まず外力ありきのバイアスを見直すべき-SBS/AHTの根本問題

これまでも繰り返し触れてきましたが、厚労省の「子ども虐待対応の手引き(平成 25 年8月 改正版)」(以下、「手引き」)は、「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どない…」(『手引き』265ページ)、「出血傾向がない乳幼児の硬膜下血腫は3メートル以上からの転落や交通外傷…のような既往がなければ、まず虐待を考える必要がある。特に……乳幼児揺さぶられ症候群を意識して精査する必要がある」(同314ページ)としています。この論理にしたがえば、三徴候があった場合、出血傾向のある病気(以下、「内因」)や交通事故、高位落下がない限り、事実上SBSということになるでしょう。ちなみに「医療機関向け虐待対応啓発プログラムBEAMS(ビームス)」が公表している「SBS/AHT の医学的診断アルゴリズム」(「子ども虐待対応医師のための子ども虐待対応・医学診断ガイド[Pocket Manual]27頁)では、「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3m 以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくて(ママ、「も」が脱落)SBS/AHT である可能性が極めて高い」などとされています。高位落下や交通事故以外の事例が問題になるのですから、これでは三徴候があるだけで、直ちに「虐待」となりかねません。手引きは「内因」について触れているだけ、まだマシといえるかもしれません。しかし、単に「内因」を意識するだけでは足りません。これまでSBS/AHT論に基づき、医学所見のみから虐待だとしてきた医学鑑定書の多くは、形だけ内因を除外したかのような体裁をとっただけで、すぐに原因は「揺さぶりなどの外力だ」と決めつけてしまっています。そして、あたかも、そのような「除外診断」をしたことをもって「三徴候だけで虐待とは決めつけていない」とするのです。実は、ここに根本的な落とし穴があります。乳幼児が三徴候を起こすメカニズムは十分に解明されていません。解明されていない内因によって、三徴候を起こしてしまう可能性は何ら否定できないのです。実際、乳幼児に三徴候が見られた事例において、「それまで普通に見えたのに突然おかしくなった」という説明は、国の内外を問わず、非常に多いのです。日本では祖母が揺さぶりの犯人だと疑われ、高裁で逆転無罪となった山内事件(大阪高裁令和元年10月25日判決)や1審(東京地裁立川支部令和2年2月7日判決)・控訴審(東京高裁令和3年5月28日判決)とも無罪になった東京の事例や、スウェーデンの最高裁で逆転無罪となった事例フランスでの一連の無罪判決アメリカ・ニュージャージー州でAHTに関する検察側医師の証言を許容しなかった事例も同じです。別途報告する冤罪事件今西事件でも、弁護団は内因こそが真の原因と考えています。ところが、SBS/AHT論を主導してきた立場は、これら内因を軽視し、あるいは簡単に否定できるかのような議論を展開し、その原因は、外力だ、虐待だ、と決めつけてしまうのです。「自分たちの論理で内因を除外さえできれば、揺さぶりなどの外力=虐待と言える」という論理そのものに根本的な誤りがあると言わざるを得ません。頭蓋内出血や眼底出血は、内因によって生じることが多くの研究で示されてきました。少し詳しく見ていきましょう。

 内因による頭蓋内出血の具体例としてよく知られているのが、山内事件で問題になった静脈洞血栓症です。簡単に言えば、頭蓋内を通った血液が心臓に戻る通り道(静脈洞といいます)が詰まってしまう病気です。血液が心臓に戻っていけない結果、頭蓋内や眼底に出血を起こしてしまうのです。深刻なのは、静脈洞血栓症は、一般の医師に知られておらず、多くの場合見逃されてしまうことです。山内事件でも捜査機関は、20人以上の医師に意見を求めていましたが、誰も静脈洞血栓症に気づいていませんでした。控訴審で複数の弁護側医師が確認したことにより、山内さんの冤罪がようやく明らかになったのです。

