2025年1月16日、横浜地裁第4刑事部(奥山豪裁判長、倉知泰久裁判官、山田洋子裁判官及び裁判員)は、保育中に当時1歳の園児(以下、「本児」といいます)の頭部に強い外力を与えて死亡させたとして、傷害致死罪に問われた嘉悦彩子さんに対し、無罪判決を言い渡していましたが、検察官は控訴期限である1月30日までに控訴せず、無罪が確定しました。
筆者は、この事件で、先端的弁護による冤罪防止プロジェクトのアドバイザー弁護士となったこともあり、検察側・弁護側双方の合計6名の専門家証人の尋問を傍聴しました。その裁判の経緯から、筆者は早い段階から嘉悦さんが完全な無実であることを確信していました。その意味で、無罪判決も、検察官が控訴できなかったことも当然の帰結ですが、驚かされたのが検察側医師や検察官が裁判に臨んだ態度でした。
本児は当時1歳でしたが、超低体重出生児であったため、生後9か月程度の発育で0歳児と同じ保育を受けていました。本児は2017年春、保育園のお昼寝の時間に急変し、呼吸が止まってしまったのです。驚いた保育園は、すぐに救急車を呼び、急変後数分以内に救急隊が駆けつけたのですが、その時点で心肺停止が確認されました。そして、そのまま蘇生の甲斐なく亡くなってしまったのです。
本件の検察側医師は、本児の解剖に当たった法医学者と、事件から3年以上経ってから意見を求められた脳神経外科医の2名です。脳神経外科医の証言も大いに問題なのですが、本稿では法医学者の鑑定と証言に焦点を当てたいと思います。
その法医学者は、解剖時に頭蓋骨に線状骨折があり、頭蓋内にはクモ膜下出血を発見したことから、本児は「強い外力」によって生じた「外傷性クモ膜下出血」によって亡くなったのであり、本児が急変時に一緒にいた人物が強い衝撃を与えたに違いない、という趣旨の鑑定(以下、「検察側鑑定」)をしました。そして、急変時に一緒にいた人物が保育士だった嘉悦さんだったのです。
しかし、起訴後に行われた弁護側医師の鑑定(以下、「弁護側鑑定」)により、検察側鑑定は完全に覆されることになります。そもそも頭蓋骨骨折は、いわば脳の容器が壊れたのと同じで、死因にはなりません。外力が死因であるというためには、外力によって脳自体が損傷を受けなければならないのです。しかし、本児の脳には急変以前に外力によって生じた損傷は全く認められないことが、弁護側鑑定によって明らかにされたのです。
これに対し、検察側鑑定は、当初「外傷性クモ膜下出血」によって、本児は亡くなったのだ、としていました。ところが「外傷性クモ膜下出血」も、脳の外側の出血であり、直ちに死因とはなりません。しかも検察側鑑定も「外傷性クモ膜下出血」の量は少なかったとしています。特に本児は急変後数分で心肺停止になっていますが、そのような少量の「外傷性クモ膜下出血」で急激な心肺停止が起こることは考えられないというのが、弁護側医師3名の一致した意見でした。さらに、このクモ膜下出血を弁護側病理医が顕微鏡で調べた結果、なんとそのクモ膜下出血は、急変より少なくとも12時間以上前に発症していたことが明らかにされたのです。急変より12時間以上前であれば、嘉悦さんは全く関係ありません。
それだけではありません。本児は、急変数日前より、RSウィルスに感染していたことが分かっていますが、弁護側病理医は、本児の神経にRSウィルスの感染時にしばしば致死性の不整脈(心臓停止)をひき起こす物質(サブスタンスP)が現れていたことを発見したのです。
つまり、弁護側鑑定によって、次から次へと嘉悦さんの無実を証明する証拠が出てきたのです。本来であれば、検察官は公訴そのものを取り消すべきだったはずです。
ところが検察官はなおも有罪立証にこだわりました。弁護側鑑定で窮地に陥った法医学者も、供述を大きく変えてまで「強い外力」という当初の見立てに固執しました。法医学者は、本児の頭蓋骨骨折を線状骨折から陥没骨折に変えた上で、本児の死因は、外傷性クモ膜下出血ではなく、「強い外力による脳挫傷と脳挫滅だ」と言い出したのです。当初の検察側鑑定には、「陥没骨折」も「脳挫傷」も「脳挫滅」も書かれていません。
