SBS仮説における確率論の誤謬

「乳児の場合には,100万人当たり0.48人というのが低所転落からの死亡率と報告されています。」

  これは、あるSBSをめぐる刑事裁判で、検察側証人に立った医師の証言です。その事件では、弁護側は赤ちゃんが7~80センチメートルの高さから落下したと主張していました。これに対し、この証言は、弁護側主張を否定し、“低位落下では死亡事故は滅多に起きない、だからこの事件の被告人も揺さぶりの犯人である”、とする根拠として持ち出されたものです。この医師の証言は、弁護側の主張を覆す意味を持つでしょうか。結論から言えば、そのような意味は持ちません。 

 この「乳児の場合に低位落下による死亡率は100万人当たり0.48人」という数字が割り出された根拠はどのようなものでしょうか。この数字を持ち出したのは、アメリカの虐待小児科医として著名なチャドウィック医師です。チャドウィック医師によれば、1999年~2003年にカリフォルニアのEPICという権威あるデータベースにおいて、「低位落下の死亡として反証がなされなかった」(not disproven as short fall deaths)ケースは「6件だけ」だったとして、その間の0歳から5歳までのカリフォルニアの乳幼児全人口で割った数字だとしています。それだけを聞けば、もっともらしい数字のようにも思えるかもしれません。しかし、確率論からみれば、きわめて恣意的に数字が扱われていると言わざるを得ないのです。

 まず、「低位落下の死亡として反証がなされなかった」のが「6件だけ」だったという数字です。

 ここでは「低位落下による死亡の数」をできるだけ小さくする「除外操作」がなされています。実際には、上記のデータベースで低位落下とされたのは、13件あったのです。しかし、チャドウィック医師は、そのうち窒息が関与したと思われる2件、2階の窓から落ちた1件、「ある高さからの落下」と呼ばれていた1件、大人の腕に抱かれていて岩に落ちたという1件、重い家具の落下が衝突したという2件の合計7件を除外して、6件としたのです。除外された7件の事故態様は極めて簡単にしか記述されておらず、真に低位落下から除外すべきかどうか不明です。少なくとも「低位落下」の選択にバイアスがかかっているといえるでしょう。

 さらに1999年~2003年と言えば、アメリカではSBS仮説に基づき、多くの訴追がなされていた時期です。仮に養育者が「低位落下だ」と弁解しても、その弁解は受け入れられず、「低位落下」事例とはカウントされなかったはずです。冒頭にあげた「7~80センチメートルの高さから落下したと主張している」日本のケースが、仮にカリフォルニアで起こっていたとしても、カウントされなかったでしょう。そもそもこの「6件」は、特定のデータベースに掲載されたことが条件となっています。つまり「100万人当たり0.48人」の分子である「低位落下」事例は、それ自体としてかなりの絞り込みがなされており、カウントされるべき「低位落下」が除外ないし無視されていると考えられるのです。その意味では、「6件だけ」というより、「6件も」低位落下による死亡事例が確認されていると評価すべきでしょう。

 これに対し、「100万人当たり0.48人」の分母である「0歳から5歳までのカリフォルニアの乳幼児全人口」はどうでしょうか。この数字も問題です。「カリフォルニアにいた0~5歳の乳幼児」という以外に、何の絞り込みもありません。そこには頭部外傷には全く関係のない、健康な乳幼児が数多く含まれます。しかし、ここで問題にすべきなのは、健康な乳幼児も含めた全乳幼児が低位落下によって死亡する確率ではありません。あくまで頭部外傷を負って死亡した乳幼児の受傷原因が、「低位落下」なのか「揺さぶり等の虐待」なのかという問題です。そうである以上、少なくとも頭部外傷に全く関係のない乳幼児は除くべきです。「頭部外傷を負った乳幼児」という条件を付すべきなのです。

