2022年11月10日、アメリカ・オハイオ州の裁判所が、22年前の2000年に発生し、2002年にSBS仮説に基づいて有罪判決を受けた”養父”に対し、再審開始を決めました(Franklin County Court of Common Pleas State of Ohio -vs- Alan J Butts Case Number: 02CR001092)。この事件は、今西貴大さんの事件と非常によく似ているのです。この再審開始決定は、今西事件(イノセンスプロジェクトジャパンの支援ページはこちら)でも参考になるはずです。
裁判所の認定によると、事件の概要は、以下のようなものでした。アラン・ブッツ(ALan J. Butts)さんは、当時2歳だったジェイディン(Jeydyn)君のお母さんと恋仲になり、一緒に暮らすようになりました。ジェィデイン君とアランさんは血のつながりはありません。でも、アランさんは、ジェイディン君を実の息子のようにかわいがり、ジェイディン君もアランさんを、「パパ」(Dad)と呼んで慕っていました。お母さんが、仕事に行っている間、アランさんがジェイディン君の面倒を見ることになりました。アランさんのジェィデイン君の子育てには、虐待はもちろん、なんら不適切なところはありませんでした。そのジェイディン君が、ある日、滑りやすいバスタブで後ろ向きに倒れて頭を打ってしまいます。その事故の後、ジェィデイン君はときどきふらつくようになってしまいました。口数も少なくなりました。同じ頃、ジェイディン君には鼻づまりなどの風邪のような症状が出ました。お母さんは、ジェイディン君に市販の風邪薬を与えて、様子を見ることにしました。バスタブでの事故数日後、朝からジェイディン君は食欲もなく、元気がありませんでした。お母さんは心配でしたが、人と会う約束があったため、ジェィディン君をアランさんに任せて、外出しました。夕方4時35分ころのことでした。ジェィディン君が倒れてしまい起き上がれないようでした。その様子を見たアランさんは、ジェィデイン君に駆け寄り、”ジェイディン!ジェィデイン!”と叫びましたが反応しません。頬を叩きましたが、反応しません。目を開けて覗き込みましたが、ジェイディン君が見つめ返してくることはありませんでした。アランさんは、急いで救急車を呼びました。
12分後に救急隊が駆けつけたとき、ジェィディン君は蒼白で、体温も下がり、心停止状態でした。心臓マッサージや気管挿管でもすぐに蘇生しませんでした。30分以上蘇生措置が続けられました。そして翌日午後、ジェイディン君は、搬送された病院で亡くなったのです。
解剖の結果、ジェィディン君には、眼底及び視神経血腫、硬膜下血腫、脳浮腫というSBSの三徴候が認められました。そのため、ジェィディン君の急変時に一緒にいた唯一の成人であるアランさんは、ジェィディン君を揺さぶって死亡させたと疑われてしまったのです。
このように見れば、アランさんのケースは、今西さんの事件と非常によく似ていることが判ります。
今西事件では、数日前に転倒して頭を打ったというエピソードこそありませんが、亡くなったのが2歳児であること、急変の数日前から風邪様の症状があったこと、急変してすぐに心肺停止状態となっていること、30分以上の心肺蘇生が続けられていること、そして三徴候が認められたことなど、医学的状況はある意味でそっくりです。亡くなったお子さんと血のつながりがない”養父”であり、虐待の主体として偏見を持たれやすい立場だというのも似ています。詳しく見ていきましょう。
起訴されたアランさんは、当然、ジェィディン君を揺さぶったことなどない、と否認して争いました。これに対し、検察側は、医師4名を証人に立て、SBS仮説に基づき、アランさんがジェィディン君を揺さぶったことは間違いない、との立証を試みました。これに対し、弁護側は、2002年当時アメリカでほぼ唯一SBS仮説に疑問を呈する意見を発表していたジョン・プランケット医師(法医学)を証人に呼びました。プランケット医師は、揺さぶりによって、ジェィディン君のような症状となるはずがない、低位落下や転倒でも同様の症状は生じうると明確に証言したのです。しかし、多勢に無勢、プランケット医師の証言は、少数説にすぎないとして信用されず、アランさんは有罪を言い渡されてしまったのです。
その後、アランさんは2005年、2010年、2015年と何度も再審請求をしましたが、なかなか認められませんでした。アメリカでも再審が認められるためには、確定判決時とは異なる「新たな」証拠が必要とされることが大きな壁として立ちはだかっていました。そこで、弁護団は、一計を講じました。SBS/AHT仮説を支持する立場から出された「AHT共同声明」を最大限活用することにしたのです。
