかわいがり、A子ちゃんも今西さんを慕い、心から信頼していたことは、多くの証拠から明らかです(筆者の別のブログで詳しく説明しています)。

第1審が始まる直前、A子ちゃんの心臓に、解剖医が見逃していた複数の炎症像が見つかりました。乳幼児の突然死は、日本でも海外でも、数多く報告されています。突然死は原因不明に終わることも多いのですが、後から心臓に異常が見つかる「心臓突然死」の例も多くあります。心臓に炎症が見つかったA子ちゃんの経過も、多くの「心臓突然死」の例と一致しています。逆に、A子ちゃんの症状を「頭部への強度の外力」だとする検察側の主張やそれを鵜呑みにした一審判決の認定は、A子ちゃんの症状や経過を全く説明できていません。検察側主張は、外力ありきのSBS/AHT仮説の誤りをそのまま踏襲したものなのです。以下では、その理由を説明しましょう。

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新潟地裁の無罪判決に検察控訴を断念!-くも膜下腔拡大のリスク

ご報告が遅れましたが、2022年5月9日、新潟地裁でSBS/AHTを疑われた父親に無罪判決が言い渡されました(以下、「新潟事件」といいます)。そして、控訴期限である本日5月23日、新潟地検が控訴断念を発表し、無罪が確定することになりました。

 この事例で、生後5か月の赤ちゃんが自宅でけいれん発作を起こし、救急搬送されたところ、急性硬膜下血腫と眼底出血が認められたことから、119番通報したお父さんが、「激しく揺さぶった」と疑われました。しかし、裁判所は「本件当日の午後、外出先のショッピングセンターにおいて、被告人の妻が抱っこひもを用いて本件乳児を抱っこした状態で階段の上り下りや小走りをした際、本件乳児の頭部が前後に揺さぶられ、その比較的軽微な衝撃により以前から伸展していた架橋静脈が断裂し、急性硬膜下血腫が生じたことも十分に考えられる」として、事件性を否定しました。このような判決のまとめを受けて、各マスコミの多くは、「抱っこひも」「ショッピングセンターでの階段の上り下り」「小走り」を、血腫の原因として重視して報道しました。類似の裁判例として、やはり抱っこひもに抱かれた赤ちゃんが、自転車乗車中の揺さぶりで硬膜下血腫を生じた可能性があるとして、お母さんに無罪を言い渡した例があります(2020(令和2)年12月4日大阪地裁判決)。

確かに「比較的軽微な衝撃」でも急性硬膜下血腫が起こりうることが指摘されています。新潟事件でも、裁判所の認定のとおり、「抱っこひも」上での「衝撃」は十分に原因になったと思われます。ただ、注意して欲しいのは、新潟事件では、赤ちゃんには「くも膜下腔拡大」「頭囲の拡大」があり、血腫の内容は「血性硬膜下水腫」と思われるとの弁護側医師証人の証言があることです。判決も詳細に触れているとおり、くも膜下腔の拡大がある場合、比較的軽微な「衝撃」によって頭蓋内出血の原因となるのは事実ですが、かといって「衝撃」のエピソードの存否にこだわるのが妥当かには疑問があります。なぜなら「衝撃」といえるような外力のエピソードが認められないような場合でも、「出血」が報告されているからです(例えばパトリック D バーンズ「非事故損傷と類似病態:根拠に基づく医学(エビデンス・ベースト・メディシン)時代における問題と論争」吉田謙一訳・龍谷法学52巻1号319頁 Knut Wester ”Two Infant Boys Misdiagnosed as “Shaken Baby” and Their Twin Sisters: A Cautionary Tale” Pediatric Neurology 97(2019)3-11など)。エピソードとして記憶されない程度で、衝撃とすら言えない日常生活上の外力や自然発生的な(=何らかの内因による)「出血」の可能性があるのです。また、「血性硬膜下水腫」は、くも膜という薄い膜の破綻によって、硬膜下に脊髄液が流入するとともに出血を起こし、くも膜下の脊髄液と混合する水腫ができるものです。くも膜下腔が拡大していると、硬膜とくも膜の境界部分(くも膜顆粒など)や伸展された架橋静脈が破綻しやすいこともあり、この「くも膜の破綻」と出血が見られ、血性硬膜下水腫を生じることが多いとされています(Zouros et al “Further characterization of traumatic subdural collections of infancy” J Neurosurg (Pediatrics 5) 100:512–518, 2004)。つまり、赤ちゃんにくも膜下腔拡大が認められる場合、頭蓋内に出血があっても(眼底出血も含みます)、強い外力=虐待の根拠とはなり得ないのです。日本では、硬膜下に出血を疑う所見があれば、すぐに虐待が疑われてしまいますが、そのこと自体が見直されるべきです。