 このように、確率を論じる場合には適切な条件付けが必要なのです。条件付けのないままの確率にはほとんど意味がありません。例えば、オリンピック選手と「隣り合わせになる確率」を考えてみましょう。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックに出場した日本人アスリートは338人です。日本人の総人口約1億2000万人で割れば、約0.00027%という数字が出て来ます。つまり、たまたま入った映画館でオリンピック選手と隣り合わせになる確率はほぼ0です。しかし、仮にそれが「オリンピック会場のプール」だったらどうでしょうか。確率は飛躍的に上るはずです。つまり、確率は条件次第で全く数字が変わってくるのです。そもそも「たまたま入った映画館でオリンピック選手と隣り合わせになる確率」に何らかの意味があるでしょうか。条件付けもないままの確率を論じる意味はほとんどないのです。

冒頭の事例の場合、実は「生後1ヶ月半の乳児が、80センチメートルの高さから落下して慢性硬膜下血腫等を発症し、さらに20日後に70センチメートルの高さから2度目の落下をした」という前提条件がありました。このような条件があるにもかかわらず、”チャドウィック医師が割り出した数字によれば、乳幼児の低位落下による死亡率は「100万人当たり0.48人」の確率だから、本件も低位落下が原因だとは考えられない、被告人が犯人だ”、などと言えるでしょうか。

チャドウィック医師の議論は、分子の6を割り出すときには、きわめて限定的な条件で絞り込んでおきながら、分母を割り出すときには、「カリフォルニアの全乳幼児」というほぼ無条件の数字を用いているのです。ほとんど無意味な確率です。確率を低く見せるための意図的な操作としか言いようがありません。

さらに重要なのは、確率を論じる以上、比較の対照がなければならないということです。チャドウィック医師は、なぜか「低位落下によって死亡する確率」を単独で持ち出して、その数字がいかに低いか、という議論をしています。しかし、それを言うのであれば、「ゆさぶりによって死亡する確率」も問題にすべきです。それも、三徴候とは別に「ゆさぶりによって死亡したことが証拠によって裏付けられた件数」を分子として計算すべきです。例えば「録画されたゆさぶり」の後に死亡したことが明らかになったような事例です。チャドウィックが問題にした1999年~2003年に「録画されたゆさぶり」によって死亡したことが証明されたケースが6件あるでしょうか。仮にそのような例が30件あったとしても、「低位落下」と30:6であり、両事例36例のうち6分の1の割合で「低位落下による死亡」となります。これでは、同様の死亡事例が起こったとき、それが「揺さぶりによる死亡」か「低位落下による死亡」かを断定することはできなくなるはずです。実際には自白以外に「揺さぶりによる死亡」を客観的に裏付けた事例などありません。だからこそスウェーデンの政府機関(SBU)は、SBS仮説には、十分な根拠がないと判断したのです。

いずれにしても、チャドウィック医師の議論は、比較対照を示すこともなく、あたかも「低位落下による死亡」だけが低い確率であるかのように見せかけようとしたのです。このような確率論が科学的と言えるはずもありません。このような確率論を法廷で持ちだしたからと言って「低位落下」による頭部外傷の可能性が否定されるはずもありません。このような議論が、人の有罪・無罪を決め、その一生を左右する法廷の場で述べられること自体に、大きな疑問を感じざるを得ないのです。

3 replies on “SBS仮説における確率論の誤謬”

  1. […] 「AHT共同声明」には、循環論法以外にも様々な問題点があります。例えば、「共同声明」には、「例えば、チャドウィックらは、低位落下の研究の中で低位落下による死亡は5歳以下の子どもにおいて年間100万人あたり0.48人であると言及した」という表現がでてきます。これはすでにこのブログでも詳しく説明した「確率論の誤謬」です。ところが、「共同声明」では、そのような誤謬も前提の中に隠されてしまい、一読しただけでは判らないのです。同じような議論は日本の論者にも見られます。 […]

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  3. […] 「AHT共同声明」には、循環論法(循環論法の問題点はこちら)以外にも様々な問題点があります。例えば、「共同声明」には、「例えば、チャドウィックらは、低位落下の研究の中で低位落下による死亡は5歳以下の子どもにおいて年間100万人あたり0.48人であると言及した」という表現がでてきます。これはすでにこのブログでも詳しく説明した「確率論の誤謬」です。ところが、「共同声明」では、そのような誤謬も前提の中に隠されてしまい、一読しただけでは判らないのです。同じような議論は日本の論者にも見られます。 […]

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