弁護側が「AHT共同声明を活用する」というのは、不思議に思えるでしょう。実際、このブログでも何度か批判してきたとおり、AHT共同声明は、循環論法、確率の誤謬や自白への依存など根本問題に答えない一方、批判説が提示する他原因の可能性をそれこそ根拠なく「根拠がない」と決めつけるなど、非常に多くの問題を含んでいます。そもそも、医学の正当性は多数決で決めるものではありません。エビデンスと論理で判断すべきものです。あたかも政治声明のような「共同声明(consensus statement)」というスタイルそのものが不自然です。しかし、他方で、AHT共同声明もすべての批判を無視することはできませんでした。従前のSBS/AHT仮説の修正を余儀なくされ、そのことを表明せざるを得なかったのです。例えば、共同声明は、従来は、「3m以上の高位落下や高速度交通事故、凝固異常」だけが除外診断の対象であるかのようにされていたSBS/AHTの診断について、「 AHTの診断にあたってはAHTに類似する様々な症状を来しうる病態の除外を行う必要がある」と述べるようになりました。オハイオの裁判所は、それらの修正を受けて、次のとおり述べます。
「医学界のコンセンサスが、被告人の裁判当時とは大きく異なっていることは、当裁判所にとり明らかである。この議論の目的にとって最も重要なことは、医学界の理解におけるこの変化、すなわち被告人の再審請求を支持する証拠が、ジェイディンの殺人で被告人を有罪にする評決のかなり後までは始まっていなかったという事実である。それらの知見は2005年、2010年、2015年には利用できなかった。2018年の共同声明と3人の新しい弁護側専門家の意見を含む、被告人が新たに提出した証拠の集積は、被告人の本請求が提出されるまで利用可能ではなかったのである。さらに、審理で提出された証拠から、小児科および法医学界がSBS/AHTに関する考え方を転換したかどうかに関して、意見の相違が存在しないことが明らかである」
また、裁判所は、検察側専門家証人が、眼底出血について、なおも虐待的外傷であるとこだわったことについては、「その供述は、もはや真実でないことは明らかである」としました。
そして、再審を命じる理由として次のとおり述べたのです。
「(現在の医学的知見によれば)専門家の証言は、次のとおり異なったものになったはずである
(1)専門家たちは、低位落下を死亡原因から類型的に排除できない
(2)専門家たちは、意識清明期の可能性を除外できない
(3)現在では、眼神経鞘血腫をSBS/AHT診断の根拠とすることはできない
(4)現在では、医師たちは感染症や肺炎が、ジェイディンの死亡に関与する要因であることを知っている
(5)現在では、小児患者に対する市販風邪薬の投与が有害であることは知られている
(6)確定審裁判後の生体工学的な研究によって、ジェィディンの大きさの子どもに脳損傷を与えるに十分な揺さぶりは頸椎の損傷を与えるはずであるが、そのことは確定裁判時の医師たちには認識されていなかった」。
今西事件でも同じですが、そもそも2歳児を揺さぶることによってびまん性軸索損傷を起こすことは不可能です。感染症などの内因が三徴候や突然死を起こすリスクがあることも、今西事件と同様に検討されなければなりません。オハイオでの再審開始の判断は、今西事件でも十分に参照されるべきなのです。
[…] 除外によって、その原因や行為者が推定できるかのような議論は、SBS/AHT論でも繰り返しなされてきました。「SBS/AHT の医学的診断アルゴリズム」にでてくる「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3m 以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくても、SBS/AHT である可能性が極めて高い」や、厚生労働省の『虐待対応の手引き』の「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷起点不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」などの記述は、「高位落下」「交通事故」のほか「出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患」さえ除外できれば、原因は暴力的な揺さぶりだと推定できるかのような内容となっており、現に、従前はそのような推定に基づいて多くの虐待認定がなされてきました。しかし、三徴候の原因として、様々な内因が明らかとなり、安易な除外から揺さぶり認定などできないことが明らかにされてきています(オハイオ州の再審開始決定も参照)。 […]