新潟地裁の無罪判決に検察控訴を断念!-くも膜下腔拡大のリスク

ご報告が遅れましたが、2022年5月9日、新潟地裁でSBS/AHTを疑われた父親に無罪判決が言い渡されました(以下、「新潟事件」といいます)。そして、控訴期限である本日5月23日、新潟地検が控訴断念を発表し、無罪が確定することになりました。

 この事例で、生後5か月の赤ちゃんが自宅でけいれん発作を起こし、救急搬送されたところ、急性硬膜下血腫と眼底出血が認められたことから、119番通報したお父さんが、「激しく揺さぶった」と疑われました。しかし、裁判所は「本件当日の午後、外出先のショッピングセンターにおいて、被告人の妻が抱っこひもを用いて本件乳児を抱っこした状態で階段の上り下りや小走りをした際、本件乳児の頭部が前後に揺さぶられ、その比較的軽微な衝撃により以前から伸展していた架橋静脈が断裂し、急性硬膜下血腫が生じたことも十分に考えられる」として、事件性を否定しました。このような判決のまとめを受けて、各マスコミの多くは、「抱っこひも」「ショッピングセンターでの階段の上り下り」「小走り」を、血腫の原因として重視して報道しました。類似の裁判例として、やはり抱っこひもに抱かれた赤ちゃんが、自転車乗車中の揺さぶりで硬膜下血腫を生じた可能性があるとして、お母さんに無罪を言い渡した例があります(2020(令和2)年12月4日大阪地裁判決)。

確かに「比較的軽微な衝撃」でも急性硬膜下血腫が起こりうることが指摘されています。新潟事件でも、裁判所の認定のとおり、「抱っこひも」上での「衝撃」は十分に原因になったと思われます。ただ、注意して欲しいのは、新潟事件では、赤ちゃんには「くも膜下腔拡大」「頭囲の拡大」があり、血腫の内容は「血性硬膜下水腫」と思われるとの弁護側医師証人の証言があることです。判決も詳細に触れているとおり、くも膜下腔の拡大がある場合、比較的軽微な「衝撃」によって頭蓋内出血の原因となるのは事実ですが、かといって「衝撃」のエピソードの存否にこだわるのが妥当かには疑問があります。なぜなら「衝撃」といえるような外力のエピソードが認められないような場合でも、「出血」が報告されているからです(例えばパトリック D バーンズ「非事故損傷と類似病態:根拠に基づく医学(エビデンス・ベースト・メディシン)時代における問題と論争」吉田謙一訳・龍谷法学52巻1号319頁 Knut Wester ”Two Infant Boys Misdiagnosed as “Shaken Baby” and Their Twin Sisters: A Cautionary Tale” Pediatric Neurology 97(2019)3-11など)。エピソードとして記憶されない程度で、衝撃とすら言えない日常生活上の外力や自然発生的な(=何らかの内因による)「出血」の可能性があるのです。また、「血性硬膜下水腫」は、くも膜という薄い膜の破綻によって、硬膜下に脊髄液が流入するとともに出血を起こし、くも膜下の脊髄液と混合する水腫ができるものです。くも膜下腔が拡大していると、硬膜とくも膜の境界部分(くも膜顆粒など)や伸展された架橋静脈が破綻しやすいこともあり、この「くも膜の破綻」と出血が見られ、血性硬膜下水腫を生じることが多いとされています(Zouros et al “Further characterization of traumatic subdural collections of infancy” J Neurosurg (Pediatrics 5) 100:512–518, 2004)。つまり、赤ちゃんにくも膜下腔拡大が認められる場合、頭蓋内に出血があっても(眼底出血も含みます)、強い外力=虐待の根拠とはなり得ないのです。日本では、硬膜下に出血を疑う所見があれば、すぐに虐待が疑われてしまいますが、そのこと自体が見直されるべきです。

 ところが厄介なことに、日本の医師の間では、くも膜下腔拡大や血性硬膜下水腫についての知識共有は十分ではありません。多くの医師が、くも膜下腔の拡大を慢性硬膜下血腫と誤診した上、虐待が繰り返された証拠だなどと即断してしまうのです(くも膜下腔拡大の誤診について同様の問題点を指摘するものとして、藤原一枝「さらわれた赤ちゃん」幻冬舎36頁以下。2019年)。

