SBS=虐待論における論理則の誤り-転倒や低位落下をめぐる「まれ」から「虐待」への論理の飛躍

『乳幼児の転倒などで頭骨内に重大な傷を負うことはまれで、 重い外傷があれば大人による暴行を考えるべきだと検事に説明したい』

少し古い記事になりますが、これは2017年9月、新聞記事に載ったある小児科医のコメントです。新聞記事によれば、最高検と法務省は2017年9月25日から5日間にわたり、医師や児童心理の専門家を招き、全国から集めた検事を対象とする児童虐待についての研修会を開催したとのことです。冒頭のコメントは、その研修の講師として招かれた小児科医によるものです。SBSを念頭においての発言であることは間違いないでしょう。全国の検事に対する研修ですから、この講師の意見は日本の刑事裁判に大きな影響を与えることも間違いありません。では、このコメントは正しいのでしょうか?もちろん、字数の制約が大きいマスコミでのコメント記事ですから、その真意が正確に伝わっているかは不明です。しかし、あくまで記事となったコメント部分を前提とする限り、その論理は明らかに間違っています。

その理由を説明しましょう。このコメントは、次の2つの命題から成り立っています。

①「乳幼児の転倒などで頭骨内に重大な傷を負うことはまれ

②「重い外傷があれば大人による暴行を考えるべき」

このようにバラバラにしてしまえばあきらかですが、①と②との間には論理的なつながりはありません。仮に「乳幼児の転倒などで重大な傷を負うことはまれ」(①)だとしても、「重大な傷」の原因が「大人による暴行」(②)であるとは限らないからです。論理的に言えば、①≠②にもかかわらず、①=②であるかのような議論をしてしまっているのです。典型的な「論理の飛躍」であり「論理則の誤り」です。

そもそも①の命題を持ち出すことに大きな問題があります。「頭骨内の重大な傷」や「まれ」の意味にもよりますが、確かに「乳幼児の転倒で頭骨内に重大な傷を負うこと」自体の確率が高いとは言えないでしょう。しかし、確率は低くても、硬膜下血腫や眼底出血は、転倒(や低位落下)でも一定の頻度で起こっていますし、そのうち一定の割合で重症化し、時として致死的となることは、繰り返し報告されているのです。

さらに「まれ」にでも起こったことが、「大人による暴行」と決めつけられてしまえば、起こったことはすべて刑事事件となってしまいます。これは「確率の誤謬」と呼ぶべき典型的な「勘違い」です。この「確率の誤謬」は、SBS理論の中で何度も出てきます(詳しくは、こちらをお読みください→「確率の誤謬①」「確率の誤謬②」)。

話を「論理則の誤り」に戻しましょう。SBS理論には、同じような「論理則の誤り」がよくでてきます。もっとも典型的なのは、①「揺さぶりによって三徴候が生じる」と、②「三徴候があれば揺さぶり(虐待)だ」という2つの命題です。SBS理論は、①から②を導きました。しかし、上記小児科医のコメントと同様、①≠②です。①と②は、論理学ではいわゆる「逆の命題」です。仮に①の命題が真であっても②は真とは限りません。「逆は必ずしも真ならず」というのは、論理学の初歩です。SBUの報告書と同様にSBSに関する多数の論文を系統的に検証(システマティック・レビュー)したMark Donohoeの Evidence-Based Medicine and Shaken Baby Syndrome, Part I: Literature Review, 1966-1998, Am J Forensic Med Pathol 24 (2003) pp. 239-242も、SBS理論を支持する論文について、「多くの執筆者は、網膜出血と硬膜下出血が多くの場合にSBSにみられるのであれば、網膜出血と硬膜下出血の存在によって乳児が故意に揺さぶられたことが『証明』できるという論理的な誤りを繰り返した」と指摘しています。SBS理論の論文にはこのように初歩的な誤りを犯した議論が多いのです。しかも、前提となっている①の命題すら疑念が指摘されているのです。SBS理論については、根底からその議論を見直す必要があるはずです。

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