 ところが厄介なことに、日本の医師の間では、くも膜下腔拡大や血性硬膜下水腫についての知識共有は十分ではありません。多くの医師が、くも膜下腔の拡大を慢性硬膜下血腫と誤診した上、虐待が繰り返された証拠だなどと即断してしまうのです(くも膜下腔拡大の誤診について同様の問題点を指摘するものとして、藤原一枝「さらわれた赤ちゃん」幻冬舎36頁以下。2019年)。

 検察庁は、最近、中村Ⅰ型に対する認識を改めたようで、つかまり立ちからの転倒やソファー・ベッドからの落下など、明確な外力(衝撃)のエピソードが認められる事例での訴追には慎重になってきたようにも思えます。しかし、養育者からそのような外力(衝撃)のエピソードが語られない事例で乳幼児に頭蓋内出血が認められる例では、なお訴追を続けています。筆者は、ここに大きな問題があると考えています。外力(衝撃)のエピソードが語られないような場合でも、頭蓋内出血・眼底出血は十分に起こりうるからです。静脈洞血栓症によって頭蓋内出血・眼底出血が生じた山内事件は、その典型です。頭蓋内出血・眼底出血が見られた多くの事例で、頭部表面に目立った外力がなかったことから、「揺さぶり」が疑われるようになって生まれたのが、SBS仮説です。しかし、この揺さぶり理論そのものに大きな疑問があることは、このブログで繰り返し指摘したとおりです。本当に外力(衝撃)が原因と言えるのか、内因は関与していないのかも含めて、「揺さぶり」論の根本に立ち返って、0(ゼロ)ベースでの見直しが必要です。

まず外力ありきのバイアスを見直すべき-SBS/AHTの根本問題

これまでも繰り返し触れてきましたが、厚労省の「子ども虐待対応の手引き(平成 25 年8月 改正版)」(以下、「手引き」)は、「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どない…」(『手引き』265ページ)、「出血傾向がない乳幼児の硬膜下血腫は3メートル以上からの転落や交通外傷…のような既往がなければ、まず虐待を考える必要がある。特に……乳幼児揺さぶられ症候群を意識して精査する必要がある」(同314ページ)としています。この論理にしたがえば、三徴候があった場合、出血傾向のある病気(以下、「内因」)や交通事故、高位落下がない限り、事実上SBSということになるでしょう。ちなみに「医療機関向け虐待対応啓発プログラムBEAMS(ビームス)」が公表している「SBS/AHT の医学的診断アルゴリズム」(「子ども虐待対応医師のための子ども虐待対応・医学診断ガイド[Pocket Manual]27頁)では、「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3m 以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくて(ママ、「も」が脱落)SBS/AHT である可能性が極めて高い」などとされています。高位落下や交通事故以外の事例が問題になるのですから、これでは三徴候があるだけで、直ちに「虐待」となりかねません。手引きは「内因」について触れているだけ、まだマシといえるかもしれません。しかし、単に「内因」を意識するだけでは足りません。これまでSBS/AHT論に基づき、医学所見のみから虐待だとしてきた医学鑑定書の多くは、形だけ内因を除外したかのような体裁をとっただけで、すぐに原因は「揺さぶりなどの外力だ」と決めつけてしまっています。そして、あたかも、そのような「除外診断」をしたことをもって「三徴候だけで虐待とは決めつけていない」とするのです。実は、ここに根本的な落とし穴があります。乳幼児が三徴候を起こすメカニズムは十分に解明されていません。解明されていない内因によって、三徴候を起こしてしまう可能性は何ら否定できないのです。実際、乳幼児に三徴候が見られた事例において、「それまで普通に見えたのに突然おかしくなった」という説明は、国の内外を問わず、非常に多いのです。日本では祖母が揺さぶりの犯人だと疑われ、高裁で逆転無罪となった山内事件(大阪高裁令和元年10月25日判決)や1審(東京地裁立川支部令和2年2月7日判決)・控訴審(東京高裁令和3年5月28日判決)とも無罪になった東京の事例や、スウェーデンの最高裁で逆転無罪となった事例フランスでの一連の無罪判決アメリカ・ニュージャージー州でAHTに関する検察側医師の証言を許容しなかった事例も同じです。別途報告する冤罪事件今西事件でも、弁護団は内因こそが真の原因と考えています。ところが、SBS/AHT論を主導してきた立場は、これら内因を軽視し、あるいは簡単に否定できるかのような議論を展開し、その原因は、外力だ、虐待だ、と決めつけてしまうのです。「自分たちの論理で内因を除外さえできれば、揺さぶりなどの外力=虐待と言える」という論理そのものに根本的な誤りがあると言わざるを得ません。頭蓋内出血や眼底出血は、内因によって生じることが多くの研究で示されてきました。少し詳しく見ていきましょう。