 検察庁は、最近、中村Ⅰ型に対する認識を改めたようで、つかまり立ちからの転倒やソファー・ベッドからの落下など、明確な外力(衝撃)のエピソードが認められる事例での訴追には慎重になってきたようにも思えます。しかし、養育者からそのような外力(衝撃)のエピソードが語られない事例で乳幼児に頭蓋内出血が認められる例では、なお訴追を続けています。筆者は、ここに大きな問題があると考えています。外力(衝撃)のエピソードが語られないような場合でも、頭蓋内出血・眼底出血は十分に起こりうるからです。静脈洞血栓症によって頭蓋内出血・眼底出血が生じた山内事件は、その典型です。頭蓋内出血・眼底出血が見られた多くの事例で、頭部表面に目立った外力がなかったことから、「揺さぶり」が疑われるようになって生まれたのが、SBS仮説です。しかし、この揺さぶり理論そのものに大きな疑問があることは、このブログで繰り返し指摘したとおりです。本当に外力(衝撃)が原因と言えるのか、内因は関与していないのかも含めて、「揺さぶり」論の根本に立ち返って、0(ゼロ)ベースでの見直しが必要です。

3 replies on “新潟地裁の無罪判決に検察控訴を断念!-くも膜下腔拡大のリスク”

  1. […] 今西さんの事件は、外力であることを示す証拠は何もありません。その一方、内因であることを示す証拠が数多くあるのです。日本でも海外でも、内因である可能性が指摘され、雪冤される例が増えています。山内事件は静脈洞血栓症が問題になりました。新潟の事件では、くも膜下腔拡大という内的素因が問題とされました。スウェーデン最高裁の逆転無罪判決では、RSウィルス感染の可能性が指摘されています。ニュージャージ上級裁判所決定は早産児における基礎疾患が問題となっています。2022年4月28日にはミネソタ州(Robert John Kaiser vs State)で、2022年8月17日にはミシガン州(State vs John H. Sanders)で、それぞれの救済申立手続(Motion for Relief 日本の再審請求に該当)において、確定有罪判決では、頭蓋内出血の理由として、静脈洞血栓症(ミネソタ)や感染症と凝固異常(DIC)による自然発症の可能性(ミシガン)が検討されていないとして、いずれも再審が命じられました。 […]

  2. […] 今西さんの事件は、外力であることを示す証拠は何もありません。その一方、内因であることを示す証拠が数多くあるのです。日本でも海外でも、内因である可能性が指摘され、雪冤される例が増えています。山内事件は静脈洞血栓症が問題になりました。東京で無罪となった父親のケース(1審・東京地裁立川支部令和2年2月7日判決、控訴審・東京高裁令和3年5月28日判決)では、ALTE(Apparent Life Threatening Event=乳幼児突発性危急事態)という突然死の可能性が指摘されました。新潟の事件では、くも膜下腔拡大という内的素因が問題とされました。スウェーデン最高裁の逆転無罪判決では、RSウィルス感染の可能性が指摘されています。ニュージャージ上級裁判所決定は早産児における基礎疾患が問題となっています。2022年4月28日にはミネソタ州(Robert John Kaiser vs State)で、2022年8月17日にはミシガン州(State vs John H. Sanders)で、それぞれの救済申立手続(Motion for Relief 日本の再審請求に該当)において、確定有罪判決では、頭蓋内出血の理由として、静脈洞血栓症(ミネソタ)や感染症と凝固異常(DIC)による自然発症の可能性(ミシガン)が検討されていないとして、いずれも再審が命じられました。 […]

  3. […] 速報がなされましたが、2023(令和5)年3月17日、大阪地裁第15刑事部(末弘陽一裁判長、高橋里奈、小澤光裁判官)は、SBS/AHT仮説に基づき、生後2か月の乳児に「激しい揺さぶりなどの暴行を加えた」などとして、傷害罪に問われた赤阪友昭さんに対し、無罪判決を言い渡しました。赤ちゃんが急変し、急性硬膜下血腫や眼底出血の頭蓋内出血が認められたことから、検察官は「激しい揺さぶりなどの暴行」=虐待と決めつけたのですが、本判決は、内因が関与したことによって軽微な外力によって頭蓋内出血が生じた可能性を認めたのです。このように内因が関与することによって、軽微な外力または外力がなくても頭蓋内出血が生じることは繰り返し報告されてきています。東京地裁立川支部2020年2月7日判決(控訴審東京高裁2021年5月28日判決)、大阪地裁2020年12月4日判決、新潟地裁2022年5月9日判決などは、いずれも内因と軽微な外力が重なった事例と考えられます。大阪地裁2019年1月11日判決や山内事件、そして現在控訴審で係争中の今西事件は、内因のみによって頭蓋内出血が生じた事例です。 […]

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