米国の2つの重要な裁判例について(1)

 溝口史剛医師による翻訳書『SBS:乳幼児揺さぶられ症候群-法廷と医療現場で今何が起こっているのか?』(金剛出版、2019年3月発売)の「訳者による解説」には、アメリカの裁判例に関する記述についていくつか誤解があるようです。

 2回にわけてこの点について指摘したいと思います。

  1. 溝口医師の記述

 溝口医師の翻訳書には、アメリカにおける2つの重要な裁判例について、下記のような記述があります。

  • 「…Audrey Edmunds事件(ベビーシッティング中に生後六ヵ月児が急変し、保育を行っていたAudrey Edmundsが有罪となったが、その約10年後に「SBS/AHTに関する医学界の進歩は著しく、これらの新しい進歩は新たな証拠となりうる」との主張に基づき再審開始決定がなされ、検察が訴えを取り下げたために釈放された事件。裁判所は “新しい研究”の新規性は認めたが、信用性まで認めたわけではない点に注意していただきたい)のような混乱を避ける意味で、このような検証は司法プロセスとは完全に切り分けて、医学的に行うことが望まれる。」(同書「訳者による解説」360-361頁)
  • 〔SBS検証プロジェクトが〕「本当に中立的な立場で検証を行っているのであれば、2011年の米国の最高裁判決(Cavazos v. Smith, 565 U.S. 1 (2011))についても触れるべきである。このSmith事件において米国最高裁は「SBS否定派」のUschinski、Squire〔ママ〕、Donohoe, Bandakらの「新しい研究」を完全に否定している。」(同書「訳者による解説」375頁)

以上の各判決について、詳細に見ていきましょう。

2 . エドモンズ事件について

 Audrey Edmunds(オードリー・エドモンズ)事件(以下「エドモンズ事件」)は、SBS/AHTに関する議論の歴史の中でも特に重要な事件です。なぜならば、SBS事件について有罪判決後に本格的に取り組まれ、雪冤された初期の事例だからです。また、イノセンス・プロジェクトをはじめとするイノセンス団体が、本格的にSBSの問題に取り組むようになったきっかけとなる事件でもありました。

 エドモンズ事件が発生したのは1995年10月でした。ウィスコンシン州のある町で、生後7ヶ月(溝口医師の解説には「6ヶ月」とありますが、「7ヶ月」のようです)の女児を母親がエドモンズ氏に預けたのです。エドモンズ氏は、よく近所の子どもたちのベビーシッターをしていました。しかしその日、エドモンズ宅で女児は急変し、救急隊が到着した直後に意識不明になり、夜に亡くなったのです。エドモンズ氏は1996年3月に、女児を揺さぶって死に至らしめたとして起訴されました。

 公判廷では数人の医学専門家が証言しました。エドモンズ氏側は、女児が暴力的な揺さぶりを受けたことについては争わなかったものの、エドモンズ氏が揺さぶったわけではないと主張しました。しかしエドモンズ氏は有罪とされ、同年11月に18年の拘禁刑を言い渡されました。彼女はその後も無罪を訴え続けましたが再審理は認められませんでした。

2003年に、ウィスコンシン・イノセンス・プロジェクトが事件を担当することになります。このころ、SBSに関する議論に大きな変化が生まれていました。SBS仮説に疑義を唱える多々の研究が登場していたのです。同プロジェクトはそれらの新たな科学的知見を「新証拠」として、2006年に再審理を申し立てました。しかし、州の裁判所は新証拠によって「判決の結果が変わった合理的な可能性」は認められないとして、再審理申し立てを棄却。エドモンズ氏は州の控訴裁判所に異議申し立てを行います。

 控訴裁判所は、新証拠に鑑みて、エドモンズ氏の再審理を認めるべきであると判断したのでした(2008年1月31日、State v. Edmunds, 746 N.W.2d 590 (Wis.App. 2008))。その理由は、概略次のとおりです。

①エドモンズ氏は1997年にも判決の見直しを求めていました。しかし、その当時に彼女が提出した証拠と、2006年の申立て時に新たに提出した証拠は大きく性質を異にします。2006年の申立ての際には、弁護側の多くの医師が「この10年でSBSに関する医学界の議論は大きく変わった、そしてエドモンズ氏の公判当時とは議論状況が異なる」と証言したのです。

②再審理を求めるときには「新たな証拠」が必要ですが、エドモンズ氏が2006年の再審理申立ての際に提出した証拠は「新たな証拠」といえます。つまり、この10年間に「乳児が揺さぶりのみによって重篤な傷害を負うのか、頭部外傷を受けた後、死亡までの間に相当な意識清明期があるのか、そしてSBSやSIS(揺さぶり衝撃症候群)の徴候とされてきた症状が他の原因によっても起こりうるのかなどに関する知見」です。これらの知見はエドモンズ氏の公判後の10年間に実質的に発展してきたのです。

③「新たな証拠」があっても、その証拠によって元の「有罪判決の結果が変わった合理的な可能性」があったと認定できなければ再審理は認められません。その点について、原審は「エドモンズ氏は、公判段階で提出された医学的知見を批判する医学専門家による、信用できる証言を提出した。しかし州側の反対証拠にはより高い説得力があった(The court explained that while both parties had presented credible evidence, the State’s evidence was more convincing)」といいました。したがって、再審理は認められないと判断しました。

 しかし、控訴裁判所は、原審がこの点についての判断を誤ったとしたのです。

 つまり、両当事者の証言がともに信用できる場合には、陪審が有罪判決を言い渡すことに合理的な疑いを抱いた可能性があると判断すべきであるのです。控訴裁判所は、次のようにいいます。

 「医学領域の中で、これらの傷害の原因について正当legitimateかつ重要なsignificant争いが登場しており、これがまさに本件新証拠とされているのである。公判と、エドモンズの一度目の有罪判決後の申立ての際には、このような激しい議論は存在しなかった。したがって当時、州側は…エドモンズが有罪であるという点につき合理的な疑いを簡単に乗り越えることができた。しかし、現在の陪審は、エドモンズが有罪であることに合理的な疑いがあるかを判断するために、いずれも信用性があり、競合する医学的知見と向き合わなければならないこととなる。したがって、当裁判所は本件記録のもと、新たな医学証言と古い医学証言の双方を聞いた陪審は、エドモンズが有罪であることに合理的な疑いを持つという合理的な可能性があると考える。以上から、我々は原決定を破棄し、再審理を認める」(判決599頁、強調は引用者)

 以上のような判断を行った結果、ウィスコンシン州控訴裁判所はエドモンズ氏の事件で再審理を認めたのです。翌月、エドモンズ氏は保釈金を支払って身体拘束から解放されました。その後7月に検察側は公訴を取り下げ、エドモンズ氏は雪冤されたのです。

 なお、この事件の背景にある次の事実を忘れてはなりません。本件の再審理の申立ての段階にいたって、亡くなった女児の死後解剖を行い、公判段階で検察側証人となっていた法医学者のロバート・ハンティントン3世医師が、その後のSBS議論の展開を知り、自らの公判段階での証言を撤回したのです。2007年におこなわれた審問で、ハンティントン医師は、意識清明期に関する自らの以前の証言は誤っていた可能性があると証言しました。

 以上のとおり、溝口医師の解説における記述(「裁判所は “新しい研究”の新規性は認めたが、信用性まで認めたわけではない点に注意していただきたい」)には、大きな誤解があることが明らかです。 《 2 につづきます》

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