 静脈洞血栓症のほか、水頭症クモ膜嚢胞の破綻も頭蓋内出血になりやすいと言われています。

 そして、重要なのは、心肺停止等による低酸素脳症です。イギリスの病理医であるGeddes医師が、SBSを疑われた事例で亡くなった乳児の脳や、虐待の可能性がない胎児・周産期~新生児の死亡例を徹底的に調べた結果、硬膜下出血の起源が「硬膜内出血」であることを確認したのです。これは三徴候の柱とも言うべき硬膜下血腫の原因が、外力ではなく「内因」であることを意味しています。Geddes医師は、硬膜内出血の原因を、そもそもの乳児の血管の未成熟、低酸素による脳血管の損傷、浸透圧異常、脳圧亢進、動脈・静脈圧の上昇、血液のうっ滞などの複数の要因が作用することによって、出血に至るのではないかと推測しています(例えばJ.F. Geddesら”Inflicted head injury in infants” Forensic Science International 146 (2004) 83–88)。推定要因として挙げられている静脈圧の上昇・血液のうっ滞は、先に述べた静脈洞血栓症から出血に至るメカニズムと同じです。

 このGeddes理論に対しては、SBS/AHT論主導派から激しい攻撃がなされましたが、Geddes理論は、その後の研究で裏付けられています。特に、心不全などで30分という長期の心肺停止に陥り、重度の低酸素脳症に至った後、心肺蘇生により急激に脳に血流が戻った事例です(血流が戻ることを再灌流と言います)。人間の脳は、たくさんの酸素とエネルギーを必要とします。5分も心肺停止が続けば、不可逆的な障害を受けてしまうと言われています。窒息の例からお判りいただけると思いますが、10分以上も窒息が続けば、多くの場合、人は死んでしまいます。しかし、蘇生術が発達したこともあり、稀ではありますが、30分以上の心肺停止があっても、蘇生に成功し、脳への再灌流が始まる例があります。それらの場合、脳は血管も含めて低酸素によって大きなダメージを受けています。そこに血流が戻ってきますから、ダメージを受けた血管から、頭蓋内への出血を生じたとしても、何ら不思議ではないのです。実際、外傷以外の原因で死亡した乳幼児において心肺蘇生に成功した45例のうち、33例(73%)で硬膜内血腫を伴う硬膜下血腫が確認されたという報告があります(Irene Scheimbergら”Nontraumatic Intradural and Subdural Hemorrhage and Hypoxic Ischemic Encephalopathy in Fetuses, Infants, and Children up to Three Years of Age -Analysis of Two Audits of 636 Cases from Two Referral Centers in the United Kingdom” Pediatric and Developmental Pathology 16, 149–159, 2013)。Geddes理論への批判論は、溺死例に硬膜下出血がほとんど見られないことを問題にしますが、持ち出された溺死例は、長期の心肺停止からの蘇生再灌流による出血というメカニズムに合致しませんから、批判は的外れです。

 さらに「凝固異常」という問題があります。人間の血液には、出血のときに止血できるように、血液が固まったり(凝固)、逆に固まりすぎないように溶けたりする(線溶)機能=「凝固機能」があります。この凝固機能は、非常に繊細なバランスの上に成り立っていますが、そのバランスが崩れ、凝固異常を生じることがあります。凝固異常を生じると、「出血傾向」といって、身体のあちこちで出血しやすい状態になってしまうのです。頭蓋内出血や眼底出血も生じやすくなります。この「出血傾向」の原因は様々です。例えば乳幼児は、気づかないうちに罹患した感染症で凝固異常が生じることもありますし、心肺停止そのものによって凝固異常が生じることもあるとされます。心肺停止は、凝固異常を引き起こし、そのことによっても三徴候の原因となりうるのです。また、凝固異常は、感染症などの原因が見つかる場合もありますが、その原因が解明されないことも多いのです。ちなみに、山内事件でも、亡くなった赤ちゃんには、原因不明の出血傾向が生じていました。この出血傾向が生じれば、硬膜内出血・硬膜下出血や眼底出血が生じることに不思議はないのです。

