Category Archives: 日本での議論状況

医療判例解説(2020年6月号)にSBS特集が掲載されました-真の専門家は?

主に医療関係者向けに裁判例を解説する医療判例解説2020年6月号(通巻第086号)の特集(医事法令社)として「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)」が取り上げられました。笹倉香奈教授の解説「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)とその歴史」とともに、このブログでも繰り返し触れてきた大阪高裁令和元年10月25日判決と同令和2年2月6日判決の詳細な解説を加えたものです。特に、朴永銖医師(奈良県立医科大学・脳神経外科准教授)による令和2年2月6日判決についての解説(同事件での検察側医師証人の証言の問題点はこちら)は、頭部外傷の専門医によるSBS無罪事件についての初めての解説だと思われます。

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厚労省の令和2年度「調査研究事業」公募への疑問と申入れ

厚労省の行う「令和2年度子ども・子育て支援推進調査研究事業」の中の調査研究課題32として、「児童相談所における虐待による乳幼児頭部外傷事案への対応に関する調査研究」なるものが公募されました。公募内容をお読みいただけるとお判りいただけるかと思いますが、かなりの問題がある内容です。

公募開始は4月30日、わずか1か月の公募期間でした。5月29日(金)が締め切りです。これで、調査研究の応募に向けた検討を行う時間があるのでしょうか。

さらに、公募内容には、SBS仮説を前提とするかのような記載もあります。近年指摘されているような、SBS仮説やSBSの診断基準、特に虐待の誤認のリスクといった問題点が研究の対象となるのか、大いに疑問です。

そこで、当プロジェクトは5月25日付で厚労省に対し、疑問点や問題点を指摘するともに、これらの指摘への回答を求める申入書を発送しました。【申入書の本文をこちらでお読みいただけます

厚労省が編集した「子ども虐待対応の手引き(平成25年8月改正版)」におけるSBSに関する記述には様々な問題点があります。この調査研究事業は、「手引き」の改訂につながる基礎調査研究でもあると思われます。SBS仮説の問題点も含めた幅広い視点からの研究が行われることが不可欠です。厚労省には、科学的な視点からの研究を行うよう、求めていきます。

SBS検証プロジェクト共同代表 笹倉香奈・秋田真志

解説「SBS/AHTについてのかみ合った議論のために―AHT共同声明を中心に」を公開しました。

このブログ開設以来、SBS検証プロジェクトは、約2年半の間に多くの発信をしてきました。これまでの発信のうち、特に「AHT共同声明」の問題点について、1つにまとめた解説「SBS/AHTについてのかみ合った議論のために―AHT共同声明を中心に」SBS検証プロジェクトのホームページで公開しました。是非ご一読ください。→こちら

低位落下・転倒をめぐる勘違い-「まれ」と「起こらない」の混同

 保護者が低位の落下やつかまりだちからの転倒であると訴えている事案で、虐待通告をされた事件のカルテ記載を見たり、保護者からの話をお聞きしたりして、驚かされることがあります。医師が、低位落下や転倒ではこのような重篤な症状は「起こらない」と断定的に述べておられることがあるのです。以前にもこのブログで触れたことがあるのですが、重要なポイントなので再度述べておきたいと思います。

 確かに「乳幼児の転倒で頭骨内に重大な傷を負うこと」自体の確率が高いとは言えないでしょう。しかし、確率は低くても、硬膜下血腫や眼底出血は、低位落下や転倒でも一定の頻度で起こっていますし、そのうち一定の割合で重症化し、時として致死的となることは、繰り返し報告されているのです。 AHT共同声明でも、「極めてまれ」とは言いつつ「まれには起こる」ことを認めています(Review of the extensive literature informs us that mortality from short falls is extremely rare)。「まれ」と「起こらない」を混同することは、明らかな誤りです。このような勘違いは、低位落下や転倒の危険性を過小評価することにつながりかねず、かえって危険です。その認識を速やかに改めていただく必要があります。この点を検証してみましょう。

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厚労省『子ども虐待対応の手引き』は、なぜ「揺さぶりありき」なのか

 2013年に改訂された厚生労働省の『虐待対応の手引き』は、児童相談所などの虐待対応の現場で使われている指導的で重要な文書であるとされています。

 『手引き』は「乳幼児揺さぶられ症候群(シェイクン・ベビー・シンドローム)が疑われる場合の 対応 」についても数ページを割いて説明しています。次のようにいいます。

 「SBSの診断には、①硬膜下血腫またはくも膜下出血 ②眼底出血 ③脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ〔る〕。……出血傾向のある疾患や一部の代謝性疾患や明らかな交通事故を除き、90cm以下からの転落や転倒で硬膜下血腫が起きることは殆どないと言われている。したがって、家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷起点不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」(『手引き』265ページ)