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ニュージャージー裁判所で重要判断ーSBS/AHT仮説を否定!科学的証拠として許容せず!

 2022年の新年早々、アメリカから重大なニュースが飛び込んできました。ニュージャージー州の上級裁判所(Superior Court=日本の地方裁判所に当たります)におけるフライ審理※において、2022年1月7日、SBS/AHT仮説に基づく小児科医の証言について、「AHTに関する証言は、信頼できる証拠ではなく、証明的価値よりも偏見的価値の方がはるかに高いため、本件では許容されない」とされ、検察側証人が、AHTについて証言することを禁止する決定が出されたのです(SUPERIOR COURT OF NEW JERSEY No. 17-06-00785 State of New Jersey vs. Darryl Nieves ORDER OF THE COURT January 7, 2022。以下「NJ決定」といいます)。SBS/AHT仮説発祥の地というべきアメリカにおいて、このような判断がなされたことはきわめて重要です。アメリカのSBS/AHT仮説を輸入する形で有罪判決を重ねてきた日本の裁判実務にも、大きな影響を与えるべきものです。最近、日本では元裁判官がSBS/AHT仮説に関連して、「否定的見解はあるものの、三徴候がAHTを疑う契機とする見解が小児科だけでなく小児眼科や小児神経科・放射線科等の専門医にも広く承認されており、その機序に関する専門医の説明内容も、合理的なものと考えられる」「激しい揺さぶりなどで3徴候が生じ得るという受傷機序自体は、裁判所でも法則性のある『経験則』として認められている」などと論じています(中谷雄二郎「虐待による乳幼児頭部外傷(AHT)をめぐる裁判例の分析」刑事法ジャーナル70号(2021年)33頁。以下、「中谷論文」といいます)。中谷論文の趣旨には不明確なところもありますが、そのSBS/AHT擁護論は、NJ決定によって真っ向から否定されたというべきでしょう。

※Frye Hearing=アメリカで、陪審裁判に先立ち、当事者から証拠請求された科学的証拠の許容性を審査する審理。日本にはこのような審理手続はありませんが、アメリカでは陪審に科学的に不確かな証拠で誤った予断を与えないために行われます。

 以下、NJ決定の概要を見てみましょう。

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一時保護開始時の「司法審査」 拙速な議論を懸念します

 厚生労働省・子ども家庭局による「児童相談所における一時保護の手続等の在り方に関する検討会」(以下、一時保護検討会という)は、2021年4月に「とりまとめ」を公表し、その中で「一時保護は、一時的とはいえ、子どもを保護者から引き離すものであり、子どもの権利の制限であるとともに、親権の行使等に対する制限でもあるため、こうした点を踏まえると、児童相談所による一時保護に関する判断の適正性の担保や手続の透明性の確保を図る必要がある」として、児童の権利に関する条約第9条や国連児童の権利委員会による総括所見を引きながら、「独立性・中立性・公平性を有する司法機関が一時保護の開始の判断について審査する新たな制度」を「できる限り早期に…実現すべき」であると結論付けました。

 一時保護が親や子どもの権利制限を行うものであることに鑑み、一時保護の開始時にあっても、司法審査を導入し、一時保護判断の適正性と手続保障を確保しようとしたものでした。

 その後、厚労省、法務省、最高裁は、この「司法審査」のあり方について協議を行っていたようで、2021年11月5日に開催された「社会保障審議会 (児童部会社会的養育専門委員会)」では、上記「とりまとめ」後に進められた「厚生労働省、法務省及び最高裁判所から成るWG」における「実証的な検討」の結果が公表されました(「一時保護時の司法審査等(案)」、以下「案」という)。

