岐阜地裁はなぜ無罪を言い渡したのか?-山田不二子医師証言の問題点

 すでに報じられているように、2020年9月25日の岐阜地裁無罪判決は、ソファからの低位落下という事故でも、SBS仮説で虐待の根拠とされる三徴候が生じ得ることを明確に認めました。その認定の根拠となったのは、弁護側で証言に立たれた青木信彦医師(脳神経外科医)の鑑定意見と証言です。青木医師は、アメリカでSBS仮説が信じられるようになった1984年に、英語論文で中村Ⅰ型の症例を報告し、三徴候から安易に虐待と決めつけることに対し、強い警鐘を鳴らしてきました。これに対し、検察側の証人として出廷したのは、児童虐待問題で主導的な立場にある山田不二子医師(内科医)でした。岐阜地裁は両医師の証言を聞いた上で、青木医師の「脳神経分野の専門知識、 臨床・研究経験、 頭部CT画像の読影経験」が山田医師より「格段に豊富である」とし、青木医師の供述を採用し、「これに反する山田供述は採用できない」としたのです。では、採用されなかった山田証言とはどのようなものだったのでしょうか。

 山田医師も、ソファからの低位落下で急性硬膜下血腫が生じ得ることは認めました。実際、当時生後3か月の赤ちゃんに生じた硬膜下血腫の出血量は少なく、それだけをみれば重度とはいえないものでした。ソファからの落下によって生じたとしても、何ら不思議ではないものだったのです。

 問題となったのは、赤ちゃんの脳全体に生じた脳浮腫でした。山田医師はこの脳浮腫を「広範囲の一次性脳実質損傷」であり、「このような一次性脳実質損傷の原因は揺さぶりだ」と強調したのです。「一次性脳実質損傷」とは、外力によって脳神経が切れてしまう状態です。山田医師は、揺さぶりによって「広範囲の一次性脳実質損傷」(びまん性軸索損傷)が生じたというのです。しかし、びまん性軸索損傷は、それこそ交通事故のような激しい外力でなければ起こりません。現在では、人間が手で揺さぶったことによって、そのような外力が生まれるのかについて、大きな疑問が呈されているのです。しかも、びまん性軸索損傷の有無は、CTでは判らないのですが、本件ではCT画像しかありませんでした。びまん性軸索損傷の証拠はなかったのです。証拠がないのに、びまん性軸索損傷があるというのは、おかしな話です。さらに本件の場合、急性硬膜下血腫の出血は少量なのに、なぜ強度の外力が必要なびまん性軸索損傷が生じたのか、という根本的な疑問が生じます。

では、山田医師がびまん性軸索損傷が生じたとする根拠は何だったのでしょうか。「脳浮腫が短時間に生じた」ということだけでした。これもおかしな話です。実は、脳浮腫が短時間に生じたからびまん性軸索損傷だとする医学的根拠はありません。心肺停止によって重度の低酸素脳症に陥れば、短時間でも脳浮腫が生じてしまうのです。本件では、赤ちゃんはソファからの落下直後に心肺停止状態に陥ってしまいました。その結果、重度の低酸素脳症に陥り、短時間のうちに脳浮腫が生じてしまった、これが青木医師の説明でした。少し専門的になりますが、青木医師によると、赤ちゃんには、大脳基底核や視床に深刻な病変が認められました。青木医師は、ソファからの落下をきっかけに脳深部静脈血栓症を生じた可能性が高いとされました。脳深部静脈血栓症は、軽微な衝撃をきっかけとして生じることもあるのです。そして、心肺停止の原因ともなり得ます。このような青木医師の説明からも明らかなように、乳児が頭部に何らかの損傷を受けると、きっかけは軽微であっても、時として重症化してしまうことがあるのです。確かに重症化するのは、稀なケースかもしれませんが、稀とはいえ、一定の割合で、日本のどこかでは必ず起こるともいえます。そのことは、重症化したから、その原因は暴力だとか、虐待だとかといった決めつけはできないことを示しています。そこに虐待か、事故か、あるいは内因なのかを見極めることの難しさがあるともいえます。

いずれにしても、山田医師の証言には、青木医師の説明に反論できるような根拠が全く示されていませんでした。岐阜地裁判決は、「早期にCT画像上低吸収域(引用註・脳浮腫のこと)が現れる場合は[外傷性一次性] 脳実質損傷であるとの(山田医師の)見解についても、 十分に説得力ある具体的根拠が示されているとはいえない」としたのです。