 「出血傾向がない乳幼児の硬膜下血腫は3メートル以上からの転落や交通外傷でなければ起きることは非常に希である。したがって、そのような既往がなければ、まず虐待を考える必要がある。特に……乳幼児揺さぶられ症候群を意識して精査する必要がある」(同314ページ)〔下線は引用者〕

 『手引き』を読むと、硬膜下血腫等がある場合には、まず虐待を疑わなければならないという記述がなされていることが分かります。しかし、実は、『手引き』改訂の際の「原案」では、全く異なる記述がなされていたことが、関西テレビの上田大輔記者の取材によって明らかになりました。

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「AHT共同声明」の再検討(酒井邦彦元高検検事長の論文について(5))

 このブログでもすでに何度か指摘してきたとおり、2020年2月発行の『研修』誌・860号17ページに掲載された酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」は、「最近のAHTに関する内外における進展」の存在を指摘し、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」(下線は引用者)と述べた上で、この声明は「吐瀉物の誤嚥による窒息がAHTと同様の所見を呈するという主張など、SBSの反論として挙げられる多くの他の原因について、信頼できる医学的な証拠はないなどとしています」 と記述します。

 SBS検証プロジェクトは、これまでもAHT共同声明の全文を翻訳するとともに、その内容について検討(1, 2, 3, 4) してきました。2019年2月のシンポジウムではAHT共同声明について掘り下げて議論しました。したがって酒井論文の認識はそもそも誤っているのですが、本投稿ではさらに、酒井論文が重視しているAHT共同声明がどのような意図で出された文書なのかを明らかにしようと思います。

 結論からいうと、AHT共同声明は、刑事裁判に対して影響を与えるために出された、きわめて政治的な色彩の強い文書です。

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ドーバート基準をめぐる論争-議論の本質を見極めた上で(酒井邦彦元検事長の論文について(4))

このブログで何回か触れた酒井邦彦元高検検事長の論文ですが、その(2)が公表されました(酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る 司法の試練と挑戦(2)(全3回)」研修(令和2.3,第861号)13頁。以下、前回の論文を「酒井論文1」、今回の論文を「酒井論文2」といいます)。酒井論文2は、直接SBS/AHTを問題としたものではありませんが、「補遣」の形で、酒井論文1で触れられていた大阪地裁平成30年3月13日判決について、大阪高裁で逆転無罪判決が言い渡されたことを補足されました(もっとも、検察庁が上告をしたというだけで、その中味についてはコメントされていません)。あるいは、酒井元検事長は、このブログをご覧いただいたのかもしれません。もし、ご覧いただいたのであれば、「どういうわけかSBS検証プロジェクトでは紹介されていない、『乳幼児の虐待による頭部外傷に関する共同声明』を紹介します」 (下線は引用者) との一文についても訂正をいただきたかったところですが(当プロジェクトは、AHT共同声明について繰り返し述べています)、その点は措きましょう。その代わりという訳ではないのでしょうが、「補遣」の2点目として、「アメリカ連邦地方裁判所ニューメキシコ地区判決(ママ)」(下線は引用者)について、詳しく言及しておられます。調べて見ると、酒井元検事長が指摘されるように、2019年12月5日にニューメキシコ州の連邦地裁の裁判官が、弁護側専門家証人について意見を述べるとともに、これを証拠から排除する決定(Memorandum opinion and order on the United States’ motion in Limine for Daubert ruling regarding the admissible and scope of defendant’s proposed expert testimony/The United States District Court for the District of New Mexico No. 1:14-cr-3762-WJ)をしていたようです(以下、この決定を「NM排除決定」とします)。アメリカのSBS仮説に基づく啓蒙団体「The National Center on Shaken Baby Syndrome」のホームページに掲載されていました。酒井論文2に接するまで、このNM排除決定のことは知りませんでしたので、このような情報を提供いただけることはありがたいことです。ただ、気をつけなければならないのは、アメリカの裁判例では、逆にSBS仮説こそが、ドーバート基準を充足していないという判断が、これまで複数出されていることです。酒井論文2だけを読むと、あたかもNM排除決定の判断が、アメリカでの裁判の趨勢であるかのように思われるかもしれませんが、決してそうではないのです。少し詳しく見てみましょう。