 しかし、そこで提案された一時保護開始時の「司法審査」には、以下に述べるような重大な問題があります。このまま「案」の考え方に沿って法改正に向けた議論が進んだ場合には、「とりまとめ」が指摘したような問題点を解消しない制度が作られる可能性があります。今後、拙速な議論が行われないかにつき、重大な懸念があります。

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名古屋高裁判決の重要な認定

速報した名古屋高裁令和3年9月28日判決は、SBS仮説について、きわめて重要な判断を示しています。同判決は、非常に丁寧に検察官の主張を検討した上で、その全てについて明快に排斥していますので、論点は多岐にわたるのですが、ここでは2点だけ指摘しておきましょう。

 まず、検察官が,「受傷原因を判断するに当たっては,具体的傷害という複数の間接事実(引用註・急性硬膜下血腫、脳浮腫、網膜出血の三徴候のこと)が同一機会に重畳的に発症したことを基に,健全な社会常識に照らし,揺さぶり行為が原因でないとしたならば,それを全て整合的・合理的に説明できるか否かの観点から検討を加えることが不可欠である」と主張したことに対する判断です。「健全な社会常識」などと言っていますが、要するに検察官は、三徴候が同時に発生している以上、揺さぶりが認定できるはずだ、と言っているのです。その実質は、SBS仮説の三徴候説そのものです(東京高裁令和3年5月28日判決において明確に排斥された検察官の「一元的診断手法論」も根は同じです)。これに対し判決は、「そもそも,刑事裁判において立証責任を負っているのは検察官である上,『揺さぶり行為があれば特定の傷害が発生する』という論理が正しいとしても,『他の原因ではその特定の傷害は発生しない』という条件が付加されない限り,『特定の傷害が存在するから揺さぶり行為があった』ということにはならない,という論理的に当然の事柄からすれば,検察官がいうように『同時期に生じた各傷害について,揺さぶり行為が原因でないとしたならば,それを全て整合的・合理的に説明できるか否か』という観点から検討を加えるとしても,それは,検察官において,『各傷害が揺さぶり以外の原因では同時期に発生しないこと』について合理的疑いを超えた証明ができているか,という観点からなされるべきものである。検察官においてそのような立証ができているか否かを棚に上げ,あたかも,弁護人において『各傷害が揺さぶり以外の医学的に合理的に説明できる特定の原因で生じたこと』を主張・立証すべきであり,その可能性が認められない限り各傷害が揺さぶり行為によるものと認定すべきであるとでもいうかのごとき検察官の主張は,到底採用できない」と斥けました。「『揺さぶり行為があれば特定の傷害が発生する』という論理が正しいとしても……,『特定の傷害が存在するから揺さぶり行為があった』ということにはならない,という論理的に当然の事柄」という部分は、このブログでも何度も触れた「逆は必ずしも真ならず」という論理学の初歩を確認したものです。揺さぶりによって、三徴候が生じるとしても、三徴候があるからといって揺さぶりとは言えない、その当然のことを述べています。その上で、判決は、検察官に対し「『各傷害が揺さぶり以外の原因では同時期に発生しないこと』について合理的疑いを超えた証明ができているか」を問い、「検察官においてそのような立証ができているか否かを棚に上げ」ていると強く非難したのです。同時に判決は、「検察官には,揺さぶり行為によりA君に認められる傷害が発生し得ることとは別に,その傷害が他の原因で生じ得ないことを,専門家証人によって立証しようとする意識が十分でない」とも指摘します。そのとおりです。そして、この指摘は、SBS仮説そのものに当てはまる批判なのです。現在、三徴候は揺さぶり以外の多くの他原因で発症することが指摘されています。ところが、SBS仮説を主導する立場は、自らの主張の正当性を強調するばかりで、とかく他原因を主張する批判説に耳を貸さず、あるいはその批判を矮小化するような議論を繰り返してきました。その議論の多くは、自説に相容れない証拠を無視ないし軽視した上で、自らの主張が正しいことを前提に自らの結論を正当化するという循環論法に陥ってきたのです。