まず、「陥没骨折」について述べますと、線状骨折だけであれば、低位落下など比較的軽微な外力でも生じます。それだけでは治療の対象にもならず、経過観察をするだけです。それでは「強い外力」につながらないことから、法医学者は「陥没骨折」と言い出したとしか考えられません。しかし、陥没骨折を裏付ける証拠は全くなく、この法医学者以外に、本児に「陥没骨折」があったという医師は誰もいません。
「脳挫傷、脳挫滅」については、確かに法医学者が作成した脳の標本プレパラートには大きく裂けたように見える部分がありました。法医学者は、その部分を「強い外力による脳挫傷と脳挫滅である」と言い張ったのです。しかし、仮に生前にその部分に強い外力を受けて脳が損傷したのであれば、激しい出血などの生体反応が生じるはずです。これに対し、法医学者が指摘する「裂けた部分」には生体反応がありません。法医学者も、検察側鑑定書を書いた時点では「生体反応が見られなかったので、死因となる脳挫傷・脳挫滅と書けなかった」などというのです。しかし、「その後考え直して、本児は外力を受けて即死したから、生体反応がなかったと評価した。つまり、生体反応がないほど、あっという間に亡くなってしまったのだ。本児は、それほど強い外力を受けたのだ」などと証言したのです。驚くべき証言です。仮に即死であったとしても、全く生体反応が生じないような脳挫傷、脳挫滅などあり得ません。
しかも、この話にはさらに続きがあります。実は、解剖の時に法医学者の助手が、電動のこぎりで本児の脳を傷つけていたというのです。法医学者自身が弁護人の反対尋問に対し、「裂けた部分」は解剖時につけてしまった傷(医学用語では、このように人工的にできてしまう痕跡を「アーチファクト」と呼びます。アーチファクトは誤診につながりますので、慎重に除外しなければならないのです)と区別できないと認めざるを得ませんでした。死後にできた傷であれば、生体反応がないのも無理はありません。当然、弁護側の3人の医師は、「裂けた部分」を異口同音に「アーチファクト」であると断言しました。
どう転んでも、検察官が本児の死因を「強い外力」であるなどと証明できているはずがありません。ところが筆者がさらに驚いたのが、検察官の最終論告です。検察官は、このような法医学者の議論をつまみ食いした上で、針小棒大に誇張し、あたかも本児の頭部に「強い外力」が加わったことが間違いがないかのような主張を朗々と続けたのです。さらに、自説に都合の悪い弁護側医師の意見については「机上の空論」とまで言い切って、批判したのです。その上で、検察官は嘉悦さんに懲役10年を求刑しました。その論告のあまりの空虚さに、聞いていて寒気さえ感じました。
以上のような法医学者の証言や検察官の論告に対し、無罪判決は、法医学者の「証言は、法医学上、脳挫傷・脳挫滅することのできない組織標本上の傷が、本児について脳挫傷・脳挫滅といえる合理的な根拠を示しているとはいえない」「検察官は…(弁護側医師の証言を)『机上の空論』であると主張するが、…筋の通らない反論である。…検察官の主張は、…立証ができなかったことを取り繕おうとするものにすぎない」、(法医学者)の「証言は、死因及びその機序を合理的に説明するだけの医学的根拠を示すことできていない。…いずれも医学的知見に基づく合理的なものであるとはいえない」などと厳しく批判し、排斥したのです。筆者は長年刑事弁護にかかわり、それなりの数の無罪判決も聞いてきましたが、これほど厳しく検察側証人の証言と検察官の主張を批判した判決は、ほとんど経験がありません。検察側主張、立証に対して、裁判所としても許しがたいという思いがあったと推察されます。
それにしても深刻なのは、あくまで当初の見立て、そして有罪に拘泥する検察官の姿勢です。嘉悦さんに懲役10年を求刑するにあたって、検察官は、冤罪がどれほど嘉悦さんを苦しめてきたのかについて、少しでも思いが至ったのでしょうか。検察官だけではありません。冷静な科学者であるはずの医師においても、みずからの当初の見解に固執し、不合理な証言に終始したのです。そこには、自らの思い込みを必死に守ろうとする人間の悲しい性が現れていたとも言えるでしょう。
このような人間の不合理さがある以上、冤罪の悲劇を繰り返さないために、私たちの前に立ちはだかる壁は厚く、高いと言わざるを得ません。しかし、どのような壁であっても、必ず打ち破り、乗り越えなければなりません。検察官の論告は、その空虚さゆえに、その必要性を雄弁に物語っていたのです。