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小児科医は生体工学を語れるか?-根拠に基づいた議論であればこそ(酒井邦彦元高検検事長の論文について(3))

「怒りでコントロールができない状態ですから、リミッターは外れた状態になってます。無我夢中で(赤ちゃんを)揺さぶってるという状態になります。ですから、実際の臨床の場面では、成人女性でも立った状態で揺さぶって、頭の中に損傷を加えてしまったという事例は一杯あります。…被害児の体重というものは、6か月のダミー人形に比べるとかなり軽いものであるということからすると、十分立った状態で揺さぶって、成人女性でも閾値を超えることは医学的にはあり得る。なおかつどこかに体を設置させて、そこに体重を支えさせた状態で揺さぶり行為を加えたんだとすると、全然あり得る話だというふうに医学的には判断されます」

ある裁判での証言です。この「証言」を読んでどのように思われたでしょうか?「実際の臨床の場面」「医学的にはあり得る」「全然あり得る」「医学的には判断される」。その言葉ぶりから、証言の主が医師であることは想像がつくでしょう。医師が、このように述べたら、「そんなものかもしれない」と思ってしまうかもしれません。しかし、少し立ち止まって考えてみて下さい。「臨床」「医学的」「全然あり得る」などと述べる根拠は何なのでしょうか?

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ウェイニー・スクワイア博士への誤った批判(酒井邦彦元高検検事長の論文について(2))

 2020年2月発行の『研修』誌・860号17ページに掲載された酒井邦彦「子ども虐待防止を巡る司法の試練と挑戦(1)(全3回)」には、1日のブログ記事において秋田弁護士が指摘したような様々な問題点があります。

 数回にわたってその問題点を指摘していきますが、本日は、同論文25ページにある以下の記述について検討したいと思います。記述部分は短いのですが、同様の言及が他の論稿や法廷などでも見られますので、指摘が必要だと考えています。

 酒井論文は、大阪高裁令和元年10月25日判決を批判する文脈で、静脈洞血栓症という病気の場合には急激に意識障害等を発症したという報告例がないという検察側のM医師の証言を判決が採用しなかったことを問題視します。

 そして、同判決について、「イギリスで証言の信用性がないことから控訴院判決で3年間の証言停止処分を受けた医師の論文に依拠した上、『起こり得ない経過と断定する点は、必ずしも信用できない』としています。しかし、このような主張、立証は、ドーバート基準〔引用者注:アメリカの連邦裁判所における科学的証拠の許容性基準〕の下では、到底許容されるものではなく、もし基準を適用していれば、イギリスの医師の論文が採用され、判決の理由に挙げられることもなかったはずで、……より科学的、客観的に証言の信用性評価が行われていたら、判決の結論は異なったものになった可能性があったのではないかと思います」といいます(下線は引用者)。

 酒井論文におけるドーバート基準の理解については別途検討する必要がありますが、ここでは、この下線部分について解説します。

 酒井論文がここであげている「イギリスの医師」は、ウェイニー・スクワイア博士(Dr. Waney Squier)のことを指していると思われます。オクスフォード・ラドクリフ病院の医師(小児神経病理学)であったスクワイア博士は、2018年・2019年にも来日し、SBS検証プロジェクトが共催したSBSを検証するシンポジウムなどでも基調講演されました。そのときの講演録は、こちら(中央の「本文・要約」ボタンをクリックして下さい。なお、環境によっては全文が表示されないことがありますので、ご了承ください)で読むことができます。

 スクワイア博士は、もともと SBS理論の支持者でしたが、研究を進める中で同理論に疑念を持ち、2000年代中ごろ以降、同理論を批判的に検証する論文を多数執筆しておられます。

 スクワイア博士に対しては、酒井論文以外にも 「『科学的偏見を助長させた専門家』として、総合医療評議会(GMC)に医師免許剥奪が申し立てられることとなった。結局……医師免許は維持されたものの、今後三年間、専門家証人となることを禁じられることとなった 」( 溝口史剛「訳者による解説」ロバート・リース(溝口史剛訳)『SBS:乳幼児揺さぶられ症候群』(金剛出版、2019年)348頁) )などの批判が向けられ、最近はSBS/AHT事件の法廷等においても、検察官や検察側証人から同様の言及が行われています。

 上記の酒井論文や溝口解説だけを読むと、あたかもスクワイア博士が 問題のある医師であるかのような印象を抱きかねません。本当にそうなのでしょうか。結論から言えば、不十分かつ不正確な理解による偏見と言うべきです。

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