その点で興味深いのは、網膜出血について、検察側証人として証言した中山百合医師(眼科医)の証言についての評価です。判決は、中山医師の原審公判証言について、「揺さぶり行為以外にも多発性・多層性網膜出血が生じたという事例を示す文献の存在を認めつつも, このような事例については,『目撃者がいない』『客観性がない』などとしてその事実関係自体を否定しようとする証言をする一方で,自らの見解に沿う事例については,『目撃者がいなくても揺さぶりであるとはいえる』などと擁護するなど,客観性を極めて疑わしめる証言をしている部分があるほか,結論部分についても,『血液凝固に異常がない以上,多発性・多層性網膜出血の原因として家庭内で起こるものとして考えられるのは揺さぶられっ子症候群のみである』から『A君の多発性・多層性網膜出血は揺さぶり行為によって生じたものである』と,結局のところ,反論に対して客観的,合理的な検討を加えることなく,自らの見解を押し通そうとするかのような証言をしたものと理解できる」と、痛烈に批判したのです。中山医師の証言内容は、判決が指摘するとおり、自らの主張が正しいことを前提に、これに反する主張は恣意的に排斥し、自説に都合のよい議論のみを強調するものです。このようなご都合主義的な議論が、罷り通って良いはずがありません。

 名古屋高裁判決は、検察官の主張を排斥するとともに、SBS仮説そのものの問題点を鋭く指摘しているのです。

速報・名古屋高裁で無罪判決維持!

本日、名古屋高裁刑事第2部(裁判長 鹿野伸二裁判官、後藤眞知子裁判官、菱川孝之裁判官)は、SBSを疑われた事案で、母親に無罪を言い渡した岐阜地裁令和2年9月25日判決を支持し、検察官の控訴を棄却しました。この事件は、弁護側が、ソファからのいわゆる低位落下を主張していた事件ですが、2017年5月の起訴以来、当初SBS仮説の三徴候説のみに依拠していた検察官の主張・立証は迷走を繰り返してきました。そして、原審で検察側証人の証言が崩壊するや、検察官は、慌てて裁判終盤に新たな斜台後面血腫論を持ち出し、「揺さぶり」の根拠だと言い出したのです。改めて説明しますが、斜台後面血腫論は、揺さぶりの根拠となりません。そもそも、検察官が、そのような後出しじゃんけんのような主張をするようなことは許されません。控訴審判決は、そのような検察官主張の問題点を的確に指摘した上で、検察官の姿勢を厳しく批判しています。詳細は、改めてご報告します。

最高検のコメント「真摯」とは?

最高裁が2021年6月30日に、決定で検察官の上告を棄却したことは、多くの報道機関が報じました。その中で複数のメディアが最高検の畝本直美公判部長のコメントを伝えています。報道によれば、「主張が認められなかったのは誠に遺憾だが、最高裁の判断なので真摯に受け止めたい」というものだったようです。是非、検察庁には、その言葉どおりに、有罪が確定した事件も含めて、これまでの訴追に誤りがなかったのか、「真摯に」検討していただきたいと思います。

速報:東京高裁SBS無罪判決を維持

 2021年5月28日、東京高裁第5刑事部(裁判長藤井敏明裁判官、吉井隆平裁判官、新宅孝昭裁判官)は、SBSを疑われた事案について、東京地裁立川支部が2020年2月7日に言い渡した無罪判決を支持し、検察官の控訴を棄却しました。高裁判決では、SBS/AHTについて重要な判断が示されていますので、そのいくつかについてご紹介しましょう。

1 医学的な所見にのみ基づく「揺さぶり」の認定の危険性

 まず、高裁判決は、次のように述べて、医学的な所見のみから、その原因を「揺さぶり」と判断することの問題点を指摘します。「各医師の証言や見解によれば,本件各傷害の発生時期やその原因は医学的に確定することができないのであるから,本件各傷害が被告人の揺さぶる暴行という一元的な原因で生じたと断じることには無理がある。本件のように,犯罪を証明するための直接的な証拠がなく,高度に専門的な立証を求められる傷害致死事件においては,生じた傷害結果について医学的な説明が可能かということだけではなく,本件に即していえば,被害者の年齢,事件前の被告人の暴行の有無やその態様,事件に至る事実経過,動機の有無やその合理性,事件後の被告人の言動などの諸事情を総合的に検討し,常識に照らして,被告人が犯行に及んだことが間違いないと認められるかを判断する必要がある。」この判断は、「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷起点不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」(厚労省の平成25年版『子どもの虐待対応の手引き』。いわゆる三徴候論)などとしてきたSBS論の問題性を端的に示すものと言えます。

2 小児科における一元的診断手法?