 そして、低酸素脳症や蘇生再灌流は、脳浮腫も生じさせます。

 難しい話になりましたが、要は、①長時間の心肺停止による低酸素脳症、②蘇生再灌流、③出血傾向があれば、三徴候は生じるのです。そして重要なのは、稀とはいえ、乳幼児に突然の心肺停止が起こることです。多くの場合、心肺停止の原因は、心臓の何らかの疾患や窒息などですが、原因が解明できず、不明に終わる割合も決して低くありません(乳児突然死症候群[SIDS]や乳幼児突発性危殆事象[ALTE]とされる例です)。

 つまり、内因のみによって、三徴候が生じる可能性は何ら否定されないのです。しかも、解明できていない内因もあります。外力か内因かに優劣はありません。外力はいくつもある原因可能性の一つにすぎないのです。そうである以上、仮に一部の内因を除外したからと言って(しかも医学的根拠に伴わない恣意的な除外もあります)、原因を外力だと断定することはできないのです。

 ちなみに、前述の手引きは除外する内因として、「出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患」のみを挙げていますが不十分です。上述したところから明らかなとおり、例えば、直ちに出血傾向があるとは言えない心疾患によって、突然の心肺停止に陥り、30分にもわたる心肺停止があり、蘇生再灌流が生じれば、三徴候が生じうるのです。そもそも出血傾向の原因の多くは不明とされているのですから、「出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患」を除外しただけでは、不十分なことは明らかです。

 乳幼児の頭蓋内に出血があれば、それだけで外力が原因だろうと考えがちです。その外力との考えが、虐待論に結びついてしまうのです。確かに、出血があれば、外力だろうと推測するのは、ある意味で、自然な発想に思えるかもしれません。しかし、それは一種の思い込み、バイアス(予断)です。「まず外力ありきのバイアス」は誤りです。そのようなバイアスは横に置き、0(ゼロ)ベースで、SBS/AHT論を見直す必要があるのです。

 なお、「まず外力ありきのバイアス」は誤りだという論理は、以前のブログで触れた中谷雄二郎「虐待による乳幼児頭部外傷(AHT)をめぐる裁判例の分析」(刑事法ジャーナル70号(2021年)33頁)の「否定的見解はあるものの、三徴候がAHTを疑う契機とする見解が小児科だけでなく小児眼科や小児神経科・放射線科等の専門医にも広く承認されており、その機序に関する専門医の説明内容も、合理的なものと考えられる」「激しい揺さぶりなどで三徴候が生じ得るという受傷機序自体は、裁判所でも法則性のある『経験則』として認められている」という議論の誤りにもつながります。三徴候を裁判上の「経験則」とすること自体が、誤ったバイアスを固定化することになりかねないのです。中谷論文の問題点については、川﨑英明関西学院大学名誉教授(刑事訴訟法)「SBS仮説は経験則か?」というテーマで述べていますので、是非ご参照ください。

4 replies on “まず外力ありきのバイアスを見直すべき-SBS/AHTの根本問題”

  1. […] 第1審が始まる直前、A子ちゃんの心臓に、解剖医が見逃していた複数の炎症像が見つかりました。乳幼児の突然死は、日本でも海外でも、数多く報告されています。突然死は原因不明に終わることも多いのですが、後から心臓に異常が見つかる「心臓突然死」の例も多くあります。心臓に炎症が見つかったA子ちゃんの経過も、多くの「心臓突然死」の例と一致しています。逆に、A子ちゃんの症状を「頭部への強度の外力」だとする検察側の主張やそれを鵜呑みにした一審判決の認定は、A子ちゃんの症状や経過を全く説明できていません。検察側主張は、外力ありきのSBS/AHT仮説の誤りをそのまま踏襲したものなのです。以下では、その理由を説明しましょう。 […]

  2. […]  今西事件でも同じですが、そもそも2歳児を揺さぶることによってびまん性軸索損傷を起こすことは不可能です。感染症などの内因が三徴候や突然死を起こすリスクがあることも、今西事件と同様に検討されなければなりません。オハイオでの再審開始の判断は、今西事件でも十分に参照されるべきなのです。 […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です