青木医師は、脳神経外科医として40年以上の経験を持つのに対し、山田医師は虐待問題に取り組んできたとはいえ、内科開業医です。脳神経に関する臨床経験はありません。実は法廷証言でも、山田医師は、青木医師の鑑定書でCT画像の誤読を指摘されたことに対し、「指摘どおりCT画像の誤読を認め」(判決)ざるを得ない場面がありました。それ以外にも、山田医師は専門外の物理学について、基礎的な物理法則を無視するかのような証言をするなど、非常に問題のある証言を繰り返していたのです。

何より問題なのは、山田医師は鑑定意見として、交通事故でも、高位落下事故でもない子どもにSBSの三徴がそろっていれば、SBSと診断できるとの「古典的SBS論」を展開した上で、本件の加害者が誰なのかは明らかである、せめてもの償いとして、犯してしまった暴力について真実を語るべきだという旨を述べていたことです。医師としての立場を逸脱した鑑定というほかありません。

この判決をきっかけに、虐待論における医学や医師の役割を見直す必要があるのではないでしょうか。

2 replies on “岐阜地裁はなぜ無罪を言い渡したのか?-山田不二子医師証言の問題点”

  1. […] 2020年11月5日、東京高裁第10刑事部(裁判長裁判官細田啓介、裁判官伊藤敏孝、裁判官安永健次)は、公園で事件当時7歳の男児を投げつけるなどの暴行を加えて、急性硬膜下血腫、脳浮腫等の傷害(いわゆる虐待性頭部外傷=Abusive Head Injury「AHT」)を負わせたとして、第一審で懲役3年の実刑判決(東京地裁立川支部2019年12月3日判決)を受けていた男性に対し、AHTについて逆転無罪判決を言い渡しました。この事例でも、岐阜地裁の例と同様に検察側証人として山田不二子医師ほか1名の医師が証言し、弁護側証人として、青木信彦医師が証言しました。そして、高裁判決は、青木医師の証言を前提に、”①「 典型的にはつかまり立ちを始めたばかりの乳幼児が後ろに転倒して後頭部を打って重篤な硬膜下血腫となる『中村1型』と呼ばれる類型と同様のメカニズムが、5~6 歳の児童に生じた例がある上、A(被害児)は頭蓋骨と脳実質との隙間が大きいことが否定できず、架橋静脈の破断につながる脳の偏位が起きやすい可能性がある」という趣旨の専門家証言があり、Aの頭部に強い回転性加速度減速度運動を伴う外力が加わらなくとも本件の結果がもたらされたという疑いが生じる。本件はそうではないという立証はなく.この疑いは合理的なものとして残る。また②犯行時間とされる時間帯以前に、何らかの原因によりAの架橋静脈が破断しやすい状況が作出されており、犯行時間帯にAの頭部に強い回転性加速度減速度運動を伴う外力が加わらなくとも本件の結果がもたらされた可能性もある。こちらについてもそうではないという立証があるとはいえず、この疑いは合理的なものとして残る。したがって,被告人が故意にAに対して暴行を加えたという原判決の上記認定は前提を欠き、Aの頭部に何らかの力が加わった態様も不明であるから、被告人の過失も認定できない。”と判断したのです。低位落下や転倒のほか、内因性でも頭蓋内出血を生じうること、さらにそれらの症例が一定の割合で重篤化してしまうことは、繰り返し指摘されてきたとおりです。 […]

  2. […] 名古屋高等裁判所刑事第2部(鹿野伸二裁判長、後藤眞知子裁判官、菱川孝之裁判官)は、SBSを疑われた母親について、岐阜地裁が2020年9月25日に言い渡した無罪判決に対する検察官控訴に対し、2021年6月15日の控訴審第1回公判において、検察官の追加証拠請求(検察官が自ら撤回した2点を除く18点の証拠)をいずれも却下し、即日結審しました。検察官の控訴趣意は、本文93頁にも及ぶ膨大なものでしたが(さらに本文13頁の控訴趣意補充書が提出されています)、その主張のほとんどが、原審で提出した証拠に基づくものではなく、控訴審になって新たに証拠請求しようとした医師の意見書などに頼ったものでした。その追加証拠請求がすべて却下されたのですから、検察官は、控訴趣意の基礎を失ったことになります。もともと刑事事件における控訴審は、新たな事実取調べをすることなく、一審の無罪という結論を有罪に覆すことはできません。したがって、検察官控訴が棄却され、無罪が維持される公算が高まったと言えるでしょう。控訴審判決は、2021年9月28日午前10時30分から、名古屋高裁の1号法廷で言い渡されます。 […]

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