 SBSに関する医学的診断について、検察官は控訴審において「小児医療においては,乳幼児に複数の傷害結果が生じた場合には,大人に対する場合と異なり,最初に原因が一つである可能性を前提にして総合診断を行うことが共通の理解とされており,本件各傷害の原因を検討するに当たっても,このような乳幼児に対する基本的な診断手法に則って,総合的に評価・検討することが必要である」と主張していたようです。このブログで何回か言及した溝口史剛医師は、別の裁判の法廷で何度か「原因はできるだけ一元的に考えるべきだ」と証言していました。本件の原審でも溝口医師は検察側証人として証言していたようですから、おそらく溝口医師の原審証言に基づき、検察官はそのような主張をしたのでしょう。これに対し、高裁判決は、「しかし,所論(引用註:検察官の主張を指します)のような共通理解が小児医療の分野にあるとしても,それは小児医療における診断の指針ということに過ぎず,裁判所が事実認定を行う上で準拠すべき科学法則のようなものではない。しかも,所論のいう共通理解の内容は,要するに,小児医療において,原因が一つである可能性を最初に考えて診断を行うというものであって,診断を行う際の端緒のようなものに過ぎず,そのように考える理由も,所論によれば,高齢者の場合には様々な原因が積み重なって複数の疾患を生じている可能性があるのに対し,乳幼児の場合には,特段の先天性疾患や感染症のない限りは,基本的には健康体と考えるというものに過ぎない。したがって,その内容自体に照らしても,刑事裁判において,乳幼児に存在する複数の疾患ないし傷害について,複数の原因が,競合的に,あるいは連鎖的に働いた結果である可能性を排除することのできるような,何らかの確立された科学的な原理を示すものではない。」として排斥しました。高裁判決が述べるとおり、急変した乳幼児が時として重症化し、頭蓋内に急性硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫などの三徴候が見られことがあるのは、複数の原因が競合したり、連鎖したりした結果と考えられることは繰り返し指摘されてきました。にもかかわらず、一元的な考え方から「揺さぶりを第一に考えるべきだ」などとするのは、予断を奨励するようなもので非常に危険です。その意味でも高裁判決の指摘は重要です。

3 三徴候論をめぐる検察官主張の混乱と循環論法

 上記の三徴候論について、高裁判決は、以下のような興味深い判示をしています(引用は固有名詞部分を一部修正しています)。「(検察官は、被害児に見られたという)①多発性硬膜下血腫,②脳浮腫,③眼底出血という三つの徴候について,たまたま別の原因が複数回折り重なって起きたとするのは医学的に非常に不合理であり,これらの症状が一元的に生じ得ることを唯一合理的に説明し得るのは,医学的には,揺さぶりを主体とした虐待による頭部外傷以外には説明できないと判断するのであり,これは,医学論文その他の文献上の根拠によって裏付けられた国際的な医学界の共同合意であり,乳幼児の受傷原因を判断するに当たっては,具体的傷害という複数の間接事実が同一機会に重畳的に発症したことを前提に,揺さぶりが原因でないとしたならば,それらを全て整合的・合理的に説明できるか否かの観点から検討を加えることが不可欠なのであり,このような乳幼児に対する基本的な診断手法に則っても,本件では,被害児に生じていた複数の傷害結果について,分断して個別に評価するのではなく,これら全てを総合考慮した上で,その原因が一つではないかとの可能性についてまずもって判断を下す必要があった,という。」「ところが,…(同時に検察官は),前記三つの徴候が認められている場合に揺さぶる暴行があったと推定する,いわゆる三徴候理論は,虐待の可能性がある事案を見つけ出すための手法がそのように呼称されたものに過ぎず,三徴候があれば直ちに揺さぶる暴行があったと推定する考えに基づくものではないという。それにもかかわらず,検察官は,前記のように,被害児に認められた多発性硬膜下血腫,脳浮腫,眼底出血の三つの症状について,たまたま別の原因が複数回折り重なって起きたとするのは非常に不合理であり,これらの症状が一元的に生じ得ることを唯一合理的に説明し得るのは,揺さぶりを主体とした虐待による頭部外傷以外にはないと判断すべきであるといい,結局,三徴候から揺さぶる暴行があったことが推認できると主張する。以上の主張を整合的に理解することは容易ではないが,要するに,所論は,『乳幼児の受傷原因を判断するに当たっては,具体的傷害という複数の間接事実が同一機会に重畳的に発症したことを前提に,揺さぶりが原因でないとしたならば,それらを全て整合的・合理的に説明できるか否かの観点から検討を加えるべきである』ということに帰着するものかと思われる。しかし,乳幼児に対する虐待を専門的に扱う医学者の間において,上記のような判断方法が採られているとしても,本件では,本件各傷害が公訴事実に記載された時間帯に生じたことや,本件各傷害を一元的に合理的に説明し得るのは揺さぶりを主体とした頭部外傷のみである,とする原審検察官の主張が争われているのであるから,本件の争点を判断する際に,原判決が,本件各傷害が同一機会に重畳的に発症したこと,換言すれば一個の原因に基づくものであることを前提としなかったのは,正当な判断方法である。」ここで、高裁判決が指摘するとおり、検察官は三徴候論によって揺さぶりを断定する必要性を強調する一方で、三徴候論は揺さぶりを推定する考えではない、というのですから、支離滅裂と言うほかありません。また、高裁判決が、「本件では,本件各傷害が公訴事実に記載された時間帯に生じたことや,本件各傷害を一元的に合理的に説明し得るのは揺さぶりを主体とした頭部外傷のみである,とする原審検察官の主張が争われているのであるから,本件の争点を判断する際に,原判決が,本件各傷害が同一機会に重畳的に発症したこと,換言すれば一個の原因に基づくものであることを前提としなかったのは,正当な判断方法である」との部分は、検察官の主張が循環論法に陥っていることを指摘したものです。検察官は、検証の対象となっている自分たちの主張が正しいことを前提に、「自分たちは正しい」と言い張っているにすぎないのです。ちなみに、検察官が主張する「国際的な医学界の共同合意」なるものは、これもこのブログで何回も触れてきた「AHT共同声明」と思われますが、一部の医師らによる政治的な意見表明にすぎません。高裁判決が、これに依拠しなかったのはきわめて合理的な判断です。

