※ちょうどこの記事を書いている途中、アメリカ・ラスベガスでSBSによる殺人を疑われた母親に対する検察官の公訴の取消がなされたとの報道に接しました(December 21, 2022, Las Vegas Review-Journal “Murder charge dropped against Las Vegas woman arrested in baby’s death”)。報道によると、生後2か月の赤ちゃんが突然死した事例ですが、その赤ちゃんには、「鎌状赤血球貧血症」(sickle cell anemia)という稀な疾患があり、心肥大と血流低下、心停止に伴う頭蓋内出血があったのですが、その出血から検察側医師によってSBSと誤診されていたということです。内因による心臓突然死が問題となった点で、本事例や今西事件と類似しています。
2022年11月10日、アメリカ・オハイオ州の裁判所が、22年前の2000年に発生し、2002年にSBS仮説に基づいて有罪判決を受けた”養父”に対し、再審開始を決めました(Franklin County Court of Common Pleas State of Ohio -vs- Alan J Butts Case Number: 02CR001092)。この事件は、今西貴大さんの事件と非常によく似ているのです。この再審開始決定は、今西事件(イノセンスプロジェクトジャパンの支援ページはこちら)でも参考になるはずです。
裁判所の認定によると、事件の概要は、以下のようなものでした。アラン・ブッツ(ALan J. Butts)さんは、当時2歳だったジェイディン(Jeydyn)君のお母さんと恋仲になり、一緒に暮らすようになりました。ジェィデイン君とアランさんは血のつながりはありません。でも、アランさんは、ジェイディン君を実の息子のようにかわいがり、ジェイディン君もアランさんを、「パパ」(Dad)と呼んで慕っていました。お母さんが、仕事に行っている間、アランさんがジェイディン君の面倒を見ることになりました。アランさんのジェィデイン君の子育てには、虐待はもちろん、なんら不適切なところはありませんでした。そのジェイディン君が、ある日、滑りやすいバスタブで後ろ向きに倒れて頭を打ってしまいます。その事故の後、ジェィデイン君はときどきふらつくようになってしまいました。口数も少なくなりました。同じ頃、ジェイディン君には鼻づまりなどの風邪のような症状が出ました。お母さんは、ジェイディン君に市販の風邪薬を与えて、様子を見ることにしました。バスタブでの事故数日後、朝からジェイディン君は食欲もなく、元気がありませんでした。お母さんは心配でしたが、人と会う約束があったため、ジェィディン君をアランさんに任せて、外出しました。夕方4時35分ころのことでした。ジェィディン君が倒れてしまい起き上がれないようでした。その様子を見たアランさんは、ジェィデイン君に駆け寄り、”ジェイディン!ジェィデイン!”と叫びましたが反応しません。頬を叩きましたが、反応しません。目を開けて覗き込みましたが、ジェイディン君が見つめ返してくることはありませんでした。アランさんは、急いで救急車を呼びました。
確かに「比較的軽微な衝撃」でも急性硬膜下血腫が起こりうることが指摘されています。新潟事件でも、裁判所の認定のとおり、「抱っこひも」上での「衝撃」は十分に原因になったと思われます。ただ、注意して欲しいのは、新潟事件では、赤ちゃんには「くも膜下腔拡大」「頭囲の拡大」があり、血腫の内容は「血性硬膜下水腫」と思われるとの弁護側医師証人の証言があることです。判決も詳細に触れているとおり、くも膜下腔の拡大がある場合、比較的軽微な「衝撃」によって頭蓋内出血の原因となるのは事実ですが、かといって「衝撃」のエピソードの存否にこだわるのが妥当かには疑問があります。なぜなら「衝撃」といえるような外力のエピソードが認められないような場合でも、「出血」が報告されているからです(例えばパトリック D バーンズ「非事故損傷と類似病態:根拠に基づく医学(エビデンス・ベースト・メディシン)時代における問題と論争」吉田謙一訳・龍谷法学52巻1号319頁 Knut Wester ”Two Infant Boys Misdiagnosed as “Shaken Baby” and Their Twin Sisters: A Cautionary Tale” Pediatric Neurology 97(2019)3-11など)。エピソードとして記憶されない程度で、衝撃とすら言えない日常生活上の外力や自然発生的な(=何らかの内因による)「出血」の可能性があるのです。また、「血性硬膜下水腫」は、くも膜という薄い膜の破綻によって、硬膜下に脊髄液が流入するとともに出血を起こし、くも膜下の脊髄液と混合する水腫ができるものです。くも膜下腔が拡大していると、硬膜とくも膜の境界部分(くも膜顆粒など)や伸展された架橋静脈が破綻しやすいこともあり、この「くも膜の破綻」と出血が見られ、血性硬膜下水腫を生じることが多いとされています(Zouros et al “Further characterization of traumatic subdural collections of infancy” J Neurosurg (Pediatrics 5) 100:512–518, 2004)。つまり、赤ちゃんにくも膜下腔拡大が認められる場合、頭蓋内に出血があっても(眼底出血も含みます)、強い外力=虐待の根拠とはなり得ないのです。日本では、硬膜下に出血を疑う所見があれば、すぐに虐待が疑われてしまいますが、そのこと自体が見直されるべきです。