4 検察官主張の論理破綻

 検察官の主張には、上記3で引用した三徴候論をめぐる議論の混乱や循環論法以外にも、重要な問題点が含まれています。SBS理論に内包される論理破綻ともいえます。上記引用に引き続いて、高裁判決は次のとおり述べます。「そもそも,一定の原因があれば,ある結果が生じるとしても,他の原因で同じ結果が生じる可能性がある限り,原因と結果を逆転させて,その結果があれば当該原因があったと当然に推認できるわけではない。この構造は,一個の原因から三つの結果が生じる場合でも基本的には変わらないのであって,揺さぶる暴行により前記三つの症状が生ずる機序を合理的に説明することが可能であるとしても,それらの症状が他の原因によって生じ得る合理的な可能性が排除できない限り,前記三つの症状が存在すれば,それらの症状から遡って,一個の原因としての揺さぶる暴行があったものと直ちに推認できるわけではない。前記三つの症状がたまたま並存したとするのは『医学的に』不合理であるとして一個の原因によることを前提とする所論は,前記のような論理的な構造をあいまいにし,他にそれらの症状が生じた原因が合理的に考えられないことに関する検察官の立証責任を看過するものである。しかも,所論の説明する機序においても,前記三つの症状が全て揺さぶる暴行によって直接的にもたらされるというわけではなく,揺さぶる暴行と多発性硬膜下血腫との間には架橋静脈の破断が介在し,揺さぶる暴行と脳浮腫との間にはびまん性軸索損傷や脳幹部の神経の損傷が介在するというのであるが,本件では,被害児にこれらの中間的な損傷が存在したことは証明されていない。したがって,前記三つの症状がたまたま並存したとするのは『医学的に』不合理であるとして,前記三つの症状が揺さぶる暴行によるものとする所論は,結果から原因を遡って推認する過程において,立証されていない損傷の存在を前提とするという飛躍があるものであり,この意味でも,本件において採用することのできない見解といわなければならない。」ここで高裁判決は、「逆は必ずしも真ならず」という論理学の基礎から、検察官主張の論理的な誤りを明確に指摘しています。そして、検察官の理屈が検察官の立証責任を無視したものであることを批判した上で、立証されていない自らの結論を前提にするといった循環論法や論理の飛躍も重ねて指摘したのです。明快であり、きわめて合理的な判断です。検察官の論理は完全に粉砕されたと言っても過言ではないでしょう。

 検察官には、自らの無謬性に固執するのではなく、高裁判決の指摘を真摯に受け止めて、これまでの訴追に同じ誤りがなかったかを検証してもらいたいものです。